【78滴】卵に入ったヒビ

 春に連れられて来たのは長屋門を挟んで作られた見張り台だった。見上げる程高いその見張り台の足元まで行くとかけられた梯子を上がりこの屋敷で一番の高台へ。


「ここが私のお気に入りの場所」


 屋敷のみならず囲う森も見渡せる見張り台。春が設置したのかそこには背凭れ付きのベンチと小さなランプが置いてあった。ベンチに座ると春は持ってきていた毛布を一枚優也へと渡す。


「さすがに冷えるから」

「ありがとう」


 バスケットを間に置くと毛布を受け取りマントのように後ろから自分の身を包む。同じように毛布で体を包んだ春は、次にバスケットを開け中から少し大きめのマグボトルを一本取り出しステンレス製のマグカップを二つ取り出すとそれぞれに中身を注いでいく。マグボトルから液体を受け取った二つのマグカップは絶えず湯気を吐き出し続けていた。その内の一つは優也へ。


「はい。ココア」

「さっきこれ作ってたの?」

「そう。ここで飲むココアは一味も二味も違うんだよ。これは中毒性アリ」


 そう言ってふーふーと冷ましながらココアを一口。


「あちち。でもおいしぃー」


 そう幸せそうに呟く春を横に優也も一口。少し熱くも甘く濃い目のココアが香りと共に口いっぱいに広がった。


「ん~。本当だ。これは今後ココアを飲むたびに思い出しそうな味だね」

「そうでしょ! そうでしょ! ごめんね、優也君をもう普通のココアを楽しめない体にしちゃって」

「この罪は重いよ?」

「私はこれからこの十字架を背負って生きていくわ」


 春は演劇をするように自分の罪を嘆いた。


「これからはココアを飲む度に自分の犯した罪を思い出すがいい」


 それに乗っかる優也は悪い笑みを浮かべた。


「辛いけど自分の犯した罪から逃げることは許されない」


 まだ続くのかと思われた演劇だったが、優也と春が堪えきれず同じタイミングで吹き出してしまったところで終わりを告げた。

 そして二人はまだ笑顔が残る口へ同時にココアを流し込む。これまたホッと息を零し少し落ち着いたところで春が口を開いた。


「優也君って吸血鬼なんでしょ?」

「そうだよ」

「ノアちゃんも?」

「吸血鬼だよ」

「じゃあ優也君ってノアちゃんのこと好きなの?」


 その唐突な質問に思わずココアを吹き出した優也はジャブの後に透かさずストレートを喰らった気分だった。


「突然だね」

「そう?」

「ビックリしたよ」


 と言いつつも優也は頭の中にノアを思い浮かべる。


「ノアのことは好きだよ。――うん。心の底から」


 それは優也の嘘偽りのない正直な答えだった。


「やっぱり。でもあっちはそういう感じじゃなさそうだね」

「分かるの?」

「女の勘ってやつ」


 春はドヤ顔をしながら言った。


「その女の勘ってやつは他に何か教えてくれないの?」

「そうだなぁ」


 口の下のに人差し指を付け春はその場で少し考え始める。


「思い切って直接伝えた方がいいと思うけど……」


 優也の顔を見るも言葉は段々と自信なさ気に小さくなっていく。


「優也君、そんな勇気なさそうだから……意識させるってのはどう?」

「どうやって?」


 透かさず首を傾げる優也。


「それは知らない。自分で考えて下さい」

「はい」

「よろしい」


 うんうん、と春は腕組みをしながら深く頷いた。

 そんな春を見ながら優也の中である疑問が思い浮かんだ。


「そういえば、僕らは吸血鬼だけど春ちゃんは?」

「私? 私は一応妖狐だよ」


 そう言いながら頭を指差す。するとそこには先ほどまでなかった狐耳が生えていた。


「一応?」


 だが優也はそれより妖狐という種族名に付けられた『一応』という言葉に引っかかりを感じていた。


「一言に妖狐って言っても色々あるの。簡単に言うと妖力で分かれてるんだけど、まず生まれてから一定の年齢になると選別を受けて二種類に分けられるんだ。阿紫あし地狐ちこ


 春は指を二本立て『一応』と言った理由を話し始めた。


「阿紫は耳や尾を消す程度の妖力しか持ってなくて今後もそれ以上の妖力を得る見込みが無い者。地狐は阿紫よりは妖力を持っていて今後も妖力が増す見込みがある者。地狐は妖力が増していくと呼び名も変わっていくっていくんだけど、阿紫はずっとそのまま。ごくごく稀に突然妖力が増して地狐になるのもいるけどね。そんな阿紫の妖力は本当に微々たる量だしそれ以上増える見込みがないから地狐よりも上からは妖狐じゃないって言われたりするの。そう言う意味で一応って言ったんだよ」


 それは妖狐という種族の内情とでもいうべき話だった。


「妖狐の世界も実力主義って感じなんだね。それが原因でバカにされたりとかもあるの?」

「妖狐って認めない妖狐は沢山いるけど、そういうことまでする妖狐はたまにいるって感じかな。まっ、私は気にしてないけどね。もし私が地狐だっだとしても空狐くうこだったとしても私は私だから。もちろん阿紫でもね」

「たしかに環境が変わっても春ちゃんは変わらなそうだね」

「でしょ」


 春は自信に満ちた笑みを浮かべていた。


「そういえば玉藻前さんも妖狐だよね? その妖力で変わるっていう呼び名では何て言うの?」

「玉様には呼び名は無いよ。あの人は少し特殊なんだよね」

「というと?」

「そもそも阿紫か地狐かの選別を受けてないの。そういう妖狐をまとめて野狐やこって言うんだけど、玉様はそれに当たるらしいんだ。どうして選別を受けてないかは分からないけどね」


 阿紫で一本、地狐でもう一本指を立てた春は更に野狐でもう一本、指を追加した。


「じゃあもし選別を受けてたら何て呼ばれてたかな?」

「ん~。多分、空狐じゃないかな。地狐、雷狐らいこ仙狐せんこ天狐てんこ、空狐ってあってその上に妖狐全体を統べる狐皇こおうっていうのがいるんだけど。その空狐だと思うよ。私の予想だけどね」

「やっぱり結構上なんだ。それにしても妖狐ってひとつの王国みたいだね」

「ちょっとめんどくさいよね。もっと簡単でいいのに」


 春はそう言いながら空になったマグカップにココアを注いだ。

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