そのポーション、熱燗で 〜呑み女(のみじょ)の異世界日本酒紀行〜
六畳のえる
1升 ポーションと大吟醸
1杯目 ポーションと道具屋
居酒屋の暖簾をくぐると、そこは異世界だった。
「……え? え……えっ?」
予想と違う光景に、
おかしいな。仕事終わりに夜の居酒屋に入ったつもりだったのに。
「どこかしら、ここ……」
お店とは程遠いそこは、広々とした昼の町。レンガ造りの家が建ち並び、馬車がゆっくりと移動している。通りには、
憩はといえば、栗色のセミロングこそ似たような髪色の人がいたものの、ブラウンのワンピースにネイビーのジャケットという服装が、まったくこの町に溶け込んでいない。
「別の国、みたいだわ……」
首を傾げつつ、憩は足元に目を遣る。土に綺麗な円形の陣が描かれ、その中心に自分が立っていた。
そして、陣の横には、茶色のトラ模様の猫が一匹。
その猫が、口を開く。
「……あ? なんだ? 女……? なんだお前! ヴァクトミステじゃねえ!」
見た目も大きさも普通の猫から、高いけど太い男性の声。
憩は驚いて後ずさりし、陣から両足をどけた。
瞬間、陣が煙と共にシュウウ……と音を立てて消える。
「あ、あの……ここは? 猫が喋って……?」
「うるせえ、色々聞きてぇのはこっちだ!」
すっくと立ち、両手の爪を見せて威嚇する。
「言語変換……は出来てるみたいだな。ぐうう、あの酒場の入り口にかけておいたのに……なんだ、魔法がイカれてんのか? いやいや、俺に限ってそんなことは……」
手を頭に当てて唸る猫。憩には、その仕草が妙に人間らしく感じられた。
「あの、よく分からないんですけど……酒場って、あの紫の暖簾のお店ですか? 猫の絵の描いてあった」
「…………っ! お前、そこに入ったのか! 休業してる店を選んだはずなのに!」
「え、ええ。あのお店、前から気になってたんです。やってないはずなのに、今日見たら何かお店の中が一瞬明るくなったから、やってるのかと思って……」
「あんな目立たない場所に、あのタイミングでかよ……俺の運も大概だ……」
狭い額を右手でぺしっと叩き、へなへなと崩れ込む猫。
そのままうつ伏せになり、ため息と共にぐにーんと伸びた。
「それで、ここはどこなんですか? 猫……さん?」
「俺ぁリンクウィンプスってんだ! 気安く猫なんて呼んでくれんな!」
顔だけ憩の方に向け、シャアッと歯を見せる。
「いいか、ここはヒーレ王国。お前がいた世界とは違う、言わば『異世界』ってやつだ」
「異世界……」
憩は斜め上を見て、SNSでたまに流れるその単語を復唱する。
ゲームやファンタジーの中のような世界ってことか。5~6年前、大学生の頃に夜遅くまでやったRPGを思い出す。
「で、お前がここに来た理由だが……王国の領土にはモンスターが棲んでるんだ。つっても、町を襲った例は過去にもほとんどねえ。人間と敵対してるわけじゃねえし、町の外の草原や森林の縄張りを荒らさなきゃ大丈夫だ」
「な、なるほど、共存してるんですね」
良かった。魔王がこの世界を支配しようとするような話ではないらしい。
「万が一に備えて、勇者がいるしな」
「勇者? 剣とか魔法とか使う、勇者ですか?」
「ああ。町やエリアごとに専属でいるんだ。何かあれば人々を守って戦う。で、俺はその勇者の管理や配属を担当してる、王直轄のモンスター討伐局の人間だ」
再び立ち上がって、えっへんと胸を張るリンクウィンプス。猫のくせにバランスが取れなかったのか、そのまま背中から倒れこんだ。
「討伐局の人間……え、リンプウィンプスさん、人間なんですか?」
「そうだ、色々あって猫になってるけどよ……。で、俺は転移魔法を使って仕事してんだ。そこに描いてあるような魔法陣で、森や山でモンスターに遭った人の近くに勇者を送ったり、応援部隊として他の町の勇者を呼び寄せたり」
憩が魔法陣に目を落とす。円の中に描いてある幾つもの細かい図形は、確かに魔法の呪文のようだった。
「で、その、なんつーか……ちょっと前にランダムな異世界に転移する魔法陣をイタズラ描きしたんだが……あれだ、そいつを消し忘れてよ……勇者が乗っちまってお前の国に転移したんだ」
「日本に!」
「そいつがヴァクトミステ。今日、この魔法陣であの酒場から戻ってくる予定だった勇者だ」
「ってことは、ひょっとして私が……」
彼女が目を見開くと、リンクウィンプスは尻尾をバタバタと揺らした。
「そうだ。ヴァクトミステはあの近くに身を隠してた。水晶の交信で、魔力の流れも目立たなさもあの酒場がちょうどいいと教えてくれてたんだ。で、あの時間、転移の魔法を発動して待っていたら、アイツよりお前が先に入っちまったんだ」
