御旗のもとに
破竹の勢いで馬が駆ける。
将を先頭に5つの隊列が怒涛の勢いで進んで行く。
しかし、それは前へ向かうものではなかった。
「伝令!殿、状況を報告せよ!」
中央の先頭を行く女騎士が叫ぶ。
すぐ後ろを走っていた者が隊列を離れ後方へ下がる。
「姫様、とにかくグレラータの街まで引き返すことが出来れば、体勢を立て直すことができます!今は後ろを振り返る時ではありません!」
姫様と呼ばれた女騎士の左にいる隊の将が叫ぶ。
----わかってる、わかってるわそんな事
姫様と呼ばれた女騎士は舌打ちしそうになるのをギリギリの所で耐える。
軍の長が簡単に動揺を見せてはならないという思いから、冷静さを保ち続ける。
しかし、この敗戦の中で、どこまで正気を保っていられるか。
「リーズレット姫!この先の平原を越えて森に入れば向こうもこちらを追えないはずです!そこまで駆けましょう!」
「諦めちゃダメ。落ち着いて」
最左翼と右手にいる将が言う。
手綱を握る手に知らず力が入る。
現実を見ろ。
私達は負けたのだ。
そう、言外に込められたような気がして奥歯を噛み締める。
----まだよ、まだ負けてない
体勢を立て直すだけ。
そう自分に言い聞かせて、馬を走らせる。
「レスター!グレラータの街についてから体勢を立て直すのにどれくらいかかる!?」
リーズレットの左の隊の将、レスターと呼ばれた年若い男の将に問う。
「半日もあれば十分です!いえ、してみせます!」
レスターが若干顔を引きつらせながら答える。
まだ14歳の子供にこの修羅場は精神的にも肉体的にも堪えよう。
それでも気丈にやってみせると応える臣下に勇気をもらう。
「ミリィ!あなたは街に着き次第、怪我人を後方へ下がらせて隊を再編して!ティルト!あなたは各種装備の補充を!」
「らじゃー」
「承知しました!」
右手にいるミリィとと最左翼のティルトがそれぞれ応える。
敵の計略に嵌ったのは私の落ち度だ。
でも、ここから立て直してみせる。
私の革命がこんな所で終わってなるものか。
そう決意して、前を向く。
坂を登りきり、ひらけた平野に出る。
ここを抜ければ、森に入れる。
追手もそこまではこないだろう。
「皆、あともう少しよ!踏ん張ってちょうだい!!」
「「「「おう!!!」」」」
自身の背後から返ってくる裂帛の声に背を押され、速度を上げて突き進む。
そんな中、静かに進む男が1人いた。
「どうしたの、アニリヒト?さっきら静かじゃない。あなたでも、こんな状況だと黙るのかしら?」
最右翼、アニリヒトと呼ばれた体格のいい男は、リーズレットの言葉にしばし目を閉じてから、ゆっくりと瞳をリーズレットに向けた。
リーズレットは普段の彼とは違う、静かな凄みに心臓が高鳴るのを感じた。
「な、なによ。こんな状況だからこそ、軽口くらい言わなきゃ」
朱に染まる頬を隠すように、明後日の方向を見る。
そんな様子を見て、他の将はやれやれと言った顔をする。
そんな、少しだけ弛緩した空気の中、アニリヒトと呼ばれた将だけが、静かに覚悟を決めた様子で後ろを振り向く。
今は平野のど真ん中、森まであと半分。
アニリヒトは静かに、真後ろの副将に伝える。
「15歳以下の者、妻子がいる者、負傷している者をすぐにミリィの隊へ。それ以外には、ここで共に死ぬ覚悟があるか問うてくれ。覚悟なき者もまた、ミリィの隊へ」
その言葉を聞いて、副将はハッと目を見開く。
一瞬目を閉じ、何かしらを決めてから、すぐに隊を離れた。
「良い覚悟だ」
アニリヒトは静かにこぼす。
そして、すぐに副将が戻ってきた。
森まであと少し、半分の半分まできた。
だが、ここまでだ。
