【77滴+】溺れるほど愛している2
そして春との約束の時間まで部屋でぼーっとしながら過ごしてから優也は食堂へと向かった。食堂はすっかり人けが無くなりカウンター周辺以外の照明も落とされていたため薄暗い。
そんな食堂で唯一人が居たのはカウンター近くのテーブル。そこには春の父親が座っておりその後ろに立つ春が肩を揉んでいた。父親はまだエプロンと頭巾を被っていたが春はどちらもしていなかった。
「こんばんは」
その挨拶に二人の視線が一気に優也に向く。優也は知っていたものの自分を見る般若の面に思わずビクッと体を跳ねさせた。
「ちゃんと忘れずに来てくれたんだね」
「約束はちゃんと守るよ」
「おっ、行動で示してから言う言葉は違うねぇ」
すると春は肩揉みする手を止めポンッと肩を叩いた。
「はい。私そろそろ行くからこれで終り。優也君ちょっと待ってて。荷物取ってくるから」
そういうと春はキッチンの方へ歩いて行った。一方でこの状況に少し気まずさを感じていた残された優也。
すると自分を見るような視線を感じ、もしやと思いつつ同じくこの場に残る人物の方を恐々と見る。案の定、般若面の丸い目がこちらをじっと見ていた。まだ慣れていないせいか咄嗟に作った笑顔は引きつっている。
そんな笑顔と表情の変わらぬ般若の面が見つめ合うこと数秒。父親はそっと自分の向かいの席を手で指した。言葉はなくとも言いたいことは伝わっていた。優也は言葉に甘え――ではなく手振りに甘え向かいの席に腰を下ろす。
そして般若の面と向かい合い座るという貴重な体験をしつつ沈黙という状況に落ち着かない様子だった。
「あー、その。えーっと……玉藻家全員の朝昼晩のご飯を作ってるんですか?」
沈黙に耐えられなくなった優也はなんとか会話をしようと試みる。だが必死に考えた質問も頷きひとつであっけなく終了。優也の投げた会話というボールは打ち返されたのでは、と思うほどすぐに返球されてしまったのだ。その所為で再び投げ返すまでに少し間が空いてしまい、またもや変な間の沈黙が生まれてしまった。
「そ、そうなんですねぇ。――大変じゃないですか?」
これには首を横に振って返された。優也の雑談力が低い所為なのか言葉での返事がないからなのかまたもや沈黙が姿を現す。
するとそこへバスケットと毛布を持って春が戻って来た。沈黙と気まずさから救ってくれた春は優也にとってさながら女神。
「春、無事帰還しましたー!」
何かの映画の真似なのだろうか敬礼をする春。だが今の優也はそこに気が付く余裕はなくただただ安堵に満たされていた。
「私の顔に何かついてる?」
優也の崇めるような視線を受け自分の顔に何かついてるのではと疑い頬や口元を拭う春は少し恥ずかしそう。
「ん? なに? パパ?」
親子だからなのかはたまたテレパシーのような能力を有しているのか分からないが声を掛けられていないのに春は顔を拭く手を止め父親の方を向いた。父親はいつもの手振りで何かを伝える。
「大丈夫だって。あの場所にはよく行ってるじゃん」
どうやら心配されているようだ。
「何言ってるの。ほら、こんなに人畜無害そうな見た目じゃん」
春は優也の隣に立つと背中をぽんっと軽く叩いた。
「それに話した感じも良い人そうだったし、なにより顔が私のタイプだもん」
父親は心配しているようだったが、今日会ったばかりの見ず知らずの男と自分の娘が二人であの場所とやらに行こうというのだから当然の心配である。
「そうでしょ、パパもそう思うでしょ。それに玉様たちと玉藻家のために戦ってくれたみたいだしね」
目を瞑れば独り言に聞こえるこの会話も娘である春の説得が親心を渋々納得させたようだった。そして娘を想う父親は優也と目を合わせ手を動かす。春を指差したり立てた親指で首を切るジェスチャー、更には料理のジェスチャーをして見せる。
「パパぁ。そんなこと言わないでよ」
少し呆れの混じった声の春と完全に置いてけぼりの優也。
「えーっとなんて言ってるの?」
「娘に手を出したらお前を明日の朝食の材料にしてやる。だって」
「予想以上に怖いこと言われてたよ」
苦笑いを浮かべると優也は席から立ち上がった。
「何もしませんし、僕がちゃんと責任を持ってご一緒させてもらうので大丈夫です。安心して下さい」
優也のその言葉に父親もその場で立ち上がると手を差し出した。大きくガッチリした手を一度見たあと握り返し握手を交わす。
「やだ。なんだか私、嫁に貰われるみたい」
その光景を見ていた春は両手で顔を挟み少し恥ずかしそうに言った。だが、春の言葉を聞いた父親の手を握る力がどんどん強くなっていく。
「ちょっ、春ちゃん!? そんなこと言わないでよ。お父さんの握る力が……」
「お父さんだって。余計にそれっぽい」
「待って! これ以上は折れるかも……」
痛みに耐えつつどんどん低くなっていく優也の姿勢。
「パパ。私はまだどこにも嫁がないから大丈夫だよ」
その一言で優也は手をプレス機の如く握り潰そうとする手から解放された。直後、すぐ痛みを振り払おうと何度も手を振る。
「それじゃあ行ってくるね。おやすみ」
春と父親は優しく抱き締め合う。そして父親からのおやすみのキスを額に貰ったものの傍から見ればお面が軽く触れただけ。
「ママにも代わりに言っておいて」
ゆっくり頷く父親。
「それ持つよ」
優也は痛みが消えてきた手で春の持つバスケットを指差した。
「ありがと」
そしてバスケットを渡した春は父親に手を振り、優也は会釈をして食堂から出て行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます