【94】狂気の化身

気が付くとブラックホールに呑まれたと思わせるほど暗く、広さも分からない場所にぽつりといた優也。そしてなぜかこれまで受けたはずの傷は綺麗さっぱり全て無くなっていた。体はまるで水の中を漂っているような感覚だったが息は苦しくない。しかし体は動かない。というよりは動かそうと思えない。


――なぜここにいるのか?ここはどこなのか?


普通ならでてくるはずの疑問すら沸き上がってこない。気にならないというよりはどうでもいいという感覚が近かかった。ただただ無の状態でふわふわと浮いていた。ただそれだけ。するとそんな優也の目の前に刃先を下に向けた状態の日本刀が1本、滲むようにゆっくりと現れた。刀身は腕よりも長く柄は赤と黒で鍔のない太刀。滑らかな刀身には波打つ刃文があり美しくも気高い。その太刀に優也は手を伸ばす。特にその美しさに魅了されたわけでも武器を欲したわけでもなくただ勝手に手が伸びた。そうすることが当たり前のように。そして優也が柄を握ったその瞬間、反対側から武士のような籠手をつけた手が上から握ってきた。それは黒を基調とした籠手で手首から向こう側はない。突然のことだったが驚きはなかった。じっと動かずただ柄を握ったままの優也。すると彼の心臓から腕を通り手へと向かう血流の感覚がしっかり感じ取れる程に強調されたかと思うと、皮膚の上からでもハッキリと血管を通る血が見え始めた。そしてその血はそのまま手から太刀へ流れていくと刀身を通って刃先から滴る。まるで水に落ちた一滴のインクのように消えては次が落ちていった。すると突然、滴る血がソレを形作ったのか優也の顔先、鼻に触れようかという距離に兜と頬当てを付けた顔が飛び出してきた。その口の部分が開いた頬当ての形相は地獄に住む鬼のような、全ての怒りを集結させたような恐ろしいもの。そして長い白髪は風が吹いているわけでもないのに恐怖を引き立てるように舞っていた。そんなソレの口から吐はれた息からしたのは『死』の匂い。


「憎シミ....苦シミ....恨ミ.....妬ミ.....殺意.....憎悪....。モット...モット...。全テヲ..喰ラウ...」


ソレの声は怒りに満ち心臓にまで響くようなそんな声だった。だが優也は特に怯えるわけでもなくただただ真っすぐソレの底なしの闇のような目を見ているだけ。するとそんな彼の太刀を握る手をソレの手がすり抜け代わって柄を握った。そしてソレの手は太刀を優也から遠ざけるように引くと刃先を彼に向ける。その後、躊躇など感じさせずだが時間をかけてゆっくりと胸に刺し込んでいった。太刀の切れ味がいいのかまるで豆腐に包丁を刺すように何の抵抗も無くスッと入っていく。だが優也は一切痛みを感じておらず、視線も表情も変えずそのまま太刀を受け入れていった。太刀は静かに心臓を貫くと背から顔を出し、柄ギリギリのところ止まった。そして不気味にも外に放り出されるはずの血は吸い込まれるように太刀を伝いソレ手に向かい始める。血はソレの手から更に奥へ流れて行くとまずは腕、それから体を徐々に形成していった。だが優也がその完成を見ることはなく、


「ソノ...怒リモ...全テ..喰ラウ..。全テヲ....喰ライ尽クス....」


そう囁くとソレは優也の首元にかぶりついた。


###


胸に突き刺さった刀と止まることをしらない血。両手を大きく広げ仰向けで倒れている優也の傍らにはユウヤが立っていた。ユウヤは目の前で倒れている殺したはずの優也に対し疑問を感じ始めていた。


「そろそろ取り込みが始まってもいいはずなんだが...」


そう呟きながら両手をポケットに入れ優也を見下ろしている。すると心臓から溢れている血が突如流れを変えた。周りに零れていた血も含め全ての血が優也へと集まりだす。大量の血は優也の中に戻るわけではなくその体を包み込み始めた。そしてあっという間に優也の体を包み込むと今度は地面に沈んでいき、人1人分の血だまりだけがそこには残った。それから今度はその血だまりに何かが形作られ始める。ゆっくりとだが着実に血によって何かは形を成していく。脚、腰、胴体と形作られてゆく何かは黒を基調とした甲冑を着て、最後に作られた顔には兜を被っており俯いていた。そしてその体には怒り、憎悪、嫉妬などといった負の感情を視覚化したような重く暗いオーラを纏っていた。血だまりから姿を現した武士の格好の何者かは雨に打たれたように濡れていたが甲冑のあちらこちらで滴っていたのは血。そんな突如現れたその武士をユウヤは不思議そうな目で見ていた。その視線を受けながら武士はゆっくりと顔を上げた。兜の中にあったのは人の顔。ではなく地獄に住む鬼のような全ての怒りを集結させたような形相の頬当てだった。そして口の部分が開いたその頬当てと兜の間には目玉の代わりに赤い光が光っていた。その姿に臆した訳ではなさそうだがユウヤは警戒を強めるように表情を変え数歩下がり距離を取る。嵐の前の静けさのような沈黙の中、足を止めたユウヤの目と赤い光が合うと武士は足を上げ1歩目を踏み出す。そしてその足が地面に着くと同時に武士の姿が消えたがそれは瞬き程度の時間ですぐに姿は現れた。だがその時には既にユウヤの前まで接近していた。武士が瞬間移動のような速さで目の前に現れると同時にユウヤは正面から衝撃を受け飛ばされる。だがそこまでのダメージはなくバク転のように体を一回転させて腹を押さえしゃがみながら着地した。そして敵意を帯びた視線を武士に向ける。その視線の先で武士はユウヤに衝撃を与えたであろう足を甲冑の音と共に下げていた。


「誰だお前?」


ユウヤは立ち上がりながらそう問うが武士は答える気などさらさらないらしく足を下ろすと手を合わせるように両手を前に持ってきた。すると武士の片手から赤と黒の柄が現れそれをもう片方の手で掴むとゆっくりと抜き始める。掌からは血がべっとりと付着した刀身が徐々にその身を露わにしていくが中々終わりが見えず、その長さは普通の刀より長い。体内で生成されているのではないかと思わせるほど長い刀身を抜ききった武士はこびりついた血を払うため一振り。長すぎるその太刀の刀身は綺麗に血が振り落とされ美しく光を反射した。その滑らかな刀身と触れただけで斬れてしまいそうな刃はまさに美と狂気の融合。そんな業物と呼んでも差し支えないような太刀を目にしたユウヤの表情からは先ほどまでのイラつきは消え笑みが浮かんでいた。


「何者かしらねーが、そいつは渡してもらうぜ」


そいつと言う部分で太刀を指差す。だが、武士からの返答はない。


「気に入らねーなその態度」


再度声に苛立ちを見せるも表情にはまだ笑みが残っていた。


「まぁいい。さっさとお前をぶっ殺して外を堪能しに行くとしよう」


そう言うとユウヤは先手必勝と言わんばかりに突っ込んでいった。

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