3杯目 ポーションと純米酒

「ううん、結構遅くなっちゃいましたね」


 馬車の窓から外を眺める憩。白い月の前を引っ切り無しに分厚い雲が通り、暗い夜を作り上げていく。


 街灯の類はなく、馭者がつけているライトだけが、少し先の畦道を照らしていた。


「仕方ねえだろ、モンスターいる場所避けて遠回りしてんだ。それに、報告しなきゃいけねえことが多かったんだからよ」


 ぶちぶちとぼやくリンは、座席の上で2本足で立ち、バランスをとって遊んでいる。



 隣町に向けて馬車に乗る前、リンは憩に「ちょっと時間をくれ」と頼み、所属するモンスター討伐局に連絡を入れた。

 魔法の力で声を届けられる、小さい水晶玉を出現させ、今日起きた残念なお知らせを報告する。


 憩はその間町を散策していたが、色々な手続き・謝罪が必要だったのか大分長引き、結局出発も大幅に遅れてしまった。


「大体よ、転移魔法使っても良かったんだぞ」

「ダメですよ、魔力使ったら私が日本に帰るのが遅くなっちゃいますし。それに馬車乗ってみたかったんですから!」

「変わってんな、ホント……」

 景色の変わらない視界に、リンは飽き飽きしたようにお腹を掻いた。




***




「お、着いたみてえだな」


 馬のいななきが聞こえると共にスピードが落ち、やがて車が完全に止まる。

 昼間いたコクリュより少し大きい町は、ポツポツと明かりが見えるだけで、すっかり黒色に包まれていた。


「ここがザークだ。酒場の数も結構多い」

 スタスタと憩の先を歩くリン。彼女は騒がしい酒場や寝静まった家々をキョロキョロと見つつ、目的の店を発見して足を止めた。


「リンさん、道具屋は閉まってますね」

「こんな時間にやってるわけねえだろ……」


 呆れたように顔に肉球を当てるリンに「それもそうですね」と相槌を打つ憩。日本での便利な生活に慣れすぎてるなあ、と彼女は自嘲気味に笑った。



「今夜はこの町の宿屋だな」

「うわあ、宿屋! 本当に泊まれるなんて嬉しいです!」


 思わず憩の声のトーンが高くなる。

 ゲームでずっと使っていた施設、まさか自分が実際に使う日が来るとは。



「すまねえ、急で悪いんだけど、2部屋空いてるか?」

 ベッドの描かれた看板が目印の、小さな宿屋に入る。

 受付で、恰幅のいいおばさんが出迎えてくれた。


「あいよ、大丈夫だよ」

「リンさん、一緒の部屋でもいいんですよ?」

 憩の提案に、リンは尻尾をビクンと立て、シャアッと牙を剥いた。

「バカじゃねえのかよ! 男女で一緒の部屋なんかで寝られるか!」


「猫だから何もないと思いますけど……でもありがとうございます。ふふっ、優しいんですね、リンさん」

「うるせえっての。ほら、2階だってよ。これが鍵だ。俺は1階だから」

「はい、じゃあまた明日」


 リンからもらった鍵で部屋に入る憩。布袋に包んで目立たなくしていた元の服と仕事バッグを、質素なテーブルに置く。


 そしてそのままベッドに突っ伏した。ギシギシと軋むマットは自宅のに比べて大分質が悪いけど、色々と疲れた今日はこれでも十分熟睡できそうだ。


 シャワーは明日浴びるかな、と考えながら、いつの間にか憩は眠りに落ちていた。




***




「見て下さい、リンさん、このポーション! 瓶の色もカラフルで素敵です!」


 翌日、開店と同時に道具屋に入った憩は、棚に7~8種類並んだポーションを見て一気に元気になった。


「確かにコクリュよりも種類があるな」


 リンも興味深そうに棚をポフポフと叩いた。昨日いたコクリュの道具屋と広さはそんなに変わらないのに、ポーションには力を入れている店らしい。


「造りやすいし、嗜好品と違って勇者や見習いは必ず買うからね。色んな人が醸造してるんだよ」


 コクリュのおじさんと比べて大分若い店主のお兄さんが、売り物の棚を乾拭きしながら答えてくれた。


