3升 ポーションと飲み口

8杯目 ポーションとコク

「クソッ! ざけんな! ここまで歩いたんだぞ!」


 宿屋での飲みから1日経った、憩が転移して5日目の夜。

 明らかに閉まっているカーガトービの道具屋の前で、リンが入口のドアに背を向け、前足で砂をかけていた。



 朝からカーガトービの町を散策し、近くを流れる川をボートで揺られたりして日中を過ごしながら南下していった。

 そして日も暮れたところで「もう1軒ある」と教えてもらった道具屋に来たものの、入口のドアには「都合によりしばらくお休みします」と書かれた貼り紙が。


「何の用なんだよ! 病気ならポーション飲んで治せ! せっかく来たんだから俺達に飲ませろこの野郎!」


 気落ちした憩だったが、彼女の横でドアの下の方に爪で「バカ」と引っ掻いているリンを見ると、不思議と元気を取り戻せた。


「仕方ありません。リンさん、ポーションも時の運ですから」

「結構歩いたのによ……。でもイコイ、当分って書いてあるから、いつになったら開くのか分かんねえぞ」


 昼間、通りすがりのおばさんに、道具屋は昨日宿で飲むのを買ったところとここの2ヶ所だと教えてもらった。ここがダメだとなれば、残念ながら次の町に行くしかないだろう。



「仕方ねえ、また宿屋探すか」


 と、その時。遠くから、小さな声が聞こえた。


「いらんかねー? 聖なる木の実に、月の草、ポーションも色々揃えとるよー」


 だんだん大きくなるその客寄せ文句に、憩とリンは目を合わせ、声の元へと歩いていく。

 やがて目の前に、木でできた大きな荷車を引く老人の男性が現れた。


「おっ、お嬢ちゃん達、どしたんだい? 勇者には見えないが、道具買っていくかい?」


 薄くなった白っぽい金色の短髪、60歳は超えているであろう彼は、紅潮している顔をクシャッと歪ませて笑う。

 憩は荷車を見ながら、博多出張で見た移動屋台を思い浮かべていた。


「おい、爺さん。何だこりゃ? アンタ道具屋か?」


 全面が木で覆われた荷車によじ登って、隙間から中を見ようとリンに、老爺は「いんや」と返す。


「ここの道具屋、しばらく休業するだろう? ワシはもともと趣味で道具を買い集めてたんだが、休業のせいでこの近くに来てる勇者たちが困っとるんじゃないかと思ってな。若いころに移動酒場やってたこの車で売ることにしたんだ」

「わあ、素敵ですね!」


 憩は、彼の思いやりに感銘を受けつつ、引き戸になっている部分を動かしてみた。

 見慣れない草や宝玉に交じって、ガラスの瓶が幾つも置かれている。日本酒でいう三合弱、500mlくらい入った中瓶。



「ポーション、しかも見たことないものですね」

「何だ、お嬢ちゃん、ポーション好きなのか」

「はい、奥が深いですよね」


 その返事を聞いた途端、彼のテンションが2段階上がった。


「そうかそうか! ワシも昔から大分飲んで研究したもんだ! 今日出るときも飲んできたからな」

「飲んでんのかよ……道理で顔が赤いわけだぜ……」


 リンのヒゲがピンと後ろに張る。飲む流れになりそうだ、という出費の予感がしたのだろう。


「うしっ、ちょっと待ってろよ。今、即席のポーション酒場にしてやるからな」


 そう言って彼は、荷車を道の端に寄せる。


 まず、車輪近くの木枠を下ろして、荷車を固定させた。次に横の戸板を外し、屋根を水平に開いて挿し木する。最後にテーブルと椅子を出し、中に入っていた道具を全てテーブルの上と下に置いて、屋台の完成。


「ささ、座ってくれ座ってくれ。まずはワシのオススメの一本だ。シャーリとコージュと水だけで仕上げてある。磨きも5割、しかも吟醸造りだ」


 純米大吟醸ね、と心躍らせながら、憩は2席用意された椅子に座る。もう片方の椅子にはボロボロのクッションが3つ重ねて敷かれ、リンはバランスを取りながら人間と同じような姿勢で座った。


 赤いボトルに模様が彫られている瓶から、お猪口より少し大きいグラス3つになみなみと注がれる。


「ワシも飲ませてもらおうかね。それじゃあ、乾杯!」

「乾杯!」

 喉が渇いていたこともあり、憩は一口でクッと飲み干す。



 香りは強く、華やか。湧き水にそっと砂糖を入れて、仄かに塩と酸味を加えたような。果実で言えば、ライチがこんな香りだったような。


 口の中で最初に感じるのは、発酵による発泡感。プチプチした感触に舌が慣れると、次第に甘味が存在感を増してくる。


 そして甘味に慣れてくると、次に感じられるのは酸味と苦味。無色透明な一杯の中に、果てのない奥行きがある。



「へえ、複雑な味わいだな」

 ぶはあと息を吐くリンに、臨時の道具屋はまたクシャッと顔を綻ばせる。


「どうだい、ニャンコ、旨いだろ?」

「てめえニャンコ呼ばわりしてんなよ! 俺はリンクウィンプスだ!」


 モモンガのように全身で跳び、老爺の肩にべたんと貼りつく。しかし彼は「猫には変わりないんだからいいじゃないか」と焦ることなくリンを剥がして椅子に座らせる。


「お嬢ちゃん、好きな味かい?」

 訊かれた憩は、右手を顎の下に当てながら答えた。


「ええ、コクがあって飲みごたえがありますね」

「……は? コク?」

 目を細めて顔を突き出すリンの横で、老爺は大きく手を叩いた。


「おお、分かる分かる! これはコクがしっかりしてるな!」


 飲んで少し熱くなったのか、彼女はパッパッと首を振り、栗色の髪を後ろに流してから猫の方を見た。


「せっかくですから、リンさんも味の表現を少し覚えてみましょう!」

 そして、左手を開いて前に突き出し、順番に指を折っていく。


「甘い・辛い・酸っぱい・苦い・旨い。この5つを五味ごみと呼ぶんです。で、これがバランスよく感じられることを『コクがある』と言うんですよ」

「ふうん、そういうことか」


「さっきリンさん、『複雑な味わい』って言ってましたよね? それが正にコクのことです」

 手でやんわりと促され、リンはグラスのポーションにもう一度口をつける。


「甘さ……辛さ……旨さ……苦さ…………酸っぱさもある! おお、感じた感じた!」

「ポーションによっては、甘さや辛さが際立ってるのもあるからな。まっ、その辺は好みだから、一概にどっちが良いとは言えないけどよ」


 ワシはコクがある方が好きだな、とくしゃみしながら話す彼に、リンはおそるおそる尋ねた。


「ところで爺さん、ダメ元で聞くけどよ、飲むためのつまみとかって……」

「ああ、忘れとった! これだこれ」


 そう言って取り出したのは、中身のない大きめの貝殻。


「……なんだこれ」

「これにな、薄いスープを入れて沸騰させんだよ。そうすっと、良い貝出汁の取れたスープに早変わりだ」

「わあ、素敵です! 頂きましょう、リンさん!」

「なんか侘しい……」



 どっちの貝によりたくさんスープが入るか、楽しそうに選ぶ憩の横で、リンは肩を落としながら右手で顔を押さえた。

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