18杯目 ポーションと熟酒

「やっぱりとどめは剣なんですね! モンスター討伐、カッコいいです!」


 夕方の開店からしばらく経って、酒場も少しずつ混み始めていた。店員も注文も増え、店に活気が出てくる。


 憩達のテーブルと言えば、彼女がヴァクトミステから勇者の話を興味津々に聞いていた。


「僕も小さいときはリンクと一緒に修行したんだよ」

「けけっ、修行じゃ俺がいっつも勝ってたけどな」

 勇者の口ひげを引っ張ってからかうリン。


「でもイコイさん、リンクも若いときは勇者志望だったんだよ。今と同じような口調で『俺はこの国が好きだからよ。この国のみんなが安心して暮らせるようにしなきゃいけねえ』とか、夜に星を見ながら僕に――」

「さあイコイ、次の酒は何だ!」


 肉球を彼の口に突っ込み、がぼがぼとかき混ぜて黙らせる。仲良さそうな2人に、憩は心を和ませた。



「はい、4タイプのうちの最後は熟酒じゅくしゅです。香りも華やかで、味も重め。ちょっと特殊なお酒ですね」


 ようやく離してもらったヴァクトミステが「ちょっと待って、僕は昨日の2タイプ飲んでないよ」と口を尖らせると、リンが「後で感想だけ教えてやるからよ」と意地の悪い笑顔を見せた。



「すみません、おばあさーん!」


 手を口の横に添えて憩が呼ぶと、老婆がスタスタと歩いてくる。よく見ると、昨日と違う、水色のスカーフで髪を覆っていた。


「最後は、熟酒だね」

「はい。ありますか……?」

 彼女の問いに、老婆は皺を深めて頷いた。


「アタシが用意してないと思ったかい? 3年くらい寝かしたのを買ってあるよ」

「わあ! ありがとうございます!」

「肴もこのポーション用に新しく仕入れたんだ。感謝しなよ」


 ふぇふぇふぇと憩の肩を叩いて、彼女はいつのもようにポーションを取りに行く。

 すぐにリンが、反対の肩を叩いた。


「おい、イコイ。今あのばあさん、寝かせたって言わなかったか?」

「ええ、ポーションを寝かせたんです」


 てらいもなく答える憩に、リンはポカンと口を開ける。


「ウィスキーやワインは寝かせるもんだけどよ。ポーションもそうなのか……」

「僕も飲んだことないよ、寝かせたものなんて! すごい、何か楽しみだ!」


 映画の上映を待つ子どものように興奮するヴァクト。自分と近い年なのにとても無邪気で、憩にはそれが可笑しかった。



 そして、ポーションが運ばれてくる。ほぼ無色の透明な瓶の中を泳ぐのは、長期の熟成で淡黄色たんこうしょくになったお酒。


「はいよ、熟酒だ。クセがあるから、和らぎ水も飲みなよ」

 そう言って、老婆は水差しと追加のグラスも一緒に置いて行ってくれた。


「なんか、不思議な色してるな……」

 訝しげに見るリンに、コルクを開けながら憩が説明する。


「熟成させると、お酒の成分が酸化・分解されてこんな色になるんです」

「確かに、ウィスキーも始めは無色透明で、寝かせて琥珀色になるもんね。ポーションも一緒なのかあ」

「そうなんです。味も普通のポーションとは大分違うと思いますよ? ささ、みんなで飲んでみましょう!」


「じゃあ、リンクの猫10回変身記念に、乾杯!」

「つまんねえことに乾杯してんじゃねえ! それにまだ9回だ!」


 リンが頭突きを食らわせた後、3人でグラスをぶつけた。



 憩はまず、香りを確かめる。ドライフルーツのような、干したキノコのような、重厚で複雑な独特の香り。他のポーションとは明らかに違う匂いに、横のリンもヴァクトも若干躊躇っているのが分かった。


 続いて、ゆっくり飲んでみる。まず感じるのは、とろりとした口当たり。サラリとしたポーションとはまったく違う、口の中にずっと張りつくようなお酒。


 そして、ボリューム感のある旨味と、深い苦味。飲み込んだ後も、まだ口に残っているかのような濃厚さ。


 寒い冬に、少しだけ燗して風味を引き出して頂きたいような、そんな嗜好品。



「おお、これは香りも味も独特だね。好みが分かれそうだ。僕はウィスキーみたいな感じで結構好きだけど、リンクは得意じゃないかもね」


 ヴァクトミステがグラスをゆっくり回す。とろみのあるポーションが、グラスの内側を這うように揺れた。


「だな、俺はちっと苦手だ……香りでもう『うぐう……』ってなっちまう」

「そうですね、他のタイプと比べて、人を選ぶお酒だと思います」


 憩もちびちびとグラスに口をつける。クセもあるので、一気に飲むお酒ではない。


「はい、お料理お待たせ! お姉ちゃん達、ホントにポーション好きだね!」


 いつもの男性店員が肴を持ってきた。今回はお皿が小さいので、楽々と運んでいる。


「ミックスナッツ、ローストチキン、スモークチーズだよ!」

「おお、旨そうだ!」

 飴色になっているチーズを見て、リンが手を擦り合わせる。


「飲んでもらった通り、熟酒は個性的なので料理を選ぶんですよね。でも、力強い分、他の薫酒や爽酒、醇酒では合わせにくい肴と相性がいいんですよ」

「どれどれ、じゃあチーズと合わせてみようかな」


 フォークで一切れ頬張るヴァクトミステ。続いて、スッとグラスを傾ける。


「……うん、なるほど! 風味が強い料理でも熟酒なら負けないね! 深く煮詰める料理とかも相性良さそう」


 彼の感想に、憩は「ヴァクトさん、さすがお酒好きですね!」と上機嫌に目を細め、自分も飴色のスモークチーズに手を伸ばした。



 口に入れた瞬間、皮の泥炭ピートの重厚な香りが鼻から抜ける。噛むとプツッという音と共に、中のミルキーなチーズがあふれ出した。滑らかな口当たりにスモーキーな風味が加わり、旨味と苦味がバランスよく同居している。


 そして後味を堪能した後に、流し込む熟酒。少量のポーションから驚くほど濃厚な味が膨らんで、チーズの味わいを包んで泳がせる。肴と酒、どちらの勢いも殺さないまま、熱い息を吐いた。



「熟酒、毎日飲むにはちょっとクセが強いですけど、たまに飲むとやっぱりいいですね!」


 彼女がヴァクトミステの方を向くと、その勇者は口ひげを寝息で揺らしながらすっかり眠りに落ちていた。



「こいつは酒好きなんだけど弱えんだよな」

「そうなんですね。でも、たくさん飲むのがいいことじゃないですし」


 だよな、と言いながら、リンがナッツを上に放り投げ、落ちてきたのをパクッと咥える。憩は「お見事!」と小さく拍手した。



「ヴァクトさん、どこの町の勇者なんですか?」

「いつもはコクリュを守ってる。お前が転移してきた町だ」

「あ、そっか。だからコクリュに魔法陣描いてたんですね」


 ローストチキンを何枚か切った憩は、リンの小皿に取り分けた。



「つっても、今回は結構なトラブルだったからな。一応、国王様にもヴァクト連れて挨拶行かねえと」

「国王様……って、ええ! 王様!」


 リンは肉球でグラスを挟み、クッとポーションを飲んでから、少し得意気に笑う。



「こっからちょっと行けば、俺が普段働いてるセンキン、ヒーレ城の城下町だからな」



 こうして、酒場の夜は穏やかに過ぎていく。

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