まいったねえ、と嘆きながら、彼はお腹の茶色の毛を右手で撫でる。
「それで、あの、私、どうやって戻れば……?」
不安そうに訊く憩。ちょっとしたミスとはいえ、この世界にずっといるわけにはいかない。仕事も友達との予定もあるし、大好きなお酒が飲めないのだって辛い。
「それがな……世界間を跨ぐ転移魔法は、大分魔力を消費するんだ。次に使えるようになるのは7~8日後くらいだ。ただ、悪いがヴァクトをこっちに戻すのが先だ」
「そうですか……」
憩は思わず
まいった、2週間も不在にしてたら仕事にも穴を開けるし、捜索願が出されてもおかしくない。
彼女の不安そうな表情を見て、リンクウィンプスは後頭部を掻いた。
「……まあもともとは俺のイタズラのせいだし、責任は取る。ヴァクトが戻ってから12~13日待ってもらえば魔力が最大限に溜まるから、お前をニホンのあの酒場の、ここに来た時間まで戻してやる」
「本当ですか!」
憩は安堵混じりに、トラ猫に歓呼する。良かった。滞在期間が20日に伸びたけど、そうすればさっきの時間まで戻れるんだ。
「あとは、ここにいる間の生活は面倒みるぜ。衣食住は心配しなくていい」
そう言って、魔法でポンと革の小袋を出して見せる。どうやら財布らしい。
「わ、わかりました。ありがとうございます」
「んじゃ、しばらくよろしくな。ああっと……」
「あ、桐ヶ谷、桐ヶ谷憩です。よろしくお願いします、リンさん」
「はあああ! リンだと! 俺はリンクウィンプスだっつってんだろ!」
「長くて呼びにくいですし……」
憩のしゅんとした表情に、彼は「あーっ、ったくよう!」と尻尾を地面に打ち付ける。
「リンでいい。よろしくな、イコイ」
「はい、よろしくお願いします、リンさん」
人間と猫。ずいぶん大きさの違う2つの手で、しっかり握手した。
***
「あ、宿屋がある! 武器の店も!」
町を散策しながら、憩は新鮮な光景にすっかり目を奪われていた。
先に服を買って着替えたので、目立つこともない。161cmの平均的な身長に、そこまでは凹凸のない細身だったので、サイズ選びも苦労しなかった。
「コクリュって町だ。そんなに大きくはねえ。つっても、勇者を目指して修行の旅に出てるヤツも多いから、どこの町にもそういう店はあるな」
「旅かあ」
夜更かししてプレイしたRPGの世界を思い出す。最近はすっかりご無沙汰だけど、VRの世界で改めて体験しているようで心が弾む。
「さて、飯にするか。昼だけど酒場は空いてるはず――」
「リンさん、あれ、道具屋ですか?」
憩が指した先には、日用品らしからぬ物を店頭に並べている店。
「ああ、勇者や見習いがモンスターと戦うときに使う物が売ってるんだ」
「面白そうです! ちょっと寄らせてください」
「おい、先に飯を……って聞いてねえな……」
好奇心のまま、彼女は店の中に入る。
所狭しと品物が並ぶなか、気になる棚を見つけた。
ガラスの扉がついた、如何にも冷蔵用の棚に、透き通った青色のガラスの小瓶が並んでいる。
「これ……ポーション?」
「おっ、何だ知ってるのか」
トテトテと走って付いてきたリンが、憩のふくらはぎをポンポンと叩く。
「ええ、飲むと体力回復するっていう」
「まあ回復っつうか、痛みを紛らわすのに使うな。回復魔法を覚えてなかったり魔力が足りなくて使えなかったりするときはコイツに世話になる」
そうなんですか、と相槌を打ちながら、その綺麗な瓶に見蕩れる憩。すると、店主のおじさんが彼女に声をかけた。
「何だ、お嬢ちゃん、初めて見たのか? 良かったら味見してみるかい? 結構面白い味だよ」
「いいんですか? じゃあ一口お願いします」
店主がカウンターに乗せた瓶のコルクを開け、小さめのグラスに注ぐ。
トットットッ、と心地よい音が耳を撫でた。
「はい、どうぞ」
無色透明な液体。その表面から立ち上る鼻をくすぐる香りに、憩は憶えがある。
「いただきます」
グラスを持ち上げ、ゆっくりと口に含むのを見つつ、店主が楽しそうに話を続ける。
「結構良い道具なんだよ。酔って痛みを紛らわせられるし、患部にかけて消毒にも使える」
若干のとろみがあるフルーティーな口当たり、直後に舌を包む柔らかな酸。
酸のおかげで味わいはすっきりと冴え、後に余韻を残さない。
その味は正に――
「……日本酒!」
ほうっ、と息を吐いて、憩は目を丸くした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます