第10話 僕の決断

 葬儀客の待合室の一つが空いていたので、そこに月見里さんと連れ立って入った。

「御園倫です。青木千依の娘です」

「御園は、亡くなったお父さんの」

「そうです。いつも青木倫って名乗るけど、本当は嫌だから」

「そう、それで、話って?」

 薄い唇、高い背、猫のようなつり目、黒髪のロング。

 どこをとっても月見里さんのルックスは、ママとは正反対だった。

 ママは厚めのぽってりとした唇に、背はそこまで高くない。丸っこい瞳が犬みたい。ずっとショートカット。

 最後のパートナーに、ここまで正反対な人をキリが選ぶとは思えなかった。

「月見里さん、本当はキリのパートナーじゃないんでしょ?」

「……どうして、そう思うの?」

「キリのタイプの女の人じゃない」

 月見里さんの猫目が細められた。

 薄い唇が歪んで、大きな声で笑い出した。ここが葬儀場ということを忘れるほど。

「あっははははは、あっさりバレた。しかもキリの女の趣味で! いや〜やっぱりこういうのは子供の方がよく見てんのね! あ、ごめん、ずっとこういう喋り方でもいいかな。畏まった喋り方って肩が凝って。君もタメでいいからさ」

 変貌した月見里さんに少し戸惑った。仰け反りながら、うん、と頷く。

「月見里さんは、キリの?」

「友達かなあ、いや、私もビアンだけどさ。お互い友情だけだよ。キリはあのルックスでしょ? 完全なボイタチでネコの子にモッテモテ。女なんて途切れないわよ、続かないけどね」

 確かにキリはかっこいい。なんというか、女子校でよくいるモテる女子って感じ。

「ママの家を出て行った後、キリは付き合ってる人がいたの?」

「そりゃ何人もいたよ。ただ続かないんだよね。よくほっぺ腫らして酒飲みに来てたよ。またやらかした、って。君のママの名前、ほら、なんだっけ」

「千依」

「そうそう。相手の女の子をうっかりすぐ千依って呼んじゃって。好きだったんだね、よっぽど。それでもう毎回修羅場修羅場。その女誰よ! って」

 クスクスと思い出したのか月見里さんが笑い出す。

 やっぱりキリはママのことが好きだったんだ。当時はよくわからなかったけど、大人に近づくにつれてなんとなくわかってきた。

 でもどうしてそれなら死ぬ直前に月見里さんをパートナーに仕立て上げたりして、ママを騙したんだろう。

「キリのことさ、私看取ったんだよね。入院してから三ヶ月間、ずっと世話してたから。キリ、ほらああいうやつだから。両親とも絶縁状態で面倒見るの私くらいだったし。ま、死んだことくらいは伝えてやるけどさ。キリ、君と君のママと過ごした時間は短かったけど生涯で一番幸せだったって言ってたよ。だから、あんな別れ方したこと後悔してた」

「何も言わずに出て行ったこと?」

「まあ、そういうこと。千依はそういうの気に病むタイプだから、でも今更自分が彼女の前に現れるわけにもいかないし。だから、私をパートナーってことにして、君のママがいなくても幸せだってことを伝えてくれって頼まれた。遺言だよね、キリの」

「ああ……」

 最期まで不器用な人だ。あの日、遊園地に行く時、僕の手を握った手が震えていた。ママは、多分死ぬまでキリがママのことを好きでも、キリのことを嫌いになんてならなかったよ。

 だって、短い間でも家族だったから。

 ごっこ遊びだったとしても、楽しかったから。

「君もさ、まあ、複雑な立場だろうけど、許してあげてね。キリのこと」

「許す、なんて」

 キリに最後に会った日を思い出した。

「僕、一回だけ、キリにあった。キリが夜中に出て行く時、たまたま目が覚めた。どこ行くの、って泣きそうな僕に、キリは一枚メモを渡して、本当に何かあった時に会おう、って言ってくれた。だからこのことはママには内緒。キリと僕だけの約束。メモには住所が書いてあった」

「会いにいったの?」

「小1になってから」

「どうして?」

「ママと青木さんがやってるとこ見ちゃったから」

 月見里さんが絶句した。そりゃそうだ。僕もそんなもの見たくなかった。

「僕はずっと引き出しにしまっていた住所に向かった。電車にも初めて乗った。親切にも交番の警察官が案内してくれたんだ。嘘はついたよ、親戚のおばさんの家におつかいに頼まれたけど道がわからなくなっちゃったって。古いアパートの一室、そこにキリはいた」

