『夜の山道を走る』
こんな夢を見た。
そこは山道だった。
とても暗く、左側は崖になっているのにガードレールは無くて、操作を誤れば転落してしまうほど狭い。
なぜ俺はこんなところを車で走っているんだろうか?
助手席の女に問いかけるが、女は『知らないわ』とニヤニヤしている。
道はいよいよもって険しくなっていく。
あちらこちらには小石や木片が散らばり、それらの上を通るたびにバキリバキリという爆ぜる音が足元から聞こえてくる。
いけない! このままではタイヤが持たないかもしれない。
慎重にアクセルを踏みながら障害物を避けようとはするが、避けきれずそれらをタイヤで踏み抜いてしまう。
その度に車内は大きく揺れる。
進行方向もあらゆる方向にぶれてしまうので、崖の底に堕ちてしまわないように悪戦苦闘しながらハンドルを動かす。
それでも女は笑っていた。
声は出さず。 ニヤニヤと。
前面に集中しながら俺は横に居る女のことを考えていた。
果たしてこの女は誰なんだろうか?
背中まである長い髪。 切れ長の目、そして暗いというのに何故だか女の顔つきがはっきりとわかる。
だがその相貌は自分の記憶の中には存在しない人間であった。
「……もういいんじゃないの?」
突然女が口を開いた。 その声もやはり自分には心当たりの無い、綺麗ではあるが聞いたことも無い声色だ。
「な、何が……っだよ!」
道の真ん中に落ちていたひときわ大きな落枝の薄いところにタイヤを進ませながら返事をする。
踏み崩した枝の感触を間接的に足で感じる。
「いえ、まだ行けそうならそれでいいわ」
そういって女は口角を上げながら瞳を閉じた。
全く薄気味の悪い。 どうして俺は暗い山の中をこんな女と一緒に走っているんだろうか?
車内は静まり返っている。 息苦しいほどに。
ああ、早くここから抜け出したい。
「無理よ……ここからなんて一生抜けられないわ」
女がまた唐突につぶやく。
「…………そうか」
内心の言葉を言い当てられて驚きはしたが、いま集中を欠けば転落してしまうので淡白に受け流す。
チラリと助手席の向こう側を見ると、街の明かりも星空さえも見えないただただ無機質な暗闇だけが見えて、その先には何も存在しない虚無のように思えた。
「ええ、こちら側には何も無いわ」
また思ったことを言い当てられて振り向く。
そこで初めて女も俺に顔を向ける。
「でもそうなってしまえば楽になるの、必要の無い苦しみも不安からも解放される」
「…………」
女が何を言っているのかわからない。
ただ妙な説得感があった。 当たり前のことだとさえ思えた。
しかしその『正論』に納得することはできなかった。 というよりもしたくなかった。
女を無視してまた運転に集中する。
道はさらに狭く荒れはてて、またいつまで進めば終わるのかさえ見えない。
鬱蒼と茂る木々によって夜の闇はまた更に濃くなっている気がした。
そして女は相変わらず助手席に座りながら涼しい顔でそこにいる。
姿さえ見えなければ存在しないかのようだ。
窓の外は暗く、フロントランプの光すら闇に吸い込まれるようにだんだんと先が見えなくなってきた。
「はやく諦めなさいよ……楽になるわ」
静かな車内に女の言葉が反響するように残る。 いつまでも……いつまでも。
さすがに薄気味悪さと女の態度にイラついて怒鳴りつけようとした瞬間、視界が斜めになった。
脱落だ。 集中力を乱してしまって道の一部が欠損していたのを見逃していたのだ。
車は左へと傾いていく。
不思議にそれはゆっくりと感じた。 だが確実に車体は黒い海のような谷底へと引き寄せらているように堕ちていく。
それでも左下に見えた女は動じず、相変わらず笑っていた。
ゾッとしたが、生への未練から無意識に踏ん張って身体を逆方向側へと傾ける。
すると傾く速度が遅くなった。
もしかしたら助かるかも……。 もう一人分がこちら側へ来てくれれば。
「おい、早くこっちに……」
引っ張ろうと伸ばした腕は止まり、『来い!』という語尾も発することもできない。
薄気味悪く助手席に鎮座した女。 口元だけで笑いを表現していた女。
その女性がいま谷底へ落下しようとしているというのにこちらを見ていた。
切れ長の目を大きく見開いてゲラゲラと笑いながら。
そこで気づいた。
ああ女がもういいでしょうと言ったのはこういうことだったのだ。
諦めなさいといったのもこういうことだったのだ。
この真下に広がる底の見えない闇の汚泥に堕ちてしまえというのが女の望みだったのだ。
車の傾きはやがて矯正できる範囲を越え、浮遊感とともに堕ちていく。
悲鳴すら上げられない俺の耳の中には女の狂気じみた笑いだけが聞こえていた。
いつまでも……。 いつまでも……。
そこで目が覚めた。
中途半端に閉めたカーテンからは明るい日差しが伸びてベッドの上を照らしてくれている。
それでも夢の中で感じた閉塞感と見えない終わりに対する焦り、そして恐怖は消えてくれず、泥のような『何か』が身体の中に充満しているようでひたすら心は重かった。
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