【63+滴】ミス・ドーナッツ
エレベーターのドアが開くと廊下などは無くすぐに広々とした部屋が二人を待っていた。一番奥の書類が山積になった大きなデスクでは榊原真人がガラス張りを背に仕事をしている。
「連れてきましたよ~」
どこか気怠そうな声を出しながらエレベーターを出る秘書の後に続いて優也も部屋の中へ足を踏み入れる。
だが榊原は全く反応せず黙々と仕事を続けていた。
「はぁ~。全く」
愚痴るようにそう呟きながら榊原の方へ足を進める秘書は溜息をひとつ。
「そこに座っといて」
途中、秘書はデスクの前にあるソファを指差しながら言うと榊原の元へ。傍まで行くと榊原の耳まで伸びるイヤホンを引き抜いた。
「連れてきましたよって」
「あぁ、分かった」
そう返事をすると手を止めて立ち上がり、榊原は優也の向かいのソファに腰掛けた。
「わざわざすまない」
「いえ。――あっ、これがディンド神父から預かった物です」
優也は早速預かり物を榊原に手渡し、紙袋を受け取った榊原はその場で中身を取り出した。中から出て来たのはミス・ドーナッツの箱。
「私の好物でね。時々差し入れてくれるんだよ」
箱の中から一つ取ると蓋を開け優也に箱を差し出す。
「君もひとつどうだい?」
「ありがとうございます。でも大丈夫です」
本人は気が付いてなかったが断る際のその表情はどこかぎこちなかった。
「そうか」
箱をテーブルに置いた榊原はソワソワと辺りを見回す優也をドーナッツをかじりながら見つめていた。
「落ち着かないか?」
「――はい」
一瞬の間の後、優也は申し訳なさを含みながらも正直に頷く。
「こんな事を言っても何も変わらないだろうが、安心しろ手出しはしないし私がさせないことを約束する。ただし、君が無害でい続けるならだが」
すると会話に割り込む沈黙を払いのけるように、そのタイミングで三つの湯呑を乗せた丸いトレイを手に秘書が戻って来た。
そしてその湯呑みをそれぞれに配り、榊原の隣へ。
「あっ! それあたしが好きなチョコのやつ! 何で食べてるのよ!」
「そうだったか? すまん」
余り変化のない口調で謝りながらも榊原は手のドーナッツを更にもう一口。
「すまんじゃないわよ。前も食べたでしょ。ていゆうかせめて食べる手を止めなさいよね」
「もう食べ始めてしまったからな」
「そうだけど! ムカツクわね」
そんな二人のやり取りを見ていた優也は、視界の端に映るドーナッツの箱に問題のドーナッツがもう一個入っているのに気が付いた。
「あのー、もう一個ありますよ」
そして中が見えるように箱を差し出す。
「うそ! ほんと!?」
一気に機嫌が治った秘書は箱にスキップするように手を突っ込んだ。そしてドーナッツを掴むとソファに倒れるように座り食べ始める。
「あのエロジジイもやるわね」
「おい。お客さんの前だぞ」
「あたし今休憩中なんで業務外でーす。それにお客さんって言ってもお偉いさんでも人間でもないんだからいいでしょ」
「すまないな六条君」
彼女の発言に榊原は申し訳なさそうに謝る。先程の謝罪よりは気持ちの籠った声で。
「僕は大丈夫ですよ」
「そうだ。彼女は私の秘書の安倍夏希。どうせ自己紹介はしてなかっただろ?」
「よく分かったわね」
「お前は仕事は出来るんだが態度がちょっとな」
「それあたしに言えるの? 防衛大臣を殴り飛ばした人が?」
夏希は自分の方がマシだと言いたげな様子だった。
「えっ! 本当ですか!? この組織が政府の組織なら防衛大臣って最高指揮官ですよね?」
「最高指揮官じゃないけどこの総司令官さんより偉いことは確かよ」
二人の会話を聞きながらも榊原はばつが悪そうな表情をしていた。
「あれには理由があるんだ」
「良かったですねぇ~。総理が良い人で」
すると榊原はこの話題を終わらせようと咳払いをした。
「さっきも休憩してただろ。そろそろ仕事に戻ったらどうだ?」
「はいはーい」
スッキリした表情を浮かべた夏希は身軽にソファから立ち上がった。
「そっちもちゃんと仕事してよね」
「分かっている」
そして夏希が去っていくと榊原はドーナッツ箱に手を入れた。
「なんだか僕、秘書っていう職業に勝手なイメージを抱いていたみたいです」
「うちの夏希は秘書らしくなかったか」
榊原は少し笑いながら返した。
「僕が勝手なイメージを持ってただけですけどね。でも、眼鏡ってとこは合ってました。それに美人な方ですよね」
「だそうだ」
優也は榊原の視線に沿って左後ろに振り返る。そこには秘書室へ行ったはずの夏希が立っていた。
「あらっ、嬉しいこと言ってくれるわね」
箱に手を伸ばしながら笑みを浮かべそう言いうと彼女はドーナッツを一個手に取った。
「忘れ物」
そう言って今度こそ秘書室へ。
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