「あの、純米酒……じゃなかった、シャーリとコージュだけで造ってるポーション、ありますか?」

「ああ、幾つかあるよ」


 そう言って、冷蔵の棚から3本の瓶を出してくれる。


「はい、これ。それぞれシャーリの磨きが違うんだ」

「磨き?」


 首を傾げるリン。トラ模様の茶色い毛が憩の左手に当たり、彼女はくすぐったさで顔を綻ばせながら説明する。


「日本酒と一緒なら、原料のシャーリの外側を削ったってことです。磨くって表現をよく使うんですよ」

「は? なんでシャーリを削るんだ?」


 会計のカウンターに登りながらリンが質問すると、今度は店主が答えた。


「外側に雑味が多いんだよ。シャーリの中心は雑味がなくて香りも高くなるんだ。磨き6割といったら、シャーリの外側を4割削ったってことさ」


「日本酒だと『精米せいまい歩合ぶあい』って言ったりもしますね。すごいものだと磨き3割、つまり7割も削ってるものもあるんです。それだけ手間をかける分、香りも良くてくどさもない味になるんですよ」


「……イコイ、お前ホント、酒のことになると饒舌になるな」

「えへへ、大好きですから。じゃあ早速、頂きましょう!」


 まずは、と店主が注いだのは、昨日飲んだ緑の瓶だった。


「ああ、やっぱり濃厚な感じだ。うん、うめえな」

 リンが両手の肉球でグラスを押さえながら、コクコクと飲んだ。


「今のが磨き8割のポーションだよ。シャーリの2割を削ってるんだ。で、こっちが磨き6割」

「4割削ったってことか。どれどれ」


 リンと同じタイミングで、憩もそのポーションを飲む。磨き6割、日本酒で言えば、精米歩合60%のお酒。



 匂いだけで幸せを感じられるパイナップルのような香りに、味わいはとてもふくよかでまろやか。米、もといシャーリの味がよく感じられる。

 少しとろみのある舌ざわりは、尖った感じがなく飲みやすい。

 甘味と旨味のバランスが綺麗で、ずっと飲み込まずに味わっていたくなる。



「なんか、さっきのより味が膨らんでる……?」

 ペロッと口の周りを舐めた後、もう一口飲んで味わいを確かめようとするリン。


「ですね。磨いたので、よりシャーリの旨味が増してます」

 そして、新たに用意されたグラスに、もう一つのポーションが注がれる。


「これが僕のオススメ、磨き5割でしかも『吟醸造り』だよ」

「えええええ!」

「あ? ギンジョウ……なんだって?」


 憩は栗色の髪を揺らし、興奮の面持ちで「吟醸ですよ!」とリンの背中をポコポコと叩いた。


「醸造のときに低温で発酵させて、香りがより強く出るようにしたお酒です」

 嬉しそうにポーションの瓶を見つめる憩。


 磨き5割で吟醸造りでといえば、日本では「純米大吟醸」と呼ばれるお酒だ。

 そんなお酒をお金も明日の仕事も気にせず飲めるなんて、彼女にとってまさに天国だった。


「リンさん、飲んでみましょう!」

 オススメのポーションを口に含む。



 舌先から舌全体へ、上品でドッシリとした甘さが、塊となって口に押し寄せた。

 ゆっくり噛んでみると、また別の味わい、薄めた水飴のような滑らかな甘さも顔を覗かせる。

 鼻から抜ける息にも香りがついているようで、ただただ、心地良い。



 憩が横を見ると、リンが「ぷはぁ!」と楽しそうに口を開いた。


「こりゃすげえ! 甘みもすごいし、雑味がねえ!」

「ふふっ、そうなんです。磨いたお酒って飲みやすいんですよ。作業に手間がかかるから、値段は高めになるんですけど」


 その言葉を聞いて、がっくりと項垂れる猫。このポーション飲み歩き旅で幾らかかるか、心配になったのだろう。


「お兄さん、次のお酒お願いします!」

「くそっ、高くても美味いから許す! 俺ももっと飲むぞ!」


 リンは声を弾ませて残りのポーションをすうっと喉に流し、グラスをカウンターにタンッと置いた。

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