【15滴】花言葉

 残されたアモは足元にあったドクターバックを持ち上げると、コンダクターの前まで運んだ。そしてジャケットを脱ぎ少し離れた場所へ置くと戻るまでの間に袖を捲り上げる。その後にバッグの中から防水エプロンを取り出しかけると次は医療用ゴム手袋を取り出し手に嵌めた。


「あなたのようなプロではありませんが、よろしくお願いいたします」

「大丈夫。私がしっかり教えてあげるからちゃんと気持ちよくしてね。イケメン君」


 頭を下げるアモに対してまだ赤らめた顔で笑顔を見せる。




 一方、部屋から出たマーリンは階段を上がり書庫へと出た。そして振り返ると本棚の仕掛けを起動させた。下へと続く階段動き出した本棚が左右から挟み込む。閉まりきる直前、コンダクターの快楽混じりの叫び声が滑り込むように聞こえてきた。

 だがそんなことを微塵も気にする様子のないマーリンは書庫を出ると仕事部屋に向かいデスクへ腰かけた。

 そして今一度帳簿を開き一番最後のページまで捲っていく。ひとつひとつの記録には日付と時間、依頼内容と報酬金額、そしてSDカードが張り付けられていた。

 マーリンは最後まで捲ると何も書かれていない列のSDカードを剥がし、デスクに置いてあったカエルの置物の舌上へ。そして頭を三回円を描くように撫で二回叩く。すると置物は命が宿ったかのように動き出し、舌を口の中に戻てしもぐもぐと口を動かし始めた。

 そしてカエルが喋っているかのように口の動きに合わせ音声が再生される。


「その男を死ぬギリギリまで痛めつけたら前金で千五百万。その後に指定の場所に届ければ千五百万。指定場所は仕事をすれば追って伝える」


 それは台本を読んでいるような女性の自信なさげな小さな声。

 だがマーリンはその声を聞いた瞬間、瞠目し唖然としていた。


「まさか……。そんな……。いえ、ありえない」


 マーリンは明らかに狼狽えていた。音声が終わるとカエルの頭を左に撫でて巻き戻しては声を聴き、また巻き戻す。何度も再生した何度も。

 そして最後は背凭れに深く凭れ天井を仰ぐ顔に腕を乗せた。


「はぁー」


 深い溜息がひとつ。


「そんな訳ないじゃない」


 言い聞かせるように呟くとそのまま少しの間、口を噤んだ。その後に体を起こしデスクに向かうと、置いてあった写真立てを手に取った。


「あの日あんたはアタシを助けて死んだ。そうよね。アオイ」


 マーリンの懐古の視線は写真に写る幼き彼女の隣で控えめに笑う女の子へと向けられていた。ボブヘアにそばかす、物静かさな印象の顔をしたその女の子へ。


「でももし……」


 それ以上は言葉にしなかったが、そこに込められたのは希望か逃避かのどちらかだろう。

 そしてマーリンがあの部屋を出てから約二時間後。彼女は再びあの部屋へ姿を見せた。本棚裏の秘密の通路を通り部屋に入ると、そこには力無く俯くコンダクターと側に立つ手を血で染めたアモ。椅子の下には小さな血溜まりが出来ており、拘束された手からは今でも血が滴っている。外されたキャスケットと眼鏡はドクターバッグの近くに置いてあり、折角のワンピースはボロボロで血に塗れていた。

 マーリンはそんなコンダクターに近づくと顎を掴み無理やり顔を上げさせる。傷だらけの体に比べて顔は口元に血が付いているぐらいだった。だが見た目から想像するにそうとうの苦痛を味わさせられたはず。なのにも関わらずそこには最初に見せたのとなんら変わらない笑顔が浮かんでいた。


「話す気になった?」

「もう一発ぐらい殴ってくれたら考えちゃうかも」


 マーリンは迷うことなく振り上げた手で彼女の顔を殴る。掌ではなく容赦ない拳で頬を殴られアモの方を向いたその表情は満足に満ちていた。

 そしてその顔はゆっくりとマーリンの方へ戻っていく。


「容赦なくて最高」

「あれは誰?」

「知らない」


 再び拳を振り上げるマーリン。脅しのつもりだったのかすぐには殴らなかった。だがその手を待っているのかコンダクターは何も言わない。仕方なくと言うべきか望み通りにと言うべきかマーリンはその手で彼女を撲った。そしてさきほど同様にアモの方を向いた顔はまたマーリンの元へ。


「帳簿にあった音声は聞いたでしょ? あれの他にもう一度だけ連絡がきたの。この場所に運べってね。しかもどこかで見てるみたいにちょうど終わった頃に」


 コンダクターは最後の方を少しホラーっぽく話した。


「その時に、記録のために名前を聞いたんだけど。もちろん、普段は依頼人の名前なんて記録してないよ。でも、なんだか気味悪かったから。その時に名乗ってた名前が『アイモネ・シシロ』。まぁ、偽名だと思うけどね」

「――そう」


 心の中に現れた希望というのはどれほど小さくても、外れると分かっていても期待せずにはいられず、費えてしまった時には気を落としてしまうものである。彼女もまさに、勝手にもった希望が費え落胆としていた。


「私が知っているのはそれだけ。どこの誰か、誰を通じて私を知ったのか、何も分からない」

「そう。ならもういいわ」


 そう言うといつの間にか手に握られていた拳銃をコンダクターに向けた。彼女は銃口を突きつけられるとそっと目を閉じる。


「まぁ悪くない終わりかな」


 命乞いをするわけでもなくその身に降りかかろうとしている運命を受け入れているようだった。

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