6杯目 ポーションと甘口

「さて、まずは-3の甘口ポーションを飲んでみましょう」


 青い瓶のコルク栓を親指で上に押すように抜くと、キュポンッと心地いい音が奏でられた。

 グラスに注ぎ、小さく乾杯する2人。


「うん、これは香りは控えめですね」



 大分穏やか。例えるなら生の大根のような、微かな匂い。

 ゆっくりと口に流し込む。ほんのりとした甘みが舌を包み、まろやかに味が膨らんでいく。季節をイメージするなら3月下旬、少し暖かくなった春だろうか。口当たりは柔らかく、後味も重くなりすぎず、身体に優しく沁み渡った。



「おお、確かに甘みがある」

「そう。でも、砂糖を使ったお菓子とは違って、ベタつかない甘さなんですよね」


 胡坐をかくように座って、リンはもう一度グラスを傾ける。口の周りについたポーションをペロッと舌を回して味わった。


「果物や野菜の甘みに近いな。これが-3か。」

「まあ、前も話した通り、この+-の数値はあくまで目安です。実際は糖分の量以外にも酸度なんかも絡んで甘辛が決まります」

「酸度? 酸っぱいのか?」


 口を横に開いてイヤそうな顔をするリンに、憩は笑いながら「違いますよ」と首を振った。


「発酵の過程で酸ができるんです。日本酒の場合は乳酸とかですね。酸度が高いってことは酸が多い、つまり舌への刺激が強いので、辛く感じるんです」

「ふうん。とりあえず、俺はこういう甘口は嫌いじゃねえな」


 話していると、再びノックの音が聞こえた。


「はーい。あ、お料理ですよ! 待ってました!」


 ドアを大きく開けると、酒場の店員であるエプロンを付けた女性が2人、大きな袋を提げて入ってきた。

 テーブルの空いているスペースに、袋から出した蓋付きのお皿を幾つも並べていく。


 リンはその結構な品数に、尻尾を逆立てボワッと太らせた。


「注文は以上です。請求書はモンスター討伐局のリンクウィンプス様宛ですよね?」

「ちょっと待て、イコイ。ちゃんと値段見て注文したの――」


「数日後には請求書が届くと思いますので。それでは失礼します」

「おいお前ら、こんなに買ったんだから割引くらいしてんだろうな!」


 彼の言葉に無常にも笑顔を見せるだけの店員。その表情を崩さずに、ドアから出ていく。


「リンさん、おつまみ沢山あるのが好きなんだと思って、いっぱい買ってみました」

「ぐうう、嫌いじゃないけどよ……」

 手足も伸ばし切って、うつ伏せになって項垂うなだれる猫。


「だーっ、ちくしょう! 買っちまったもんは仕方ねえ! 食って飲むぞ!」


 残っていた最後の一口を煽り、グラスを爪でカツカツと叩いて「次のよこせ!」と憩に催促した。


「次はこっちのポーションですね。-6、かなりの甘口です」

 グラスに半分ほど注がれたポーションが、小さな波を作って揺れる。

 透き通った光沢のある水面が、柔らかい部屋の明かりを飲み込んで、複雑な模様を映し出していた。



「なんか凄いな、この香り……シャーリそのまんまだ」

「ええ、強いですね」



 つきたての餅のような、シャーリの匂いを存分に膨らませた香り。これを堪能するだけで、もう鼻は満腹になってしまいそう。


 そのまま憩は、吸うようにキュッと味わう。

 さっきとは違う、確かな重みのあるしっかりとした甘み。ガムを味わうかのように軽く噛んでみて、でもガムのように味が消えることはなく、口の中を満たし続ける。

 さっきのポーションが初春なら、これはお花見日和。桜吹雪が作った花筏のように、甘みが喉を流れていく。



「甘さがどっしりしてんな。好き嫌いが分かれそうだ」

「お、リンさんも大分ポーションにハマってきましたね」


 憩が嬉しそうに視線を投げると、彼なりの照れ隠しなのか、ヒゲをひょこひょこと触った。


「これにはどのつまみが合うんだ、イコイ」

「そうですね……例えばこれなんかどうですか?」


 彼女がスプーンと一緒に差し出したのは、蓋付きの皿の中でトロトロと揺れるホワイトシチュー。


「シチュー? 酒と?」

「ええ、甘口のお酒には、少し甘めな料理を合わせると良いです。料理の甘みを、ポーションが受け止めてくれます」

「そんなもんかねえ。辛い料理の方が、口の中のバランスが良くなるんじゃないか?」


 言いながらも蓋を開けて、スプーンで一口食べるリン。美味しかったのか、尻尾をパタパタと揺らしてベッドを叩いている。


「相反する味だと、料理の辛みとお酒の甘みが余計に際立っちゃうんです」

「なるほど、どれどれ…………ん、確かに合う!」


 目を見開いてグラスをくいっと干すリン。すかさず憩がお替りを入れる。


「後は、甘口って結構濃厚な味のものが多いんです。だから、甘くなくてもしっかりした味付けの料理もちゃんと受け止めてくれると思いますよ」


 そう言って、今度はスープに浸った魚の半身を出した。


「コンソメのスープで煮込んであるらしいです」


 どれどれ、とリンは皿の横にあったフォークで切り、んがっと口に放り込む。

 しっかり噛んで飲み込んだ後に、グラスのポーションをキュッと一口。


「ああ、うん、良い感じだ」


 憩も同じように味わってみる。濃いながらも優しいコンソメの中に時折顔を覗かせる、白身魚そのものの若干の塩気。


 飲み込んだ後も口の中が濃い味で満たされたそこに、甘口をゆっくり流し込む。

 これまた濃厚な米、もとい、シャーリが料理の風味を全て受け止めて、一息つける甘みに変えていった。


「うん、相性いいですね!」

「おい、イコイ! これ! 俺はこれが好きだ!」


 声のトーンを上げるリン。チキンのトマト煮とポーションを高速で交互に口に運んでいる。


「トマトのくどさが、ポーションの甘さで柔らかくなんだよ! こいつはすげえ! 人間に戻ったら城で毎日これを堪能してえな!」


 がっつくリンに、憩は口に手を当ててクスクスと笑った。


「リンさん、モンスターを日本に転移させてしまった罰で、猫に変えられてるんですね?」

 その質問への回答は、むせるほどの咳だった。


「ガハッ、ガハッ! おいテメエ、何でそのこと知ってやがる!」

「いえいえ、何となくそう思っただけです。でも、皆さん猫が話しててもあんまり驚かないですよね」


「いや……それはその……俺がよく国王様に猫に変えられてるからで……」

 さっきの威勢の良さはどこへやら、小声でぶつぶつと説明するリン。

「いいじゃないですか。猫さん、可愛いですよ」

「うるせえ! こんな茶トラじゃ俺の魅力はちっとも伝わんねえんだよ!」


 足をびよびよと伸ばして攻撃しながらグラスを傾ける猫。


 彼女はそのふわふわで柔らかい衝撃を手で受け止めながら、次に飲むポーションを楽しみに迷っていた。

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