2杯目 ポーションと製法
「あ、え、すごい、日本酒そのまま!」
驚きながら、もう一口飲む憩。
米のような香り、鼻にも喉にも広がるまろやかな味わい、途中で顔を出す微かな苦味、飲んだ後に口の中に風味が残らないキレ。
どう表現しようにも、彼女が大好きな酒そのものだった。
「日本酒? ニホンの酒か?」
リンの質問に、呑み助の憩は嬉しそうに頷く。
「ええ、お米っていう炭水化物を発酵させて造る醸造酒なんです。それに味がそっくりで」
「炭水化物で造るのかい?」
道具屋の店主が、瓶を棚に戻し、話に入る。その手には布の袋が握られていた。
「ポーションも同じだよ。シャーリっていう炭水化物から造るんだ。ほら、これだよ」
そう言って、袋の中を見せた。そこに入った白いさらさらの粒は、色も形も、1粒齧った味わいも、ほぼ米だった。
「もっとも、食用とポーション用のシャーリは少し違うけどね」
「シャーリ……ふふっ」
思わず吹きだした憩を、リンは不思議そうに見る。
「すみません、あまりにもシャーリと米が似てて。日本酒に使う米も、食用と酒用で違うんですよ」
何よりシャーリという名前。ご飯の「シャリ」みたいで、その偶然が妙に面白かった。
「お前、この味が好きなのか。変わってやがんな」
「そうですか?」
いつの間にかカウンターに登っていたリンが、体をぐでんと横にしていた。
そのヒゲが下に垂れてるのを見て、リンは従妹の家で飼っていた猫を思い出す。確かこれは、リラックスの証。
「ヒーレ王国じゃ酒っつったらビールやワインやウィスキーだしな。それに、勇者は体調が悪いときにこれを飲むからな。味についてアレコレ言うヤツは少ねえよ」
なるほど、とポーション棚を見ながら、憩はこのお酒の使い道を思い出す。
そういえばこれ、回復道具なのよね。確かにたくさん飲んだら酔って痛みは麻痺するだろうし、アルコール消毒にも使えるのかもしれない。所変われば用途も変わるんだな。
「でも国中で必要だからね、各地に色んな種類のポーションがあるよ」
「ホントですかおじさん!」
カウンター奥に戻った店主に、ずいっと寄る憩。勢いに気圧された彼は、薄く苦笑いを浮かべている。
「あ、ああ。うちの店だって何種類かあるし」
「リンさん!」
憩はカウンターの上でお腹を描いていたリンの方に向き直る。
「これから私が戻れるまでの20日間、王国を巡ってポーションの飲み歩きをしましょう!」
「……は? これ飲むために国中周るのか? バカ言うなよ」
「でも、面倒見てくれるって言いましたよね? もともとリンさんのミスでこんなことになったんですし」
「俺だけのミスじゃねえ! けど、ぐぐ……異世界の人間放っておいたら国王様から叱咤が……あーくそっ! ついてねえ!」
少しイタズラっぽく笑う憩に、リンはため息交じりに「付き合えばいいんだろ、ちくしょう」と観念したのだった。
「で、おじさん。ここに別のポーションがあるんですよね? 買うので、飲ませてもらっていいですか? お金はこのリンさんが払いますので」
「早速この野郎、人の金だと思って!」
彼女の肩に、肉球でぱしぱしと恨みパンチを繰り出すリンを見て、店主は顔を綻ばせる。
猫が喋っているのに特に驚いてないな、と今更ながら気付く憩。この国では、魔法で人間が猫になるのは珍しくないのかもしれない。
「じゃあね、お嬢ちゃん。味がかなり違う2つを飲み比べてごらんよ」
店主はそう言って、冷蔵の棚から緑の瓶と赤い瓶を取り出した。
憩はその2本を手に取り、食い入るように交互に見る。日本酒でいう一合、180mlくらいの小さな瓶。
「この2つは何が違うんですか?」
「製法が違うんだよ。こっちの緑のは、シャーリとコージュと水で造ってる。コージュってのは、蒸したシャーリに食用カビを繁殖させたものだ」
