第四話
男の絶句した顔を私は見据える。
予想外の台詞に言葉を失っている様子は見物だったが、それをおもしろく観察する余裕は私にはなかった。
手提げカバンの取っ手を握りしめた手のひらが汗ばむ。
「失礼、お嬢さん。もう一度言ってもらえますか」
「私をここで働かせてください。
お給金は安くて構いません。なんでもやります。
お掃除も洗濯も、料理もできます。体力もあります、健康です。
力仕事もできますし、畑仕事とか、他にも雑用でも何でもやります。
英語も少しなら話せますからご不便はかけません。
朝早くから夜遅くまでこき使っていただいて構いません。
それから、動物の世話なんかも――」
「
もっとゆっくり話してもらわないと、聞き取れません」
まくし立てる私の口をとどめて、男は困惑しきった様子で額に手を当てながら言った。
私は素直に従って、息を整えながら男の出方をじっと待つ。
「突然やって来られて雇えと言われても困ります。
第一に、この家では召使いを必要としていません」
「決してお邪魔にはなりません。
いえ、必ずお役に立ちますから――」
「あなたの熱意には感謝しますが、そもそも日本には一時的に滞在しているだけなのです」
男の言葉に、今度は私が絶句した。
「どのくらい……?」
「一週間程度かと……日本に到着したのもつい昨日のことで、まだ落ち着いて決めていませんが、あまり長い滞在とはならないでしょう。
用事が済み次第、すぐイギリスに戻らなければなりません。
ですから、わざわざ召使いを雇う必要がないのです。
短い滞在ですからね、召使いにやってもらうほどの仕事もない」
私は体中の血がすうっと冷えていくのを感じた。
そうだったのか。
この男は戻ってきたわけでは、帰ってきたわけではなかったのか。
失望に胸が痛むほど冷えたが、それで私の決意がくじけたわけではなかった。
私は挑みかかるような目つきで男の顔を見上げて言う。
「でも、短い時間でも身の回りのお世話をする人がいた方が、快適に過ごせますでしょう」
「もっともですが、僕にとっては、この家をきちんと手入れして残しておいてくれただけで充分です。
日本の友人たちの厚意に、僕は満足しています」
「だけど」
「それに、僕とあなたはおそらく……知らない者同士です。
失礼ながら、素性のわからない人を簡単に家の中に迎えるわけにはいきません」
私は沈黙した。
これは当然の言い分だったし、私も今日のこの計画を考えたときに悩んだところでもあった。
けれど、この関門を突破できさえすれば、私は目的に向かって大きく前進することができる。
不意に訪れた素性のわからない小娘。
門前払いされることも、そもそも会うことすらできない可能性も考えていた。
けど、まずは目的の人物に会うことはできた。
きっかけをつかめた。
ならば、後はつかんだきっかけを全力で引き寄せるのみ。
ここで打つ手を間違えたら横浜までやって来たことが無駄になる。
そう緊張する私に、男は静かに尋ねてくる。
「あなたの名前は?
ここにはどうしてきたのですか。
今回、日本に来ることは友人たちの中でも少数にしか知らせてなかったのですが、どなたからの紹介でもあって?」
青い瞳が真っ直ぐに見つめてくる。
まるで、私の目から頭の奥にある隠し事を探りだそうとするかのように。
急に黙り込んでしまった私を見つめる男の顔が、怪訝そうにひそめられる。
ここで追い返されてしまっては元も子もない、何か言わなければ――私は意を決して奥の手を繰り出した。
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