「10年ちょっと前か……私とキリが知り合って間もない時だわ」

 月見里さんがあのアパートね、と当時を思い出したのか何度も頷いた。

「キリは最初びっくりしてた。まさか小1の子が一人で電車に乗ってやってくるんだもん。まあ、それだけ非常事態だったってことかな。キリは中に入れてくれた」

「どうやって話したの? まさか、何してるかなんて小1じゃよくわかんなかったでしょ」

「だけど、ママがのしかかられて声をあげてたのはわかった。だから僕は好きな人と結婚したらあんな風に押しつぶされなきゃいけないの? 僕が女の子だからなの? そんなのいやだ! 僕は女の子になんかならない!って泣き喚いた」

「……君、なんとなくわかってたけど」

「それは、後でもいいよね」

「うん。ごめん、続けて」

「キリはまたびっくりしてた。でも僕が落ち着くまで待った。それから話し出した。『君はまだ子供だから、これからその考えは変わるかもしれない。変わらないかもしれない。だけど変わらないからといって落ち込む必要もない。変わったから喜ぶ必要もない。君がしたいようにすればいい。君は子供である前に一人の個人だ。例え世界中の人が、そうだな、君のママでさえも君の選択を否定したとしても、私だけは君自身を尊重する。女の子でいなくたっていい。男の子になろうともしなくていい。君は君のなりたいようになればいい。倫は倫でいればいいんだ。そして私が言えるのはこれだけだし、これ以上君に伝えることもない』……それほどまだ男の子になりたいわけでもなかったけど女の子でもありたくなかった当時の僕にとってどれだけ救いになったことか。キリはやっぱりヒーローだった。僕にとって、いちばんの」

「理屈っぽい、キリらしい演説」

 月見里さんが曖昧に笑った。キリは短く喋ることができない人だった。でも、その長さが心地よかった。

「でも、それ以来会ってない」

「あら、どうして?」

「キリは言ったんだ。『もうここにきてはいけない。君は君自身で歩かなければならない。だけど忘れないで。私はずっと君と、君のママの味方だから』って」

「でも、会おうと思えば会えたんじゃないの?」

「ううん、我慢できなくて一年後にもう一度訪れたけれど、もう違う人が入居してた。僕が来て、すぐに引っ越したらしい。徹底してるよね」

「あ……そっか。確かにその頃引っ越ししてた。急だったから何事かと思ったけど、そういうことだったんだ」

 なるほど、と月見里さんが呟く。キリの最後の寂しそうな顔。今でも目に焼き付いてる。キリは愛されることを諦めてた。だから、2度と僕たちの前に姿を現さなかった。

「それで、君はどうやって歩くことにしたの」

「……それが、分からなくて。でも、さっきはっきりした。やっぱり、僕はキリが言ったように僕自身のしたいように歩きたい。こんなスカート、履きたくないんだ。僕は、僕のしたいようにキリを送り出したいんだ」

 月見里さんがしょうがなさそうに笑った。それからハンドバックの中を探って、一万円札を数枚僕に差し出す。

「これで、今すぐスーツ買って来なさい。早くしないと出棺しちゃう」

「で、でも……」

「いいのよ、どうせ君のママの香典から抜いてんだから」

「……ありがとう」

 一万円札を受け取って、ポケットにねじ込む。

 そこで、ずっと疑問に思っていたことがあった。

「何してんの、早く行きなよ」

「月見里さん、本当は……本当はキリのことを好きだったんじゃ……」

 月見里さんの顔が固まった。

 でも、すぐに観念したように力なく笑った。

「キリが言ってたよ。『倫は私がこの世で最も愛した女性の娘なんだ。だから、倫は千依以上に愛しいと思う。彼女が困らないように、このお金は倫にあげてほしい』って。……まあ、そんなキリが愛しいと思う娘を、私も等しく愛しいと、幸せを願ってる。これが答えでいいよね」

 小さくうなずいて、部屋を出た。

 部屋の中からくぐもった声が聞こえた。

 誰もが誰かを想ってる。

 僕もそんな風に、誰かを愛せる日がくると思うんだ。

 だって、僕はこんなにもたくさんの人に愛されて来た。

 僕は僕自身のしたいように歩きながら、きっといつか。


 僕はヒールを脱いで走り出した。

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家族ごっこ 葛原 千 @kiruru0202

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