17杯目 ポーションと醇酒

「よし、これで準備オッケーだ」


 居酒屋で会計を済ませ、夜の通りを三回曲がった人気の少ない場所に、リンが魔法陣を描き終える。


 手には水晶玉と、憩が昔絵本で見たような、箸より少し長いくらいの「魔法の杖」。彼はその杖を棒きれのように使い、土を削って陣を描いた。


「ヴァクトミステさん、今度は大丈夫ですよね?」

「お前みたいな物好きがあの店入らなきゃな……」



 少し前、リンは水晶玉を光らせながら「準備できてんのか?」「だからまだ陣も描いてねえんだよ!」と相変わらずの口調で話していた。


 日本に転移してしまった勇者、ヴァクトミステと話しているのだろうが、魔法の特性なのか憩には相手の声は聞こえず、ただ玉に向かって怒鳴っているようにしか見えなくて、彼女にはそれが可笑しかった。



「んじゃ、発動させるぞ」


 リンが陣の横ですっくと立ちあがり、杖を持って全身の毛を逆立たせる。やがて、陣の内側に大量の白い靄が発生し、中がほとんど見えなくなった。


 そして次の瞬間。人影がうっすらと現れる。靄が薄くなると共に、影は次第に明確な輪郭を帯びてきた。



「おおっ、リンク! 久々だな!」


 完全に姿を見せた、30前後の男性。

 短い茶色のくせっ毛に、目鼻立ちの整った顔に、立派な口ひげ。剣や盾は持っておらず、日本で買ったのであろう、ダボダボの茶色のシャツと緩い青色のパンツ。

 日本でも「ちょっと変わった外国人」で済みそうな出で立ち。



「ヴァクト、悪かったな随分向こうに――」


 そこまで話したリンは、彼が持っていたものを見て、言葉を止める。


 ラベルの貼られた緑の透明な瓶と、小さなグラス。


そして、屈託無い笑顔。


「いやあ、あっちの酒を飲んでみたんだけどさ、これがなんとポーションそっくりなんだよ!」

「わあ、日本酒! そうそう、似てますよね!」


 魔法陣が煙をあげて消える横で、リンが呆れたようにかぶりを振った。







「それにしてもイコイさんも災難だったね」

「いえいえ、ヴァクトさん。色々なポーションが飲めて楽しいですよ」

 金はこっち持ちだしな、と昨日も来た酒場でリンが口を尖らせる。


 ヴァクトミステをヒーレに転移させた翌日。アッキシカ滞在、2日目の夜。

 今日飲むポーションを考えながら、憩は日中、近くの山を3人でハイキングしながら彼から聞いた話を思い出していた。



***



「いやあ、リンクにあの国で使える通貨を出現させてもらったから助かったよ! 買い物は言語変換で問題なかったし!」

「まあ俺のせいだしな……そのくらいは」

「気候も良かったから野宿も平気だったよ。公衆の大浴場もあったしね!」

「意外と馴染んでたんだな、お前……」


 自分の先をゆっくり歩く勇者と、「もっと小股で歩けっての」とテトテト小走りする猫。


 憩の思い描いていた勇者像とは少し違っていたけど、ヴァクトミステの人懐っこい印象と、身長もテンションも大分高低差のある2人の親しげな会話が、憩にはとても可笑しかった。


