バイト軍師シボーさん
雲江斬太
第一部 軍師、アラサーにて立つ
第一計 八卦良い、軍師
松山
「え、それ、ほんとなんですか?」
思わず同じバイトのオータニくんに確認してしまった。
「あ、らしーですね」
休憩室のテーブルに缶コーヒーを置いて、オータニくんはうなずく。
「えー、いつまでなんですか?」
「今月いっぱいだって聞きました。あ、でも、急な話じゃなくて、前から決まってたらしいですよ」
「へえ、そうなんですか」
玄徳はがっくり肩を落とした。
社員の南雲麻衣さんには、すこし憧れていたのだ。
茶髪ロングの清楚系美人。誰にでも優しくて、責任感も強く、面倒見も良かった。玄徳がこの書店でバイトを始めたときも、レジの打ち方から接客の基本まで、微に入り細を穿つように指導してくれたのが、南雲さんだ。つまり玄徳の師匠といっても過言ではない。
その南雲さんが退社する。しかも寿退社。
これは玄徳にとって極めてショックな事件であり、残念なことであった。もうすぐ職場からあの南雲さんがいなくなってしまうとは。
と、同時に、やめてゆく南雲さんのために、何かしてあげたい。何か自分にできないであろうか? 玄徳はそんな気持ちになった。
そうだ、何かプレゼントを買って贈ろう。ぼく一人じゃ大した物を贈れないけど、何人かに声をかけて、みんなからお金を集めて、南雲さんが喜ぶようなものを買ってあげればいいのだ。
玄徳はバイトが終わる17時まで考えて、そういう結論に達した。
玄徳が働く太公堂書店は池袋のデパートの10階にあり、かなり大きなフロアを占めている。売り場面積も広いし、従業員も50人ちかい。バイトだけでも30人オーバーだ。ただしその人数は、たまにしか来ない遅番の学生とかも数えてだから、通常メインで働いているとなると、実質15から20人。ひとり500円集めても、一万円近い金額になり、ちょっとした物を買える計算である。
思いついた玄徳は、帰る前に、さっそく同じバイトの大道寺さんにたずねてみた。
太公堂書店の売り場は、3つの部署に分かれている。
1レジ、2レジ、インフォだ。
1レジは新刊書、雑誌、文庫、新書などの一般書籍。2レジは児童書、参考書、地図ガイド、コミックなどの書籍を担当している。インフォとはインフォメーションの略で、専門書売り場と予約受付コーナーの合わさった部署。書籍検索機もここに置いてある。
玄徳は1レジ所属である。
今度退社する南雲さんは1レジ所属の社員で、担当は新書。新書というと、新しい書籍と勘違いしている人もいるが、これは「文庫」と同じで、新書版という大きさのそういうシリーズを各出版社が出していて、それを指す。岩波新書とかカッパノベルズとかだ。
で、玄徳が相談した大道寺さんは、新刊書担当。
これはハードカバーとかソフトカバーとか四六判とか、最近出版された書籍を扱う担当で、文芸作品からノンフィクション、有名な芸能人の自伝とか、ある意味ノンジャンルなのだが、書店の入り口近くに置かれるような注目の書籍の担当だと思って構わない。いわゆる花形である。
この新刊書担当の大道寺さんは、バイト歴もそこそこ長く、頼りになる人だ。1レジのバイトのリーダー格。
みんなからお金を集めて、南雲さんになにかプレゼントするというアイディアを相談するにはうってつけの人材だった。
玄徳が南雲さんにプレゼントを渡すアイディアを話すと、大道寺さんは、「お、いいね」と同意してくれた。
「じゃあ、おれが1レジのみんなから金集めておくから、松山くんは2レジとインフォの人たちから集めてきてよ」
「あ、わかりました」
玄徳はほっとし、やっぱり大道寺さんに頼んで正解だったと安堵しながら、2レジの方へ向かった。
2レジのそばで作業をしていたバイトの八重垣さんを捕まえて話しかける。
2レジの人間関係は知らないが、八重垣さんはかなり年上のおじさんで児童書担当。リーダー格ではないのだが、結構他のバイトの人たちに話をつけてくれそうなので、玄徳は安心してアイディアを話した。
「え? お金集めるの?」
デニムのエプロンをつけて棚整理していた八重垣さんは、ちょっと眉をしかめた。
「あ、ダメですかね」
やはりおじさんという人種は頭が堅いか? 玄徳は首をすくめる。みんなでお金出すくらいいいと思うんだけど。これは南雲さんに対する感謝の気持ちなのだから。
「うーん。そういうのって、どうしても強制的になっちゃうでしょ。拒絶反応起こしたり、嫌な思いする人も出てこないかな」
「はあ」玄徳は、大道寺さんが賛成してくれたことを告げようかと思ったが、それを言ってこの八重垣のおっさんが腹を立てたら厄介だと思い、黙っていることにする。
「それよりも、送別会を開くっていうのはどう?」
八重垣のおっさんは、さも良いことを思いついたと言わんばかりに、顔を輝かせる。
「南雲さんの送別会は、社員さんたちでやるみたいなんだけど、もちろんぼくらバイトはそれには呼ばれないでしょ。だから、ぼくらバイトたちだけで南雲さんの送別会を開いてあげるの。それの幹事を君がやってあげれば、きっと南雲さんも喜ぶよ」
「え、送別会の幹事ですか?」玄徳は口を尖らせる。「ぼく、幹事とかそういうの、やるタイプではないですよ」
飲み会の幹事とは、すなわちクラスでみんなの中心になっているリーダーみたいな人がやるものだ。玄徳のように目立たないモブみたいなキャラがやる役職ではない。
「だったら、シボーさんに手伝ってもらいなよ」
「えー、シボーさんですか」
玄徳は露骨に嫌な顔をした。そうでもしないと、送別会をやることになり、さらにその幹事まで、無理やりやらされかねない。
しかも、シボーさんと一緒とは……。
シボーさんとは、2レジのバイトの
ひょろりとした細身で、胸はない。黒髪を背中に垂らし、化粧っけはまったく無し。黒ブチ眼鏡で、腐女子だろうという噂の女性だ。なんにしろ、とっつきにくく、笑ったところなんて一度も見たことない。
「ぼく、あの人苦手なんですけど」
「でもさ」八重垣さんは、にこりと笑う。「彼女、名軍師だよ。シボーさんを軍師に立てて、送別会、開きなよ」
「はあ」玄徳はため息をついてから、ふと疑問に思ったことをたずねる。
「あの、軍師って審判って意味ですよね?」
「え?」八重垣さんは固まってしまった。「……それは
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