誰も犠牲にならない敗戦は。
順調な敗戦はここまでだ。
「皆、よく聞いてくれ」
普段の彼とは違う、おちゃらけた雰囲気のない言葉に、将たちは何事かと無言で問う。
全員の視線が集まって、それを1つ1つゆっくりと見返してから、語り始める。
おそらくこれが、最後の言葉だろう。
「レスター、お前は有能なやつだが、少し勇気が足りん。それだけの実力があるのだ、堂々と前を見据え、リーズレットの行く末を見てやれ」
「ちょっ、どうしたのさアニリヒト」
レスターの言葉を無視して続ける。
「ミリィ、お前はマイペースが過ぎる。だが、それがいい所でもある。時と場合をしっかりと考えて、やるべき時はやれ」
「ん、わかった」
ミリィが素直に頷く。
「ティルト、お前のリーズレットへの忠誠心は感心するものがあるが、盲信と忠誠は違うということを胸に刻め。リーズレットが誤った時、それを正すのもまた忠臣の役目だ」
「アニリヒト、貴様・・・」
ティルトも察したのか、それ以上言ってこなかった。
そして----
「リーズレット」
呼ばれて、ピクリと肩を揺らす。
何となく、結末を理解したような表情だ。
それが、避けられぬことも。
「今まで、夢を見させてくれてありがとう。孤児の荒くれ者だった俺が、こうしていられるのもリーズレットのおかげだ」
「・・・何よ突然」
「そして、ごめん。最後まで共に行くという約束、違えることになる。託したぞ、俺たちの夢」
「・・・何を、言ってるの?」
泣きそうな顔でリーズレットは言う。
----あぁ、ダメだよリーズレット
君に泣き顔は似合わない。
気高く、太陽のように皆の先頭に立つ君だからこそ、皆がついてくるのだ。
これくらいの事で、崩れてはならない。
だって、リーズレットは、俺の、俺たちの姫様なんだから。
「で、伝令!殿は壊滅!追手は我が軍まであと一歩のところまで攻めてきています!」
「な、なんですって!!」
リーズレットは叫び、そして気がついて、アニリヒトを見る。
「アニ----
「アニリヒト隊、反転せよ!!!」
アニリヒト、と呼ぶ声は虚しく怒号に消える。
怒涛の勢いで反転していくアニリヒト隊を口を開けて見やり、すぐに叫ぶ。
「ま、待ちなさい、アニリヒト!」
「ダメですリーズレット姫!!」
自らも馬を反転させようとするリーズレットをティルトが制止する。
強く手綱を握りながら、ティルトは言う。
「あいつの、アニリヒトの覚悟を無駄にしてはなりません」
そう伏せ目がちに静かに言うティルトに言葉を出せなくなり、それでも、諦めがつかない。
「姫様、後ろは全部、アニリヒトが請け負ってくれたよ。だから、姫様は前を見て」
ミリィにも諭される。
理解はできるのだ。
それでも、感情が言うことを聞いてくれない。
滲む視界の中、ようやく森の直前まで来て、そのまま突入する。
そこで、キュッと目を閉じる。
端から零れそうになるのを必死に我慢して、そして----
「嘘つき、嘘つきアニリヒト。一緒に果てまで行ってくれるって言ったじゃない」
誰にも聞こえないように、1人囁いた。
唇を暫し噛み、感情を殺す。
殺さなくてはならない。
軍を率いるものとして。
「全軍に通達!グレラータまで全速前進!到着次第、反転、反撃の準備を!」
アニリヒト隊を救うわ、という言葉はすんでのところで飲み込んだ。
諦めないという姿を見せつける。
唇を真一文字に結び、ひたすら馬を走らせ、グレラータの街を急ぐ。
グレラータまでは森を抜けてすぐだ。
森に入ったとはいえ、気は抜けないから、周囲に気を散らす。
その時、背中から光が溢れた。
