9杯目 ポーションとキレ

「お嬢ちゃん、もう1杯、別なのいくかい?」

「はい、お願いします!」


 目を輝かせる憩の横で、リンは作ってもらった貝のスープを「なんだかんだ言ってうめえな」と飲んでいる。

 そんな2人の前に、老爺の店主は別のグラスを置いた。


「はい、水」

「水? おい爺さん、酔いが回ったのか? 俺達はポーションを飲みに来たんだぞ」

 リンは貝を持ってちゅるちゅるとスープを吸いながら、食ってかかる。


「分かってるっての。水飲みながらポーション飲むと、口の中がリフレッシュされるし、酔いも回りにくくなるんだよ」

「『和らぎ水』って言ったりしますね」

「ふうん、なら頂くかな」


 頂いた水を半分ほど飲んでから、憩は心地よさを夜風に伝えるかのように、斜め上を向いてふしゅるーと息を吐いた。


「じゃあ次は、また全然違うポーションだ」


 そう言って、こげ茶色の瓶のコルクをポンッと開ける。


 注がれた酒は、小金色に近い照りがあり、微かな月明かりに優しく揺れた。憩とリン、そして「ワシも一口飲もう」と笑ってグラスを準備した店主の3人で、改めて乾杯をする。



 いつものように、匂いから楽しむ憩。穀物のふくよかな香りだが、米っぽいというよりは蕎麦に近いような気もする。


 飲んだ瞬間は水のような透明感。そこに一気に辛味が押し寄せる。口の中で転がしていると、舌が辛さに慣れ、一転してまろやかなように感じられる。尖った味わいを利用した綺麗な時間差攻撃。


 そして飲み込むと、そこに後味はない。和らぎ水を飲む必要がないくらい、フラットに戻っている舌と喉。



 静かに味わう憩の横で、リンは目を大きく開き、深く頷いている。


「こりゃすげえ。さっきのコクみたいな複雑さはないけど、後味がまるで残らねえ」

「おっ、リンさん、味覚が鋭いですね。呑み助の才覚ありそうですよ」


 彼女が小さく拍手すると、リンは「どうもどうも」と言わんばかりに、両手でそれを偉そうに制した。


「ニャンコ、こういうポーションはな、『キレがある』って表現するんだ」

「ほおお、爺さん、次にこのリンクウィンプスをニャンコ呼ばわりしたら、どこへ転移させるか分からねえぜ」


 にたぁと笑い、左手を右手で包む。ケンカのように手をポキポキ鳴らしたいのだろうけど音は鳴らず、憩には肉球を寄せているだけにしか見えなくてむしろ可愛らしかった。



「まあまあリンさん。キレのいいお酒は結構多いですから、覚えておくといいですよ。余韻が残らないで、口の中ですっと味わいが抜けるようなお酒です。肴と合わせるともっと面白みがありますよ」

「つまみと? どれどれ」


 リンは貝に残っていたスープを啜り、飲み込んでからポーションを一口煽る。そして、「おお!」と尻尾をピンッと立てた。


「スープを飲んだときには、口の中が出汁の味でいっぱいになんだよ。そこでポーションを飲むと、今度はそっちの旨さが入り込んでくる。で、飲み込むと、もう口に出汁も酒も残ってねえんだ!」


 興奮気味に感想を伝えるリンに、憩は白い歯をこぼす。


「そうなんです。その洗い流される感じが『キレ』なんです。口の中が真っさらになるから、またおつまみに手をつけたくなるし、お酒も飲みたくなる」

「キレ、恐ろしい酒の魔法だぜ……」


 彼の感想に呼応するように、老爺も眠そうに片目だけ開けながら「な? 良い酒だろ?」と誇らしげに瓶を叩いた。



「外で飲む酒も、いいですよね、リンさん」

「ん、だな」


 暑くも寒くもない、ちょうどいい気候の中で、清風が憩の体を撫でる。横髪がサアッと左に流れ、彼女の視界は少しの間、栗色の縞模様と化した。



「イコイは、元の世界では何やってたんだ?」

 急に雑話を切り出したリンに、憩は数度瞬きをする。やがて、彼なりの友好の証だろうと気付き、肘をついてリラックスした。


「財務経理っていう仕事ですね。収入や支出をまとめるんです」

「ああ、財政の管理ってことか。ヒーレにも王直轄の財政局があるぞ」


 いつの間にか自身の腕を枕に寝ている、老いた店主を対面で見つつ、リンはコルクを肉球で押し開け、先ほどのポーションを2人のグラスに注ぐ。


「馬車よりもっと速い乗り物を造って売ってる会社で働いてます」

「会社?」


「んっと……あ、昨日見たレンガ屋さんみたいなものですよ。製造と販売を両方やってるんです」

「なるほどな。数字に強いのは重宝するぜ。うちの財政局を手伝ってほしいくらいだ」


 そもそも人も足りねえんだよな、とこぼすリン。不意に強くなった風が緑葉を宙に躍らせ、リンは「おりゃ!」と短い手で叩き落としてご満悦な顔を見せた。



「リンさんは、ずっとモンスター討伐局で働いてるんですか?」

「んあ? ああ、18までは家の手伝いやったり魔法を修めたりしてて、そこから採用になったな。もう10年か」

「え、28歳なんですか! 年近いですよ、私27歳ですから」

 その一言に、彼は「そうか!」と何やらご機嫌になる。


「どおりで局の同期と雰囲気似てるわけだ」

「ふふっ、リンさんは猫だから雰囲気分からないですけどね」

 憩の冗談に、尖った爪を見せて「んだとお!」と威嚇してみせる。


「へっへっへ、俺が人間に戻ったら結構な男前でビックリするぜ」

「じゃあ、楽しみにしてますね」


 彼女は2つのグラスにゆっくりとポーションを注ぐ。ほとんど波立たずに嵩が増していく酒は、まるで勝手にグラスの中から湧き出る魔法のよう。


「頂きます」

 口をつけ、またキレを味わう。


 甘さも辛さも口の中で感じたはずなのに、飲み込むとまるで何もなかったかのよう。幾分かの寂しさを覚えた口が、自然と次の一口を求める。


  今度はスープを飲んでからポーションを煽る。舌に残る出汁の風味がお酒でさらに膨らみ、絶妙なハーモニーになったところで喉に流す。ゼロになった余韻の代わりに心に満ちる「もう一口」の誘惑。幸せな時間を、雲のない茫洋たる空が包んだ。



「思い出した!」

「どわっ! 驚かせんな!」

 急に起き上がった老爺に、リンは椅子から転げ落ちそうになる。


「アンタ、モンスター討伐局のリンクウィンプスだろ?」

「なんだ、俺ぁそんなに有名かい?」

 ちょっと得意気に、憩に向かって胸を張るリン。


「うははっ、そりゃ有名だよ。よくイタズラして国王様から猫に変えられてるってよ」

「はあああ! 誰が言ってやがんだそんなこと!」


「もう10回くらいなってるんだろ? 局に入ってから猫になってる期間の方が長いって噂聞いたことあるぜ」

「っざけんな、9回だ! 人間の期間の方がちったあ長えよ!」



 テーブルに飛び乗って全身の毛を逆立てるリンを、憩はクスクスと笑いながら次に開ける瓶を探し始めた。

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