23杯目 ポーションとシャンパングラス
センキン町のヒーレ城、滞在3日目の午後。
ゆっくりとワイングラスでポーションを堪能していると、窓からかなり強い日光が射してきた。憩は「気温も上がってきましたね」と白い遮光カーテンを閉める。
「ああ、少し暑いくらいだ」
彼女はテーブルに戻って、少しグラスに残っているポーションをクッと干した。
シャーリの香りが鼻を抜けたところで、少し水を飲んでクールダウン。
「モンスター討伐局って、何人くらいいらっしゃるんですか?」
「あ? なんだ急に?」
「いえいえ、どんな仕事なのかちょっと気になったので」
リンは、人間と違ってうまく曲げられない指をくにくにと折りながら数える。
「……大体30人くらいはいるな。俺みたいに転移魔法で勇者を移動させるヤツ、そもそもの勇者の選抜や町配属を決めるヤツ、活動報告を管理するヤツ、勇者の階級や処遇を決めるヤツ、まあ色々だ」
「へえ、楽しそうです!」
「楽しいばっかじゃねえけどな。勇者の配属見直しの時期なんかは夜通しで働くこともあるし、局内や勇者との人間関係でうまく出来ねえヤツもいる」
尻尾をふわふわと揺らしながら、リンも残ったポーションを飲んだ。
その姿を見ながら、憩も自分の仕事を思い出す。
そう、自分だって、経理の仕事は嫌いじゃないけど、楽しいばっかりでもない。四半期ごとの決算は残業続き、上司によって言ってることが違うこともあるし、メンバーとの
楽しいばかりじゃない。日本でもこっちの世界でも、それは変わらないらしい。
でも、それが彼女にとっては逆に嬉しくもあった。どんな場所であれ、例え世界が違ったって、頑張ってない人はいないということ。この旅が終わったら、またエンジンを入れていこう。
「イコイ、ポーションが空っぽだ!」
瓶を逆さにして振り、雫も落ちてこないことをアピールするリン。
「よし、じゃあお替りいきましょう! 最後のグラスは、これからの気温で飲むのにちょうどいいですよ」
そう言って、酒器一式の入ったカゴから彼女が取り出したのは、くびれも丸みもない、細長いグラス。
「シャンパングラス……?」
「ええ、よくシャンパンを飲むのに使いますね。この器に合わせるポーション、分かりますか?」
「んっと……
「惜しい! リンさん、それじゃポーションで食べていけませんよ」
食べてく気はねえよ、と舌を出すリンに、憩は「今回は
「それ、さっきキッチンに取りに行ってたヤツだよな?」
「はい、冷やしておいてもらってたんです」
そう言って、彼女はリンのお腹に瓶をトンッと当てる。途端リンが「ひょっ!」と短い悲鳴をあげた。
「注いだ後に温度が上がらないよう、器も小さめの飲み切りサイズがいいです。大きい器にちょっと入れてもいいんですけど、空気に触れる部分が少ない方が温まりにくいですからね」
「なるほどな、そこまで考えてんのか」
人間のように手を顎に当てて頷くリンに、憩はポーションを注いだグラスを渡す。
「では、頂きましょう!」
綺麗な音を立てて、シャンパングラスがぶつかった。
光沢のある色合いに、薄いクレソンのような爽やかさのある落ち着いた香り。
続いて味見。雑味は無いけど、綺麗な単調さでもなく、複雑な味の構成で奥行きがある。穏やかな風味の中に酸味、辛味が溶け出して、余韻では苦味が出てくる。
甘味が終始どこかにいるけど、主張してこないような、そんな面白みのあるポーション。
「うん、この酒器は正解だな! 冷えたまんまだ!」
グラスを抱えるリンは、少し酔ったのか「うはー!」とテンションが高い。
「リンさん、実はもっといい酒器があるんですよ」
そう言って彼女が取り出したのは、クラッシュアイスを入れた深皿。そこに、ガラス製の瓶と、同じくガラス製の小さい酒器が入れてある。
その形状は、徳利とお猪口に似ていた。
「こういう形だと直接氷で冷やせちゃうんです」
「うおお、すげえ! 見た目から涼しそうで美味そう!」
そして、キリッと冷えた瓶にポーションを注ぎ、持つのも冷たい器に注いでもう一口。
穏やかだった香りがシャープになり、味もコクが強くなった。
さっきは黒子役だった甘味もしっかり前に出てきて、全体のバランスをより楽しめる。何より器でお酒も冷えたことで、更に喉越しの良い、飲みやすい一杯になった。
「うん、美味しいですね! リンさん、明日からまた北上しますよね?」
「あ? ああ、そうだな。まあ北に行くとポーション処が多いから、お前の好きそうな――」
リンが全て言い終わる前に、憩はパンッとダイニングテーブルを叩く。
「ポーション処! 楽しみです!」
「お前、分かりやすくていいな……」
口の右側だけ口角を吊り上げて呆れるリン。
「それにしてもよ、この体は不自由だぜ。早く人間に戻りてえ」
「あら、リンさん、結構似合ってますよ?」
「バカ言うな! 人間の体が一番だ! ったく、国王様の魔法のせいでとんだ災難だぜ。いっそ泣き落として戻してもらうかな……」
かぶりを振るリンに、憩が首を傾げる。
「でも、国王様にそんな技通じますかね?」
その質問に、彼は猫とは思えない、いやらしい表情を浮かべた。
「これが案外通じんのよ。イコイ、お前から俺の普段の頑張りと猫の体でいることの苦労をまず話してもらうだろ?」
ひょっひょっひょ、とリンは自分に酔ったように笑う。その陶酔は、ドアから覗く目に気付かないほど。
「そこで俺が泣けば国王様だってあっさりと――」
「うまくいくといいな」
「ぎゃおうっ!」
ドアを開けたその人物、王その人の声に、リンは叫びながら背筋を伸ばした。
「ようやく会議が終わった。ポーションがまた飲めると思ったんだんだが……とりあえずリンクウィンプス、もう少しその姿を楽しむと良いぞ」
「え、あ、いや、そんな、国王様! おっ、そのヒゲ、改めて見るとダンディですね?」
急におべっかを使うリンに吹き出しながら、憩は国王にシャンパングラスを渡す。
「このグラスにぴったりのポーションがあるんですよ!」
「おお! イコイ殿、ぜひ教えてくれ!」
「ねえ国王様! 優しい国王様! 一回! 一回試しに戻してみません?」
こうして、呑み助ののどかな1日は更けていく。
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