第4話 遊歴整体師
坂道を駆け上がる電動アシスト付きのロードバイク。
ハンドルを握る小柄な男が機嫌よく口笛を吹いている。
男の名前は
長年愛用していたロードバイクのフレームがいかれたため新車に買い換えての初乗りだった。
悩んだ末に電動アシスト自転車を購入したのには訳がある。
体力の問題だ。
ペダルを漕ぐだけならまだ二十代の者に負けないが身体にダメージが残るようになった。
仕事に支障をきたすのは避けたかったのだ。
職業は整体師ということになっているがとくに国家資格があるわけでもなく試験があるわけでもない。誰でも整体師と名乗れば整体師だ。
だからこそなるべくベストな状態で最高のパフォーマンスを発揮したいと考えている。
客より疲れてヨレヨレの整体師にいい仕事ができるはずがないというのが持論だ。
とくに折戸の場合ホームグラウンドを持っていない。
SUV車に自転車を積んで日本中を旅して回っている。
行く先々の整体院や揉みほぐし屋の世話になり趣味の神社巡りをしたり地方グルメを味わったりして毎日を過ごしていた。
だから疲れた顔をしていたらそれだけで舐められてしまう。
常に明るく自信満々で店や客に対峙する。それが折戸の流儀だった。
もちろん技術の裏付けあってのことだ。
電動アシストの効果は絶大で折戸は景色を楽しみつつ山を登った。
坂道はやがて森の中に入っていき古い鳥居の前で行き止まりとなった。
鳥居をくぐると急峻な石段が壁のようにそびえていた。
見れば杖に良さそうな木の枝が何本も転がっている。
氏子が参拝客のために用意した物なのだろう。
しばし逡巡して折戸は小柄な自分に合った短めな枝を拾いあげた。
「転ばぬ先の杖、か」
足腰には自信があったが怪我をしてはつまらないのでありがたく拝借することにした。
一段目に足を掛けたところでスマホが鳴った。
身を寄せている『ふる里整体院』からだった。
用件はわかっている。勤務の延長だ。
一ヶ月か二ヶ月で次の地方へ行ってしまう折戸を慰留したいのだ。
あえて無視して階段を登りはじめた。
息をはずませようやく登り終えると古びた社殿が見えてきた。無人の境内を散策したが由来がわかるような看板は見当たらない。
とりあえず参拝しようと賽銭の小銭をさぐっていると裏手から若い女が現れた。
ロボットのような歩き方をする奇妙な女だった。
折戸はそそくさとニ礼ニ拍手すると女と入れ代わりに裏手に向かった。
少し歩くと小さな駐車場がありワゴン車が停まっていた。
女が狐狸の類ではないと納得して引き返すと角を曲がってきた女とすれ違う形になった。
やはりロボットのようなギクシャクとした違和感があった。
折戸の会釈にもぎこちなく顎を突き出してこたえる。
気味が悪くなってきた折戸は逃げるように階段をいっきに駆け降りロードバイクにまたがった。
コーナーをぎりぎりかすめるようにして森を抜けようやく明るい所まで出て落ち着いた。
ホッとして気を抜いた心の隙を突くように脇道から車のボンネットが飛び出してきた。
たまらずバランスを崩した折戸が転倒する。幸い待避所の草むらで怪我はしなかったが文句の一つでも言わなければおさまりがつかなかった。
運転手は先ほどの女でひどくうろたえていた。
「ちゃんと左右の確認しろよ」
「ごめんなさい」
涙ぐみながら詫びる。
「わたし今……首が……うまく動かないんです」
「は?」
「右も左も後ろもひどく寝違えて……」
「はあ?」
「しょっちゅう寝違えるので治るように願掛けに来た帰りで……」
「いやまず病院行きなさいよ」
「寝違えぐらいで病院はちょっと……あ、わたしよりあなた、怪我はありませんか?」
「たぶん大丈夫だけどさ、というかそれ本当に寝違え?首の骨でもずれてるんじゃないの?」
「まさか、そんなこと……」
「最近ひっくり返ったり頭ぶつけたりしなかった?」
「うーんベッドから落ちるぐらいしか」
「落ちたの?」
「落ちました」
「いつ?」
「昨晩、だから寝違えて……」
「やれやれ」
車を待避所に移動させ折戸は自己紹介をした。名刺はないので民間資格だが整体師のライセンスを見せる。
女は免許証を見せ
このまま運転させるには危険すぎるので簡単な施療をすることにした。
「ああコンビニの隣にある『ふる里整体院』にお勤めですか」
「そういうこと。それではそのまま立ってて」
千歌の右側頭部を手で押さえる。
「軽く押し返して」
「はい」
「一、ニ、三、四、五。つぎ反対側」
自助整体とでもいうのか自分の力で無理なく治す方法だ。
前後左右まんべんなくこれを繰り返す。
折戸はみずから工夫したこの技法を対角法と呼んでいる。
さらに左に捻りつつ、やはり戻すように力を込めさせる。
元ネタは具志堅用高だ。
引退後、後遺症の首の痛みに悩んでいた具志堅用高だが交通事故のはずみでそれが治ってしまった。で、嬉しさのあまり事故の相手とそのままゴルフに行ったというエピソードがある。
それを知った元ボクサーの整体師が首をボリボリ鳴らす乱暴なスラスト法にそれを取り入れた。逗留先で見かけた折戸はこれは使えるとピンときた。そこからマイルドに洗練させたのが対角法だった。
折戸の技術は各地で吸収した様々なジャンルの集合体であり、言わば総合格闘技のようなものだった。
「どう?」
「楽になりました!」
首の可動域が見違えるほど広くなり千歌がはしゃいだ。
そこにまたスマホが鳴り響いた。
『ふる里整体院』だ。
「コンテストに出んかね!」
千歌の目もあり無視できず応答した折戸の耳に院長の大声が飛び込んできた。
「うちの所属で出場したらええ。日本中から腕利きが集まるぞ。顔をつないでおけばこっから先どこへでも行ける!最高の技法も学べる!入賞したら客も呼べる!一石三鳥や!応募しておくぞ!」
アーも、スーもなかった。一方的にまくしたて切られてしまった。
こうしてセラピストコンテストに出場することになった折戸だが大会開催が半年後と知ったときには後の祭りだった。
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