契りを結んだ臣下が将の法力を得て使う奥義『光翼法』は、臣下が発動した場合、将の背に発動の証である光翼陣が顕現する。
光の翼が2対、計4羽の翼がリーズレットの背中で金色に輝く。
「あぁ・・・」
ため息をこぼしたのは、誰だったのか。
誰でもいいかもしれない。
結局、皆思っていることは同じこと、それは、アニリヒトが、今、必死で戦っているということ。
森を抜ける。
グレラータの街を守る 城壁が見えた。
「皆!あともう少しよ!急いで!!」
全速力で駆けていく。
「リーズレットの名において命ずるわ!門を開けなさい!」
何事かと訝しんでいた門兵は、リーズレットの声に慌てて門を開け始める。
そのまま門を通過し、大通りを進み、グレラータ城前の広場で後続を待つ。
「先に着いたものは急ぎ補給を!レスター、ティルト、ミリィ!先ほど伝えたことを確実に!」
「「「おう!!」」」
背中の光翼陣は今もまだ4羽輝いている。
誰もまだ欠けてない。
間に合う。
間に合わせてみせる。
「さぁ、皆!急いで----」
ちょうだいと言おうとした言葉は、不意の喪失感に飲み込まれる。
今まさに自分の役目を果たそうとしていたレスターたちも縫い付けられたように立ち止まり、目を見開いた。
ゆっくりと後ろを振り向いた視界の端に、金色の羽が舞う。
何枚も、何枚も。
「あ・・・ああ・・・ダメ・・・ダメよ・・・」
ヒラヒラと彼方へ舞っていこうとする羽をどこにもいかないように集めようともがく。
でも、指先に触れた先から光の粒子となって散っていくそれを集めることはできなくて。
紛れもなく、光翼陣が1羽欠けたことが分かって。
「アニ・・・リヒト・・・、アニリヒト・・・、アニリヒト!!!」
今度こそ、抑えきれなかった。
愛しい人の名前を叫んで、涙をこぼす。
「リーズレット姫・・・」
ティルトがリーズレットの肩を抱く。
しかし、肩を抱く手に力が入らぬよう、カタカタと震えていた。
レスターは腕で顔を隠し、声を噛み殺して泣いている。
ミリィも静かに、目の両端から涙をこぼしていた。
ここに。
革命を支えた1人の男が散った。
----------------
1日後、軍を立て直したリーズレットたちは、反転、グレラータを出発。
森を抜け、平原へ出る。
「・・・・・・う」
死屍累々という言葉がまさにピッタリの地獄がそこには広がっていた。
リーズレットの軍の者も敵軍の者も、等しくその身を赤に染め、地面に伏している。
そんな、地獄の中で----
「リーズレット姫、あれを」
「・・・うん、アニリヒトらしいね」
「全く、格好つけてくれますね」
ティルト、ミリィ、レスターが口々に言う。
分かってる。
ずっと、そこを見ていた。
そこだけを見ていた。
「バカ・・・・・・」
リーズレットが呟いた先、平野の中央にうず高く積まれた死体の山の頂点に、旗が立てられている。
リーズレットたち革命軍の象徴である、平和を掲げた7色の旗が、そよ風にはためきながら、掲げられている。
その下、旗を支えている男が1人座っている。
最後の最後まで、掲げ続けたのだ。
彼の、否、我らの夢を。
リーズレットは大きく息を吸い込む。
死の匂いを一杯に胸に入れ、そして、吐き出す。
「総員!!!!!敬礼ーーーーー!!!!!」
ザッと一糸乱れぬ動きで、全員が英雄たちに敬意を表す。
後世、この光景は英雄譚として永劫に語り継がれていくだろう。
いいや、語り継いでいくのだ。
この私が。
だから、焼き付ける。
私の罪として、英雄の勇姿として、この光景を----
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