16杯目 ポーションと爽酒

 日は完全に落ち、酒場では柔らかいオレンジ色の電気が煌々とともる。来店する人も増えた一方、早くから来ていた幾つかのグループは帰り始めていた。


「よし、イコイ、次はどんなポーションを飲むんだ?」

 手を擦り合わせるリンに、憩は「はい!」と喜色満面で答える。

「次は爽酒そうしゅを飲みましょう。香りは控えめで、味も淡いタイプです」


 リンが相槌を打つ前に、帰りがけだったらしい中年の男性3人組が割って入った。


「何だい、姉ちゃん、ポーションなんか飲んでるのか!」

「そいつぁ怪我した勇者が飲むもんだぜ!」


 大声で笑う3人を、リンは心底軽蔑したような嘲笑で「確かにそうだけどよ」と返す。


「俺たちゃこの味が好きで飲んでんだ。つまんねえ冗談でケンカ売るなら、俺の爪と歯がお前らの指食い込んでも文句は言わせねえからな」

「んだとこのバカ猫!」


 一番前にいた頭皮の薄い男のその言葉に、リンはガッとテーブルに登って立ち上がり、頬をひくつかせる。


「ほおお。言うに事欠いて、まさかのバカ猫、バカ猫とはな……お前らなんか一瞬で食い千切るようなモンスターの巣窟に転移させてやってもいいんだぜ」

「ああ! やれるもんならやってみろ!」


 完全に一瞬即発となって睨み合う2人。

 その緊張状態を解いたのは、「すみません、おばあさん!」と大声をあげた憩だった。


「おいこら、イコイ! 今はそれどころじゃ――」

 彼女はいきり立つリンの口をパッと手で押さえ、老婆がやってくるのを待つ。


「あいよ、次はどのポーションにするんだい?」

「爽酒でお願いします。肴も適当に」


「……アンタみたいなのがいると、仕入れた甲斐があるってもんだよ」

 任しときな、と言って、また足早に厨房に消えていく。


「おい、姉ちゃん! 俺達はケンカの途中なんだ! 勝手に中断するのはやめてもらおうか!」

「そうだぞイコイ! 今から俺がコイツの指を噛み切るんだからよ!」


 怒りのボルテージが最高潮に達している2人に、憩は「ダメですよ」とグラスを手に取った。


「いいですか、リンさん。今回の発端はそもそも、この方達がポーションを飲んでる私達をバカにしたことから始まってるんです」

「ああ、そうだ! だからこの場で――」


「ということはです! ポーションが美味しいと思ってもらえれば、この問題は解決なわけです!」

「…………は?」


「私だって、バカにされたのは悔しいです。だから、ポーションの味をちゃんと試してもらって、気に入ってもらいましょう!」


 目が点になるリンと中年3人組。

 しばしの静寂の後、リンがぶふっと吹き出した。


「だっはっは! だな! よし、お前ら、騙されたと思って飲んでみやがれ!」


 ちょうど良いタイミングで老婆が1本運んできた。これまで見てきた普通の瓶とは違う、少し細長い黄色のガラス瓶。


「グラスも追加で3つだね」


 戸惑いながらも、憩から促されるままに樽のテーブルを囲む3人組。

 ケンカしていた張本人は「なんでこんなこと……」とぶつぶつ言いながら薄い頭を掻いている。


「さあ、飲んでみましょう」

 5つのグラスに注ぎながら、憩は瓶の温度を感じ取っていた。


 あのおばあさん、やっぱりすごい。爽酒は冷やすとより特性を感じられる。

 さっきの薫酒より冷たい5℃、雪冷ゆきびえくらいまでキンキンになっている。


「では5人で、乾杯」

「か、乾杯」


 動揺しながら飲む3人組の反応を期待しながら、彼女も口をつけた。



 グラスを鼻に近づけても、はっきりとした香りはしない。

 しかし、口に含んだ後に鼻から息を抜くと、その呼気とともにフレッシュなシャーリの香りを僅かに感じる。

 華やかさだけがポーションの売りじゃないぜ、とアピールされているような、穏やかな匂い。


 サラリとした飲み口と、瑞々しいシャーリの味わい。

 爽酒はもともと苦味や酸味が少ないので、ここまで冷やしても苦味や酸味が尖らない。まさに水のように飲めるポーション。

 盛夏、川沿いでBBQをしながらクイッと飲める、気取らないお酒。



「……うまい!」

「これ、ポーションなのか? すごくスッキリしてる!」

「前飲んだときはもっとべったりと酒臭いやつだったのに!」

 口々に褒める3人組に、憩はニコニコと笑いかける。


「もちろん、安くてイマイチなポーションもあるかもしれません。でも、探してみると、素敵な味に出会えるんですよ」

「…………だな! 姉ちゃん、バカにして悪かった! そこの猫も!」


「リンクウィンプスと呼べ! ……まあ、謝るなら許してやらねえこともねえ」

 ズズッとグラスを啜り、「シャープでうめえ!」と舌鼓を打つリン。


 そこへ、男性の店員が料理を運んできた。胸と腕と手を使い、器用に3皿を持っている。


「はい、こちら、貝の塩焼き、自家製ソーセージ、ポトフになりまっす」

 去っていく店員には目もくれず、リンは料理を眺めて首を傾げる。


「なんか、あんまり統一感ねえな」

「いえいえ、そこがいいんですよ、リンさん。やっぱりあのおばあさんはよく分かってます」


 栗色のセミロングを手でふわっと後ろに払いつつ、小皿を用意しながら憩は続ける。


「爽酒は、際立った香りや味わいじゃないので、どんな料理にも合わせられる食中酒なんです。皆さん、どれも試してみて下さい」


 促されるがまま、それぞれを一口食べつつ、ポーションを煽る3人と1匹。


「なるほど! これはどれでもいけるわ!」

「ポーションが食事を邪魔しねえ!」


 憩も、フォークでソーセージを刺した。

 プツンッと皮の破ける、その音だけで一口飲めてしまいそう。


 歯で弾力を楽しみ、熱々の肉汁を楽しみ、肉に練られたスパイスを楽しむ。


 香辛料で少し辛くなった口に、冷たい爽酒をスッと含む。キリッとした味と、鼻から微かに抜けるシャーリの香り。


 気が付くと、今度はポトフに手を伸ばしている。



「何でも合いますね!」

「いやあ、姉ちゃん、教えてくれてありがとよ!」

「俺、今度ポーション買ってみるわ!」


 同じポーションをもう1本空け、憩と何度もハイタッチをして、3人組は「じゃあな!」とバカ笑いしながら酒場を出ていった。



 そして彼らが帰ってから、ややあって。


「ちょっと待て! アイツら金払わねえで出ていきやがった! あんのバカおやじ共め……!」


 樽テーブルの横の部分を爪でガリガリと引っ掻くリン。


「ふふっ、リンさんと一緒だと飽きないですねえ」

「こっちの台詞だっての。お前が転移してきてからすっかり飲み旅行だぜ……。あ、転移と言えば」


 リンが右手の平を上に向ける。ぽうっ、と水晶玉が現れた。


「今日でお前が来て8日目だ。予定通り魔力も戻ったし、店出て呼び出すとするかな」

「誰をですか……って、あっ! そうですね!」



 憩がパンと手を合わせると、猫も尻尾をピンと立てた。



「さあて。ヴァクト、元気にしてるかねえ」

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