2升 ポーションと甘辛

5杯目 ポーションと日本酒度

「はあ……こんなところまで来るとはな……」


 夜、宿屋の一室、猫には広すぎるベッドでゴロゴロと転がりながら、リンは独りごちていた。



 憩はザークの町のポーションが気に入ったのか、2日間あの道具屋で飲んだ。日中は店主に名所だと紹介された遺跡を見に行き、彼女はすっかり旅行気分。


 そして今朝。憩の「次の町に行ってみましょう」という提案で、さらに南、カーガトービの町へほぼ1日がかりで移動し、夜の今に至る。



「生活の面倒は見るっつったけどよ……馬車の移動で金は無くなるし、宿で金は無くなるし、何よりポーションで金が無くなる!」


 軽い恐怖で、彼のヒゲがブワッと後ろに向いた。頭の中で、ぐねぐねと繰り言は続く。


(そうなんだよ。あの女、食事自体に金はかかんねえけど、ポーション代がエラいことになってやがる。このペースで飲み続けたら、20日で並の勇者が一生で飲むポーションの量を軽く上回るぞ……)


(そもそも俺の魔法陣のイタズラが招いた件だからモンスター討伐局の予算使用は認められないし……嗚呼、俺の金が……)


 ゴロゴロと転がりすぎて、リンはベッドの縁から落ちた。


「ぐえっ」


 床の一部がベトついていて、くっついた茶色の毛が抜ける。

 まだ猫の体に慣れていないので、回転して足から着地する技術は体得できていない。


「くそう、飲みたい気分だ……」


 美味い酒を飲んで気分を良くしたいが、それが更に彼の蓄えを圧迫する。おかしな矛盾に、リンは思わず自嘲した。




 ***




 軽快なリズムで廊下の床が軋む。やがて、ゴンゴンとノックの音が響いた。

「リンさん、入ってもいいですか?」


 憩の声に、リンは「あ? ああ、いいぞ」と返事した。


「お邪魔します」

 大きな袋を持って、憩がリンの部屋に入る。


 寝間着には着替えておらず、黄土色のシャツに、濃い茶色の長いスカートのまま。

 手には麻や紙の袋を幾つか抱えていた。


「ポーションを買ってきたので、良かったら一緒に飲みませんか?」

「やっぱりポーションか……って、は? ちょっと待て」

 リンがベッドの上ですっくと立ちあがる。


「お前、ヒーレ王国の金持ってねえだろ。どうやって買ったんだよ」

 猫の問いかけに、彼女は大きめのテーブルに戦利品を並べながらニコニコと答えた。


「夜のお散歩しようと思ったら、道具屋さんが開いてたんです。それで、ちらっとポーション眺めてたら店主の方に『買ってくかい?』って聞かれて。お金はいつもリンさんに払ってもらってるって話をしたら、じゃあモンスター討伐局に後で請求書回しておくよって」

「この野郎! ついに請求書の技を覚えやがったな!」


 肉球でバフバフと彼女の太ももを叩く。生地が厚くて爪は食い込まず、憩はマッサージを受けているかのように穏やかな表情を見せた。


「ちくしょう……ええいっ、飲ませろ! 俺も飲んで元を取る!」

「ええ、大丈夫ですよ、何本も買ってきましたから」


 陳列棚のようにテーブルに並んだポーションを見て、リンは肉球の手で顔を覆った。




「それでですね、今回は店主の方に、ポーションの情報を調べて書いてもらったんです」


 瓶を回してリンに見せてあげる憩。ガラス瓶に白色のペンで、「+5」「-3」など、大きく数字が書かれている。


「何だ、この数字?」

「簡単に言うと、このポーションが甘いか辛いかを表してます」


「辛い? トウガラシみたいにか?」

 目を細めて怪訝な顔をするリンに、彼女は「違いますよ」と首を振る。


「そういう香辛料的な辛さではなくて……甘くない、ってことですかね。ザークの町で、甘みのあるポーション幾つかあったじゃないですか? ああいう味じゃないってことです」


 ふうん、と猫は瓶を倒し、玉乗りのように乗って遊んでみた。

 3歩目で足が滑り、したたかお腹を打って悶絶する。



「この甘辛の考え方も、日本酒の『日本酒度』と同じでびっくりしましたよ。水と比較したときに、糖分が多いと比重が重くなるんです。それを利用して、水と比べて糖分がどれだけ含まれているかを計器で測る。マイナスになったら糖分が多い、つまり甘口です」


「プラスに振れたら糖分が少ない辛口ってことか」

「ええ。まあ糖分以外の要素は考慮されてないので、あくまで目安の1つという感じですけどね」


 ではでは、と彼女は、腕に掛けていた麻袋にガサガサと手を突っ込む。


「下の食堂からグラスを借りてきました」

「お前、酒に関する行動力は恐ろしいな……」

 彼はグラスを手に取り、ベッドの上で抱きかかえるように持った。



「そう言えば、お散歩に行ったときに改めて気付いたんですけど、文字が読めるようになってるのも、リンさんの魔法のおかげですか?」

「今更気付いたのかよ!」


 ふてくされるように、右手でグラスを倒すリン。

 マットレスの上に、ぽふっとグラスが転がる。


「転移魔法の陣は、誰がどこに転移してもいいように、言語変換がかかってんだ。話す・聞くだけじゃなくて、イコイが読む文字も書く文字も自動でヒーレのものに変換される」

「へえ、すごいですね! もっと色々、お話聞かせて下さい。でも、まずは乾杯ですね。甘口・辛口を飲み比べてみましょう」


 一杯目をどれにするか、いそいそと瓶とプラマイの数字を見比べる憩。そんな彼女に、リンは率直な疑問をぶつけてみる。


「なあお前さ、つまみ買ってこなかったのか……? 道具屋の隣に酒場あっただろ。肉料理の持ち帰りとか……」

さかなですね、任せてください」


「サカナ? おい、俺は肉の話をしたんだぞ」

 憩は一瞬意味を図りかね、やがて「あ、いえいえ」と返した。

「お酒に添えて食べる物を肴って言うんです」

「ふうん、そうなのか。紛らわしいもんだ」


「で、今回はちゃんと買ってきましたよ。リンさんはつまみと一緒に飲むのが好きみたいだったので」

 その答えに、「でかした!」と肉球で彼女の二の腕を叩いた。


「ただ、混んでたので作るのに時間かかるみたいです。後でこの部屋に届けてもらうようお願いしました」

「チッ、しゃあねえ、楽しみはお預けか」


「なので、これで先に飲んでましょう」

 首を傾げる猫の前で、持っていた茶色の紙袋を綺麗に切り、簡易な皿を作る。

 短くて黄色い紐のようなものが、パラパラと並んでいた。


「チーズの切れ端です。なんと、ただで貰えたんですよ」

「……少ねえ!」


 余りの少量に、リンは思わず紙袋を持ち上げ、下に落ちてないか確認した。


「味の濃いものを少量おつまみにして、お酒を楽しむ、それがいいんじゃないですか。それに、今日は別のつまみもありますしね」

「は?」


 窓を開けた憩が指差す先には、くっきりとした半月。


「月を愛でながら頂く。ふふっ、これぞ呑み助です」

「…………月? …………クククッ、だな、それも風流かもしれねえ! よし、飲むとしようぜ!」



 尖った歯を見せて笑うリン。その顔には「むしろ清々しいぜ」という可笑しさが浮かんでいた。

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