第6話 クーラーボックス


「だいたい修は肉の食いすぎだ」

秀平爺さんが説教しはじめた。

「日本人なら魚だ、魚を食わなきゃ」

「はぁ」

白い息を吐いて修はうなずくしかなかった。その両親指には白いテープが巻かれていた。疲労骨折である。

コンテストに向け張り切りすぎたのだ。秀平の技術を習得しようと力んでいたのか、力に頼っていたツケが溜まっていたのか、気がついたら左右ともに故障していた。


休業中だった修に秀平から筏釣いかだづりの誘いがあった。ドライバー兼荷物持ちとして呼ばれたのだ。暇を持て余していた修に断る理由はなかった。


まだ夜明け前の岸壁に四人分の釣り具とクーラボックス、さらに大量の撒き餌コマセを運ぶ。

その後ろに秀平と秀平をいつも指名している二人の客が続く。

一人は静香だった。手作り弁当を持参したというので修は今から楽しみである。

もう一人は大浜という中年の男だ。自分の名字を店名にした料理屋を営んでいるという。名前から連想されるとおり魚介類を中心とした和食系の店らしい。


3月とはいえ風を遮るもののない海上での釣りだ。全員レインウェアの下は防寒装備だ。

大浜がくしゃみをして固まってしまう。

「危なかった……」

大浜は花粉症で数年前の今頃くしゃみをしたとたん腰がバキッと音をたて、以来腰痛に苦しんでいるという。

いくつもの病院や接骨院などを渡り歩き『コリ楽門』にたどりついたのが去年の暮。たまたま大浜に付いた秀平によって楽になったため以来贔屓客になっていた。



渡し船は何組かの客をそれぞれの筏に下ろしてまわった。

一番元気な修がまず筏に乗り移り荷物を受け取っていく。

秀平と大浜は船の揺れに合わせて危なげなく渡ったが静香はタイミングをはかりかねていた。

「キャッ」

修が手を伸ばし静香を引き寄せると抱きつくように跳び移ってきた。役得である。

「朝からイチャイチャするなって」

秀平がからかう。


ジャンケンで筏のどこに陣取るかを決め、それぞれが四隅に陣取ったところで撒き餌を作り海にほりこんでいく。

クーラボックスに腰掛けひたすら作業に没頭した。

静香と大浜は初心者なので経験のある秀平と修が手ほどきする。

筏は長方形で、短い辺の側で隣合った修が静香を教えることになった。


「こうやって釣り針に餌を付けたら回りを撒き餌の団子で固めて投入します」

「これで針にかかるの?」

爆弾おにぎりのような塊を眺め不思議そうに静香が首をひねる。

「エサ取りが凄いから大丈夫」

「エサ取り?」

「チヌじゃない小魚が寄ってたかって食い荒散らかすんだ」

「へぇ〜」

説明に静香が感心したように海をのぞきこむ。


やがて日の出が近づくとアタリが出始めた。

秀平がボラをあげ、次いで静香の竿にもヒットした。

ワーワーキャーキャー騒がしい静香にリールの巻き方から丁寧に指導しているとやがて魚影が確認できた。

チヌだ。

ビギナーズラック恐るべし。

 

