7杯目 ポーションと辛口

「よし、リンさん、次は辛口を飲みましょう」

「ああ、いってみっか」


 リンが憩にグラスを差し出すと、彼女は自分のグラスも併せて持って椅子を立ち、部屋を入ってすぐの左手に位置するシャワーと洗面所のスペースにいそいそと駆けていく。


 やがて、水を流す音とキュッキュッとグラスを拭く音が、リンの耳にも届いた。


「お待たせしました」

「お前さ、いちいち洗わないでもいいんだぞ」


 彼の言葉に憩は上機嫌にチッチッチと芝居がかって指を振る。


「前のポーションが混ざると、少し味が変わってしまいますからね。同じ系統の味ならともかく、甘口から辛口に変えるときなんかは、ちゃんと洗って飲んだ方が良いですね」

「へえ、そういうもんかね」


 退屈を紛らわすためにベッドのスプリングでびよんびよんと跳ねるリン。

 タイミングを見計らってポンと前方宙返りを決めると、憩は「お見事!」と拍手で祝福した。


「ささ、まずは+4のこのポーションです」

 キレイになった2つのグラスに、トットッと注ぐ音が響いた。薄い山吹色に艶が出たポーション。


 彼女が鼻を近づけると、シャープな香りが舞う。華やかさはないものの、水仙のように澄んだ匂いは、「どんな味か、早く飲んでみたい」という欲求を嫌が応にも刺激された。


「では、頂きます」

 クッと口に運ぶ憩。



 ドライな葡萄のような、不思議なフルーティーさ。ピリッとした辛味が主張してきて、そのあとに仄かな酸味を感じる。飲み終えた後の口の中はサラリとして、爽快感が強い。二口目、三口目と飲み進めていくと、その爽やかさがクセになり、どんどん旨く感じられていった。



「なるほど、これが辛口か。べったり来る感じはないな」

「そうなんです。前も話しましたけど、香辛料みたいな辛さというニュアンスじゃなくて、甘みが少ないって感じですよね」


 胡坐のような姿勢のままお腹と手でグラスを抱えながら、リンは酒場で注文したつまみをチラチラと見ている。


「なあイコイ、こういう辛口には何の料理が――」

「ふふっ、リンさん、任せてください」

 まだ開けてないお皿の蓋をゆっくり開けながら、彼女は続ける。


「比較的どういうお料理とも合わせやすいですけど、あっさりしたものとも相性が良いのが特徴ですね。例えばお魚でも……」


 そう言って彼女がリンの前に置いたのは、頭までしっかりついた魚の塩焼きだった。


「こういうシンプルなものも、辛口だとイケますね」

 リンはその皿を一瞥した後、顔を上げて憩をジトーっと見た。


「お前さ、俺が猫だからってわざと魚多めに選んでないか?」

「いえいえ、ポーションと魚は絶対に合いますから! もちろん、リンさんにも合いますし」

「テメエ、やっぱりじゃねえか!」


 口をがあっと開いて怒鳴るリンに、憩は「まあまあ」とお替りポーションを用意する。


「塩焼きと辛口、ぜひ一緒にどうぞ」

 そう言うと彼女は「私もいただきます」とフォークで魚を切った。



 口に入れた塩焼きは絶妙の焼き加減。フォークに乗せてる間はしっかりと形を保っているものの、舌の上でホロッとほぐれる。キュムキュムと噛むと少し沁みだす油が、味わいをより深いものにしていた。


 そこに辛口のポーションを一口。口の中の脂っこさを「受けとめる」のではなく「流す」。さっきと同じ、ピリッとした辛味の後に若干の酸味。爽快感が口の中を駆け、フラットな状態に戻る。



「くはあ! こいつはまた良い相性だな! また塩焼きを食いたくなる」

「そうなんです。お酒がループしやすいですよね。魚の皮だけでも飲めちゃいます」


 彼女は率直な感想を述べたつもりだったが、リンは口を手で押さえて軽く震える。


「……イコイ、お前やっぱり、皮で飲めるタイプなんだな。俺のダチにもそういうタイプはいるんだけどよ……」

「何言ってるんですかリンさん。しっかり焼いてあるなら、皮残して身は全部あげてもいいくらいです」

「そこまで!」


 驚嘆しつつ、リンは残ってる料理を袋から引っ張り出した。


「あ、それも辛口に合わせようと思って買いました。青豆の塩炒めです」

「また地味なメニューを……」

「確かに、酒場では人気なさそうですね」


 憩はフフッと笑って、まだ開栓してない紫の瓶を出した。


「このポーションいきましょう。+8の超辛口です」

 2人のグラスに注がれる。


「んじゃ、いただくぜ」

「リンさん、乾杯!」

 ガラスのキレイな音を響かせてから、憩は青豆を口に運ぶ。



 下ごしらえや調味料の配合が上手いのか、青臭さがまったくない。一方で、プツンと噛み応えを残した火の通し方。噛むと塩気がなくなり、豆本来の味が広がっていく。


 口から無くなると、今度はポーション。無色透明で香りは薄め。先ほどのと違い、こっちは先に緩い酸味が来る。その酸味は持続しつつ、やがて辛味を伴ったアルコール感。苦味もなく、強烈な刺激もなく、その味わいは飲み込むとともにスッと消える。料理に寄り添う、上等な辛口。



「かぁー! いいねえ! いい酒だ!」

「ですね! あっという間に飲みきっちゃいそう。やっぱりいいですね、ポーション。明日も飲むの楽しみです」


 明日はカーガトービ散策か、とリンはベッドを窓の方に向かってトトトッと走り、木を模したようなコート掛けによじ登って外を見た。


「雲もないし、晴れそうだな」


 憩も体を少し後ろに倒して眺める。さっきより少し高い位置にある半月は、周りに雲もなく、暗がりの町に柔らかな明かりを投げかけている。


「月を見ながら飲むの、やっぱり良いですね」

 グラスから口を離し、ほうっと息を吐く憩を、リンはまじまじと見る。


「ホントに酒が好きなんだな。酔う感覚が良いのか?」

 その質問に、憩は「んんー」と幾許か言い淀む。そして、自分自身に確かめるようにゆっくりと口を開いた。


「……ほろ酔いの感じも良いですけど……お酒をしっかり味わったり、ゆったり落ち着いた時間を過ごしたり、そういうのが好きですね。混んでるところでグビグビ飲むようなのはちょっと」

「なるほどなあ」


 会話が終わり、2人で外を眺めた。黄色い月とその遥か下を泳ぐ薄い雲、低く響く鳥の鳴き声が、酒の席に彩りを添える。


「おい、お替りどっち飲むよ?」

「ん、じゃあ+8の方でお願いします」

 それを聞いたリンは短い右手でガッツポーズを作る。


「へへっ、やったぜ。俺は+4の方が好みだからこっちは頂く!」

「ふふっ。ええ、どうぞ」




 こうして、呑み助の夜は過ぎていく。

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