第9話 マイヒーロー

13年の月日は長いのか、短いのか、まだ18の僕には分からなかった。

初めて着る喪服は動きづらくてサイテーだった。

「キリ……」

隣でママが涙ぐんでる。だって、あれがママとキリの今生の別れだったんだから。

青木さんが、ママの肩を抱いていた。

キリが出ていってから、ママは憔悴して、パパの仏壇に話しかけてる時だけが救いの時間だった。

そんなママを支えたのが青木さんだった。

でも青木さんの支え方はサイテーだった。

君は悪くないよ、悪いのはあっちだろ、やっぱり下心があったってことだろ、結婚を祝福できないってのは。だから言っただろ、キリって女はそういうやつだったんだよ。君はよく頑張った。もう頑張らなくていいんだよ。僕が支えるから。

まるで、キリが全部悪いみたいな言い方。せめて、それはまだ5歳の僕の前で言って欲しくなかった。

パパが突然いなくなって、戸惑いと寂しさの中、遊園地の観覧車であの景色を見せてくれたキリは、ヒーローだった。

キリは僕に甘かった。内緒ね、って何度もお菓子を買ってくれたし、絵本もたくさん買ってくれた。その度にママに怒られてたけど、本だけはいくら買い与えてもいいんだと言って譲らなかった。

そのおかげが僕は本が大好きになった。

ちゃん付けで呼ばれることに抵抗したのは、女の子みたいだからだ。

本当にそうだったのか知らないけど、キリが君と同じ理由でちゃんをつけるなと言ってくれた時、趣味の合う友達を初めて見つけたような、そんな歓喜があった。

本は僕を救ってくれた。男でありたい僕と、第二次性徴によって女に成り果てる肉体のギャップ。でも空想の世界、お話の世界に入って仕舞えば、自分は消えて、僕はジャングルを突き進む冒険者にも、戦禍を切り裂く勇猛な兵士にも、難事件を華麗に紐解く名探偵にも何にだってなれた。

現実から逃げる手段をキリは与えてくれた。

だから、キリのことをそんな言い方する人を、パパなんて呼べなかった。

僕のパパは、死んじゃったパパだけで、僕のママは、今泣いてるママで、僕のヒーローはキリ、ただ一人だから。

だから——故 鳴海キリの文字が未だに信じられない。

生まれた時から暮らす家に、訃報は届いた。

差出人は月見里莉美やまなしりみという女性。この葬儀の喪主も務めている。

末期の乳がんで、39歳という若さだった。

遺体は見なかった。ヒーローがやせ細って、冷たくなっている姿なんて、見たくないから。

僕の記憶の中のキリはボブカットを揺らして、行ってきますとパリッとしたスーツを決めて出て行く姿でいい。

「失礼ですが、青木さんご一家の方?」

近づいてきたのは、喪主の女性、月見里莉美だった。

「そうですが」

泣きじゃくるママに変わって、青木さんが答えた。

「キリからの伝言をお伝えしたくて」

「伝言?」

ママが顔を上げた。月見里さんが、上着のポケットから便箋を取り出した。

『千依へ 君への誠意を尽くさずに家を出たことをお詫びしたい。もしも、私のことで気に病んでいるのなら一切合切忘れていただきたい。私は死ぬまで幸せだった。新たなパートナーもできた。目の前にいる彼女がそうだ。君に長い間嫌な思いをさせたことを本当に申し訳なく思う。ほんの少しながら貯金がある。それは全額倫のために使ってくれ。端金だが、役に立つことを願う。 鳴海』

月見里さんが便箋を丁寧に折りたたんで、ママに手渡した。

ママが震える声で月見里さんに尋ねる。

「……あなたが、キリの?」

「ええ」

「キリは、一人で死んでいったんじゃないんですね?」

「もちろん」

「……よかった……!」

再び顔を覆って泣き始めたママを、青木さんが支える。

月見里さんはどこか寂しげな顔つきで二人を見つめると、背を向けた。

「待って!」

驚いた顔で、月見里さんが振り返った。背の高い月見里さん。ママとは頭一つ分くらい違う。

「時間、ありますか?」

月見里さんが腕時計を確認して、出棺までなら、と微笑んだ。

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