プシュッと音がした。

「修、バタバタ足音立てるな。魚が逃げるぞ」

秀平がクーラボックスから取り出した缶ビールの栓をあけ注意する。

「だってチヌですよ」

修が告げると慌てた秀平が缶ビールと玉網を両手にバタバタと駆け寄る。


上がったのは40㎝オーバーのクロダイだった。

そのあとも静香にだけチヌはかかり、秀平はボラばかり、大浜は大タコとカレイを上げて「これはいいお造りができる」とさすがは料理人、外道にも笑顔だ。

それに引きかえ修にはクサフグしか来なかった。膨れ面になりそうだった。


日が昇りきり一段落ついたところで静香の弁当で食事となった。

修は欠食児童のように飛びついた。

「静香ちゃんはいいお嫁さんになれるね」

大浜が静香の料理をほめた。

「盛り付けの色合いといい味のバラエティといい文句なしです」

プロのお墨付きをもらい静香はしきりに照れた。


「♪万里の長城で小便すれば ゴビの砂漠に虹がたつ

ヨーイヨーイ デッカンショ」

秀平はおかずをつまみにして聞いたこともない歌詞のデカンショ節を歌い始めた。ご機嫌である。

「酔っ払って海に落ちないでくださいよ」

呆れて修が忠告する。

「秀平さん、わたしの腰痛のことも忘れないでくださいよ」

大浜が修に続いた。

「腰痛?」

「はい筏釣りに付き合ってくれたら腰痛を治してやるって」

修はけげんな顔をした。

修たちがやっているのはマッサージではなくリラクゼーションであり医療行為とは違う。したがって治る、治すという言葉は御法度ごはっとなのだ。

もちろん秀平爺さんは按摩師として慰安、治療、どちらの技も使いこなせるが。

「治るどころかクーラボックスに座りっぱなしで尻が痛くなってきましたよ」

大浜は苦笑していた。



結局めぼしい釣果は朝方だけでその後はエサ取りにやられっぱなしだった。クサフグでもかかればまだましで釣り針だけが虚しく上がってくる。

昼もかなり過ぎそろそろ帰り支度をしようかというころ、いまだボウズの修は静香にいいところを見せられず焦っていた。

キラキラと光るエサ取りの魚群が我が物顔で泳ぎ回っているのを憎らしそうに睨みつける。

(こいつらさえいなければ……そうだ、こいつらを全部退治したらいいんだ!)

煮詰まっていた修はエサを付けただけの釣り糸をふわりと海面に浮かべた。

一拍もおかずアタリがきた。

「よっしゃー!」

まるでチヌでもかかったような快哉をあげる。

何事かと注目される中、細長い銀影がおどった。

修は最初サンマでもかかったのかと思った。

「サヨリだ」

大浜が近寄って確認する。

「しかも大きい!」

「どうやって釣ったの?」

静香ものぞきこんできた。


この後はサヨリ祭りだった。

まさに入れ食い状態。

クーラボックスに入りきらないほどのサヨリを釣り上げた。


意気揚々と引き上げる4人が陸に上がったとき大浜に異変が起きた。

ポカンとした表情で歩き回ったりかがんだりしている。

修は波に揺られている感覚が残っているのでフワフワしているのかなと思った。

「大丈夫です?酔いましたか?」

「腰が治った!」

泣き笑いの大浜が腰に手を当てて叫んだ。

「痛くない!」

「え?」

修は呆然として秀平へと視線をうつした。

秀平は「へへっ」という形に唇を曲げていた。



『大浜』で快気祝いの宴会が始まった。

休業日だが常連客を呼び集め本日の魚を肴に盛り上がった。

一生のお付き合いかと思われた腰痛が完治したのだ。大浜の喜びようは半端なかった。


「腰痛は座り方しだいだ」

秀平はただそう言ってビールをうまそうに飲み干した。

「飲み込むタイミングがわからないわ」

隣では静香が初めて食べる生ダコに戸惑っていた。


とても腰にいいとは思えない堅いクーラボックスに腰掛け、前のめりになって撒き餌や釣りを一日繰り返す作業。

これら全てが秀平の計算通りだとしたら何を狙っていたのか。

「仙骨……なのか?」

骨盤にある三角地帯が思い浮かんだ。

腰痛と一口でいっても原因や症状はさまざまだ。

大浜の場合そもそもの原因はくしゃみと特定されていて秀平には治し方もわかっていた。釣りという形を借りて治しただけなのだろう。筏釣りに誘われたのはこれを見せたかったからではないか。

修はサヨリの昆布締めを口に運びながら秀平にまた「盗め」と言われた気がした。



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