シャーリは日本の
原料も名前も似ている異世界での偶然に、憩はまた吹きだしてしまった。
「そっか、じゃあこれが純米酒と同じってことですね」
「何だそりゃ?」
リンが瓶を撫でながら訊くと、彼女は「日本酒の分け方の1つです」と答えた。
「米と麹だけ、ここでいうシャーリとコージュだけで造ったお酒のことです。ってことは……おじさん、ひょっとしてこの赤い瓶の方、醸造アルコールが入ってるんですか?」
「おお、その通りだよ。ホントにお嬢ちゃんが飲んでる酒と一緒なんだね」
「ちょっと待てイコイ、酒を造るのに酒を混ぜんのか?」
「ええ、食用のアルコールを混ぜます。本醸造酒とか呼ばれるお酒ですね」
脳内の知識を紐解く憩。
醸造アルコールは、大手の酒造メーカーが造って、蔵元が買っている。その度数を薄めた酒が甲類焼酎と呼ばれるものだ。
「じゃあリンさん、醸造アルコールについては今度説明しますから、まずは一緒に飲みましょう!」
店主が用意してくれたグラスを前に、憩は期待に胸を躍らせる。
「じゃあ、まずこっちから飲んでごらんよ」
緑の瓶、異世界の純米酒がグラスに注がれた。
憩は口元にグラスの縁を当てたところで止め、まずは香りを楽しんだ。
和梨のようなフルーティーな匂いが鼻腔をくすぐる。
しっかりと堪能したところで、グラスをスッと傾ける。
口の中を緩やかに満たすポーションの風味。舌で転がすと、チョコやクリームとは全く違う、シャーリ独特の甘みが広がる。
鼻から抜けるのは、さっきのフレッシュな梨の香り。
飲み込んだ後も、喉の奥には幸せが残っていた。
静寂。窓の外の子どもたちの声、道具屋の柱時計、そして、グラスを置く音。
じっくりとポーションを味わうだけの、幸せで寂然たる空間。
「……うん、美味しい! リンさんも飲んでみてください」
「ん、ああ。ポーション、あんまり飲んだことねえんだけどな……」
そう言ってリンは胡坐をかくように座り、店主が用意したグラスを両手で持って飲んだ。
猫がお酒を飲むその姿がなんとも可愛く見え、憩は自然と笑顔になる。
「……へえ、なんか濃厚だ」
「そうなんです。醸造アルコールを使わない分、素材の味が出やすいんです」
続いて店主が用意したのは、赤の瓶、この世界の本醸造酒。
少し楽しみになったのか、リンは注がれる前からグラスを握っている。
「こっちはと…………おお、スッキリしてるな」
憩も、愛でるようにグラスを撫でてからゆっくりと飲んだ。
口当たりは水のような角のないスッキリ感。そこから旨味が沁みだしてくる。
透き通った味わいに、時折辛味が見え隠れしていたずらするように口をかき回す。
飲み込んだ後はサッパリしていて、余韻はあまり残らないタイプ。
「うん、醸造アルコールの力ですね。一概には言えませんけど、純米酒の方が濃醇に、本醸造酒の方が淡麗になりやすいんです」
「なんか……奥深いんだな、ポーションって」
「そうなんです! 日本酒ってとっても面白いんですよ!」
酒に強いとはいえ軽く酔ったからか、憩のテンションは少し高くなっていた。
「楽しんでもらえて良かったよ」
空になった瓶を片付けながら、店主が「そう言えば」と続ける。
「隣のザークって町に、うちより多くのポーションを扱ってる店があった気がするな」
「あ、こら! 余計なこと言うんじゃね――」
リンの嫌な予感は、憩の目の輝きと共に現実になる。
「おじさん! 場所、教えて下さい!」
「ホントに行くんだな……」
移動の疲労を存分に想像し、リンは耳をへたっと倒した。
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