凶器
「お父さんの頭部はかなり損壊していたそうだ。なぜ、そんなになるまで殴ったんだろう。ムカついたから? 恨んでいたから? そうじゃない」
僕は、じっと彼女の目を見た。
「逆だ。頭部を破壊することが、殴った目的だったんだ。だから金属バットを持ってきた。木のバットじゃ折れてしまうからね」
「……」
「つまり、目的は隠蔽だ。
お父さんは、最初の1発目で、『誰か』に殺された。
それを隠すために、君のお母さんは残りの27発を追加したんだ。その『誰か』をかばうために」
彼女は沈黙した。
口をつぐんだまま、視線で僕を凍らせる。
僕が何を言おうとしているのか、もう分かってしまったのだ。母親がかばいたい人物など、そりゃあ決まっている。
永遠にも思える長い一瞬のあと。
僕は言った。
「ほんとうの犯人は君だ」
「……凶器が無いです」
彼女は冷たい目をしたまま、ぼそりと言った。
「金属バットが凶器なのはおかしいって言ってましたよね? じゃあ、1発目の凶器は何なんですか」
「それは……」
「殺人事件があったんで、ウチは屋根裏から床下までぜんぶ警察官が捜索していったんですよ。金属バット以外の凶器は見つかりませんでした」
「凶器は無い」
「無い?」
「君の家には無い」
「家の外も、近くの道路も公園もコンビニも、警察は探してましたよ」
「ここは?」
「ここ?」
「この学校の、この教室だ」
きゅっと結ばれる、彼女の唇。
「事件のあった前日、君は書道道具を持って帰っていた。だから君のロッカーは空になっていたんだ。でも事件の日の放課後、部活に来たら、ロッカーにカバンが入ってた。いま、君が持って行こうとしたカバンだ」
「……」
「不思議に思ったから、顧問の先生に聞いてみたんだ。そしたら教えてくれたよ。あの日、君は朝イチで『部室に教科書忘れたから』って鍵を取りに行ったそうだね。そのとき、僕は確信した。君が犯人だって」
「カバンの中を見たんですね」
「見てない。僕はそんなことしない。だからこそ、君はここを隠し場所に選んだんだろ? 教室じゃ、興味本位の誰かにバレるかもしれないからね。でも、見なくても、わかっちゃったんだ」
言葉が、終わるのも待たず。
彼女は駆け出した。
カバンを抱えたまま!
「待ってくれ、由香!」
僕は彼女の名を呼んだ。
「僕は待ってたんだ。朝もいちばんに来て、休み時間もここに来て、放課後もずっとずっと。ドアの前で、教室の中で、ずっと待ってた。君が絶対ここに来ると思ってたから」
「……事故だったの」
彼女は、震える背中でそう言った。
「あの朝。
私は早く目が覚めて。
お母さんは、昨日のパートが遅かったからまだ寝てたわ。パンを焼いて食べて、制服を着て、書道の道具も忘れずにトートバッグに入れて。
出かけようとしたときに、お父さんが起きてきたの。
まだお酒が残ってたのかもしれない。
ちょっとしたことで怒られて、どんどん口汚くなって。成績のこととか、髪を染めたこととか、スカートが短いとか……せ、先輩の悪口も……」
口ごもった彼女。
僕はその肩を抱き寄せる。やはりこの前、彼女の部屋で2人きりでいるところを見られたのはまずかったか。
「気がついたら、ケンカになってて。お父さんが平手でぶってきて、私はカバンを振り回して。そしたら突然、お父さんが血を流して倒れたのよ!」
カバンから。
彼女はトートバッグを取り出した。
黒ずんだ染みのあるバッグ。
その中には割れた硯と、ずっしりと重い文鎮があった。
振り回したトートバッグの遠心力が文鎮の重さで加速され、尖った硯の角を凶器に変えたのだろう。飲酒により血圧が上昇していたことも関係したかもしれない。これはどう考えても、偶然が生んだ事故だ。
「私、どうしたらいいのか、わからなかったの。
呆然として、気がついたら時間がたってた。
そしたらお母さんが起きてきて……お母さん、看護婦だったから、お父さんがもう死んじゃってるってわかって……」
そのあとは、もう分かってる。
母親は、娘に普段どおり学校に行き、凶器を隠すよう指示した。ヘタな場所に捨てるくらいなら、絶対に見つからない場所に置いておく方が安全だ。
そのうえで自分が犯人だと名乗り出れば、警察の捜索をかわせるはずだから。
「自首しよう」
僕は彼女に言った。
「落ち着いて、警察に話をするんだ。わかってくれるよ、これはどう考えても事故なんだから」
「ほんと?」
「うん。僕も説明する。一緒に行くよ」
僕は彼女の涙を拭いて、それからしっかりと抱きしめた。
子猫のように震える小さな肩。
このかわいそうな娘を守りたいと思った彼女の母親の気持ちは、僕にはじゅうぶんに理解できる。
けれど。
そのために、夫の死体に金属バットを打ちおろした覚悟の壮絶さは、とても理解できないままだった。
なぜ妻は、夫を金属バットで28回殴ったか 狐 @empire
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