第6話 出会い

ピクニックから帰ってきても、倫の前ではいつも通りを崩さなかったが、倫が寝室で眠りについてからは、キリは私を避けるようになった。

キリは昔から難しい子だった。離れ過ぎればそのまま追いかけることはしないが、割り切ることができずに寂しがる。かと言って、近づき過ぎれば自分のテリトリーを守るために線引きをして殻を作り始める。

大抵は日が経つにつれて距離感は戻ると同時にキリもいつもの調子に戻るのだが、今回はそうも行かなかった。

そんな息苦しい日々が二ヶ月ほど続いた頃だった——青木海斗あおきかいとが、新人弁護士として私の勤める法律事務所に赴任したのは。

新人弁護士といっても年は私より2つ上の28歳。大学卒業後、司法試験に何度か落ち、苦心の末に合格。司法修習を終え、晴れて弁護士バッチを胸につけたという。

所長先生以外の弁護士先生はみんな40から50代のベテラン先生だし、私以外では唯一の女性である所長先生だって民事のプロで60代をすぎても精力的に弁護活動を行なっている。だが、それが余計に堅苦しい雰囲気を作り出していた。

だから、青木さんはそんな雰囲気を割く新鮮な風だった。新人の割には仕事もよくできるし、民事メインの弁護士としてのキャリアを、所長先生にひっつきながら順調に積んでいる。

私ともフレンドリーに接してくれるし、家でも少しギスギスしていた私にとっての癒しだった。

ある時他の先生がみんな出払って、私と青木さん、二人きりになった。

「春川さんって、パートですよね? やっぱご結婚されてる?」

「あ、いえ……主人を一年ほど前に事故で亡くしたものですから。今は独身ですけど、5歳になったばかりの娘がいます」

一昨日行った倫の誕生日パーティーを思い出す。キリが大きなホールケーキを買ってきてくれて、そこには倫のいまはまっている魔法少女のアニメの主人公がデコレーションとして描かれていた。倫は飛び上がって喜び、夢中になって五本の蝋燭を吹き消した。

その場では飛びつく倫に笑みを浮かべながら私にも普通に接するのに、倫が寝た後はやっぱりさっさと風呂に入ってソファーに身を沈め眠ってしまう。

いつまでこんな生活続けるのかとうんざりした気持ちになる。でも、こんなこと青木さんには愚痴れないし。

あまりにもあっけらかんとした告白だったからか、それともそんなケースいくらでも民事で見てきたせいか、青木さんの反応もアッサリしたものだった。

「そうでしたか、でも、このパートだけじゃだいぶ苦しくないですか? 春川さんだけならともかく、娘さんもってなると……」

「……まあ、実家の援助も、主人の生命保険もありますから。今は娘との時間を大切にしたくて」

キリのことは隠した。

しかしいつもは言おうか逡巡するものを、青木さんの前では、絶対に知られちゃいけないって思ってしまった。

それから何日かして、青木さんが有名なレストランへランチに誘ってくれた。

私達が交際を始めるのに、そう時間はかからなかった。

倫のことがあるから、しばらくはプラトニックなお付き合いだった。しかし、友人と盛り上がっていると嘘をついて一晩倫をキリに預けた夜、私は青木さんと寝た。

それからは話が早かった。

青木さんは、倫にあわせて欲しいと言った。

実質的に婚約の申し出だった。

このまま結婚となれば、当然キリと一緒に暮らすことはできない。しかしこの生活に慣れた倫は初めのうちはついていけずにキリのことを求めるだろう。

どうしたって、キリとのことは青木さんにバレる。

「青木さん、その前に話さなきゃいけないことがあるの」


私は青木さんに今の生活の全てを話した。

夫を亡くしてすぐにキリと同居を始めたこと。

キリに生活援助をしてもらっていること。

キリは私のことが好きなこと。

青木さんは新人とはいえ流石は民事の弁護士だ。私の奇怪な生活の告白も、顔色ひとつ変えずに聞いてくれた。

「……要は、ヒモ女なのよ。同性とはいえ相手の好意を利用して、青木さん、軽蔑するよね」

「それは違う。君は倫ちゃんを守るために自分を犠牲にしたんだ。利用したのはそのキリとかいう女の方だろ。断れない状況で君にそんな提案をしたんだから。君は立派だよ」

「犠牲……」

脳裡に並んで夕食を囲む倫とキリの姿が浮かんだ。

それだけじゃない。

遊園地の帰り道、疲れて眠ってしまった倫をおぶってくれたキリのこと。

私が体調を崩した日にキリと倫が水っぽいお粥を作ってくれたこと。

全員で寝坊した日の朝、キリが下手くそな三つ編みを倫にやってくれたこと。

「犠牲なんかじゃない」

「どうして? 不本意の上経済的に弱味を握られていたも同然じゃないか」

「そうだったとしても、家族だったのよ。最初こそ抵抗はあったわ。でも、キリは絶対に私に嫌なことなんてしなかった。夫のいなくなった穴を埋めてくれた。私たち、家族だったのよ」

ぽろぽろと涙が落ちるたびに走馬灯のようにこれまでの優しかった日々が通り過ぎて行く。

でも、これでおしまい。

「だから、キリのことをそういう風にいうのは嫌だな」

ぎこちなく無理やり作った笑顔に、青木さんは戸惑ったみたいだけど、ごめん、言いすぎた、と謝ってくれた。

青木さん、後ろめたそうな顔。誤解をとかなくちゃ。もう、ごっこ遊びはおしまい。

「だけど、青木さん、私、あなたのことが大好き。娘にも会わせたいし、娘のお父さんにもなってほしい。でもほんの少し時間が欲しい。家族ごっこを終わらせる時間。だってね、家族と夫婦はやっぱり違うから。でも、それを話し合わせて欲しいの、二人で。折り合いがついたら、倫に会って。お願い」

青木さんが少し表情を緩めて分かったよ、と私の手を握った。

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