「何より、あのニホンシュって酒だよ! ホントにポーションそっくりなんだ!」

「知ってるっての。後ろのコイツがしょっちゅう同じこと言ってるからな」

「えっ! イコイ……さんだっけ? ポーション飲むのかい?」


 振り向いたヴァクトミステに、憩は「はい、日本酒が好きなので」と答える。


「そっかそっか、それなら飲んじゃうよね」

 柔和な勇者と、「飲みすぎだけどな」と減らず口を叩く猫。

 3人で、山腹にあった誰のものかよく分からない荘厳なお墓にお参りし、そのまま散歩がてら下山して開店直後の酒場に来たのだった。



***



「で、イコイ、これまで飲んだ2つのタイプは、味が淡いやつだったよな」

「さすがリンさん、よく覚えてますね。今日飲むポーションは、香りは少し穏やか、味は華やかで重いお酒、醇酒じゅんしゅです」


 そして憩は、昨日と同じように仕入れを担当した老婆を呼ぶ。


「おや、昨日の子じゃないか。今日はどうするんだい?」

「醇酒をお願いします。あと、ピッタリのおつまみも」


 返事をする代わりに、後ろを向いてヒラヒラと手を振りながら老婆は戻っていった。


「へえ、イコイさん、ホントに詳しいんだね。僕も結構好きなんだよ。リンクは『俺はビール党なんだ』とか言って全然飲んでくれなかったんだけどさ」

「うるせえやい、お前の勧め方がイマイチだったんだ」


 軽妙なやりとりに、彼女はクスクスと口に手をあてがう。


「お2人はお付き合い長いんですか?」

「腐れ縁だっての。生まれた場所も年もヴァクトと近かったしな」


 そっけなく返事するリンだったが、小皿とカトラリーを彼の前に置いてあげているのを憩は見逃さなかった。


「はいよ、お待たせ、醇酒だよ。こういうポーションは常温がいいんだ」

「ありがとうございます、おばあさん」

 いい肴選んどいたよ、とご満悦で去る老婆。


「それでは、頂きましょう!」

 憩は3人のグラスに波立たないように丁寧に注ぎ、カチンと乾杯した。



 表面から立ち上る香りは、例えるならつきたての餅か、あるいは白玉粉か。華やかさはないけど、厚みのある匂いが、鼻腔を通り、喉を鳴らす。


 口に含んだ瞬間、ポーションがシャーリから出来ていることを実感する、濃縮された旨味。そして、口の中で軽く噛むと見えてくる、甘味、辛味、酸味、そして苦味。

 その複雑さとバランス、「コクがある」とはこういうことだ、という自己主張。


 醇酒の定義通り、香りは控えめ、味は重め。

 肌寒い食欲の秋、主食の代わりにこれを飲んで、体を火照らせながら栄養を取りたくなるような、シンプルにして膨らみのあるお酒。



「うめえ! こいつはシャーリそのまんまの風味だ!」

「うん、これは美味しいね! 飲む温度でも味が変わりそうだよ」

 味を語りながらはしゃぐ、勇者と猫。


「あ、料理が来るみたいですよ」

「はい、お待ちどう! 魚の肝蒸し、肉と根菜のピリ辛炒め、あとグラタンね!」


 樽のテーブルに並べられた料理に、ヴァクトミステは「なんか濃い味の料理だね」と呟く。


「そうなんです。醇酒はシャーリが濃いので、風味の強い食材にも負けません。それに、お酒の香りがふくよかですから、生クリームやバターの料理とも合わせやすいんですよ」


 言いながら、彼女は魚の肝蒸しと紹介されたその料理を一切れ食べてみる。


 豆腐の味を更にクリーミーにしたようなまろやかに、濃いめの味わいと、くどすぎない魚の油。それは、日本でいえば正にあんこうの肝「あん肝」に近かった。


 そこにポーションを一口。口に残る肴の風味は残しつつ、どわっと押し寄せるシャーリの存在感。調和が幸福に変わっていく。



「おい、イコイ! グラタンもいいな! こんなのワインにしか合わねえと思ってたぜ!」

「肉炒めも相性いい! イコイさん、ホントに詳しいんだね」

「いえいえ、まだまだ研究中の身です」


 茶目っ気たっぷりに笑う彼女の膝に「もう十分だろ」と肉球パンチをしながら、リンは懸命にグラタンを吹いて冷ましている。


「リンさんの猫舌には熱かったですね。猫だから仕方ないでしょうけど……」

「ああ、違うよ、イコイさん。こいつ、人間のときから猫舌なんだよ」

「しーっ! 黙っとけよヴァクト!」



 憩が「そうなんですね!」と相槌を打つと、リンは「いや、ほら、あの、食えねえことはねえんだけどよ」と顔を逸らして取り繕った後、「おい、次の酒がねえぞ!」と大声でごまかした。

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