『ひい…、ひい…、ひい…』




 こんな夢を見た。


 黄土色の天井に何かがぶら下がっていた。


 それは楕円状でいくつも連なっていて、まるで南国の果物のようにも見える。


 色は鮮やかな黄色ではなくて、どちらかというと熟れ過ぎてどす黒くなったような色合いに近い。 


 濁りきった溝のような紫色で見てるだけで不快に思えるような色合いだった。


 動くでもなく、増えるでもなくそれはへばりつくように木板にぶら下がっていて自分は水色の掛け布団を顎の辺りまで被りながらそれをじっと見つめていた。


 隣には母親が幼少の頃のように聞きなれたいびきをかいて寝ている。


 自分もまた幼児の頃に戻っていて、不思議なことに今は五歳の頃なんだなと薄い布団に横たわりながら考えていた。


 件の『それ』はまるで最初から取り付けられていたかのように違和感無くそこにある。


 古臭い電灯の横に存在している『それ』は気づくと少し大きくなっているようだ。 


 最初の頃は両手の拳を合わせたくらいの大きさに見えたそれは今は一回り肥大している。


 それと同時に『それ』は音を発していた。


「ひい…、ひい…、ひい…」


 まるでさび付いた金属を擦りあわせたようなその音はゆっくりとだが等間隔で鳴っていてさらに強く注視していると徐々に大きくなっているようだった。


「ひい…、ひい…、ひい…、ひい…、ひい…」


 ああそういうことか。


 身じろぎ一つせず見つめていて、あることに気づいた。


 『それ』は大きくなっているのではない。 


最初から増えてもいないし天井に貼りついていたわけでもない。


 『それ』は生物だった。


 まるで蓑虫のように根元には一つの腺が着いていて、それを天井の木板に引っ掛けて自分に近づいてきている。


 成長しているように見えたのは単純に『それ』と自分の距離が縮んでいたからなのだ。


 そして『それ』は電灯の紐の先を越えて自分のところへと堕ちてこようとしている。


 あれは何なのだろうか? 恐怖も何も感じない。 


ただただぼうっとこちらに向かってきている『それ』を観察し続ける。


 どれくらいの時間がたっただろう?


 数秒だろうか? 数分だろうか? あるいはもっとか? 


 時間の間隔は消えうせていた。 しかし『それ』が自分の顔に向かって進んでいることだけは理解していた。


 すでに立ち上がれば届く程の距離になってまたいくつか知ることが出来た。


 それは動いてないわけではない。 


 小さく…とても小さくだが動いていた。


 モゾモゾとあるいはピクピクとその柔らかそうな肢体を微かに動かしていた。


 あれは何だろうか? 何に似ているのだろう? 


 近くで見れば楕円よりもわずかに縦に長い。


 それらがひしめき合って蠢いている。


 ああ思い出した。 生物ならば蛭、あるいは蛆に形が似ている。


 だが大きさは何十倍も大きい。 


 一匹の大きさは一リットルペットボトルくらいだろう。


 音はさらに大きくそしてはっきり耳に入ってくるようになる。


「ひい…じ…ひい…も…ひい…じ…ひい…も…」


 硬質な音は近くで聞けば鳴き声に近い。


 いやそれは言葉にも聞こえる。


 だがまだ遠く、そして途切れ途切れになっているのでなんと言っているかはわからない。


 『それ』は這う様にゆっくりと降りる。


 上半身を起こせばたどり着く近さとなっているだろう。 だが自分は動かない。


 まるで『それ』と対比しているかのように身体は動かない。 いや動こうとすら思わない。


 やがて寝ている顔のすぐ前へとたどり着く。


 そこで全てが見えた。


 形はやはり蛭だ。 血をたっぷりと全身に吸ってパンパンに膨れている状態。


 蛭ならば吸血口に当たるであろう先端には穴が開いていてそこから歯が見える。


 ギザギザと尖ってはいない。 普通の人間の歯だ。 それが音に合わせてパクパクと動いている。


 発していた言葉はここまで近づいてくれれば聞こえてくる。


「ひも…じい…よ…ひも…じい…よ…ひも…じい…よ…ひも…じいよ…ひもじいよ」


 息絶え絶えに一文字一文字を吐き出す姿はまるで助けを求めているようだ。 あるいは発狂しているようにも思える。


 声色は一つ一つ違う。 一匹一匹が老若男女それぞれ違う声で同じ言葉を発している。


 ひもじいよ。 ひもじいよ。 ひもじいよ。 ひもじいよ。


 苦しそうに悲しそうに。 同じ言葉を何度も何度も何度も。


 ああ腹が減ったものな。 何日も何日も食べないで、水も飲めないで。


 虫も食べた。 木の皮も。 根も。 草も。 土すらも。 最後にはそれすらも。


 不思議に彼らに対しては何も沸かなかった。 

 恐怖も険悪も親近さも何も沸いてこなかった。 ただあるのはそうだったよなという納得だけだった。


 ズルリ。 真ん中の一匹がすべり落ちるようにひときわ低く前へ躍り出た。


 瞬間、隣の一匹が彼に食いついた。 ドロリと内容物が滴り落ちる。


 また別の一匹が彼に。 逆隣の一匹が。 今度は別の一匹が彼にかぶりつく。


 ひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよ ひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよ


 いくつもの群体がかつての一部を貪りあっている。 食われているほうも食っている方も同じ言葉を吐きあいながら共食いをしている。


 紫色の血を滴らせ、それを舐めあげながら、互いの仲間を食しあっている。


 合唱は変わらない。 様々な声が響きあいながら互いを食いつくしあってる。


 ひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよ ひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよひもじいよと。


 ふと隣の母親が動いた。 どうやら起きたようだ。


「お母さん、ひもじいって言ってるよ」


 隣の母に声を掛けると、ゆっくりと母が起き上がるのを感じた。 


 母の顔は『それ』に隠れていて見えない。 


だからもう一度大きな声で話しかけようと息を大きく吸おうとしたところで、


「ああ…ひもじいからお前を食わせておくれ」


 その言葉と同時に母が自分の身体に圧し掛かってきた。


 そこで目覚めることが出来た。


 今日もまたこんな悪夢を見た。

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