【88滴】外の戦い
玉藻前は璃奈を見たまま足を一歩だけ前に出した。その足を中心にして薄く張られた水に二重の波紋が広がる。足から離れるにつれ薄れゆく波紋が消えると、地面からは三角型の背鰭が顔出し玉藻前の周りを回り始めた。一周すると背鰭は玉藻前の斜後辺りで地中へと潜る。そして地中から豪快に飛び出たのは、滑らかそうな体表に包まれ見るだけで恐怖してしまいそうな狂暴な歯を揃えた鮫。その見た目は水で創られていたものの獰猛と表現したくなるものだった。
水鮫はイルカショーが如く玉藻前の上を飛び越えると地中へ潜り、再び背鰭だけを地上しては、璃奈の方へと蛇行しながら泳ぎ出す。そして璃奈の手前で地中から勢いよく姿を現した水鮫は、歯を剥き出しに口を大きく開きながら襲い掛かった。璃奈を食らう為その距離を瞬く間に縮めていく。
だが、そんな水鮫を標的目前で上空から降ってきた半円型の岩は無残にも押し潰してしまった。しかし前方からの脅威は排除されたものの璃奈の後ろからは、先程の鎧武者がもうそこまで迫っていた。にも関わらず璃奈に振り返る様子はない。
一方、片手で持っていた刀の柄にもう片手を加えては構える鎧武者。そして斬り付けようとした瞬間――鎧武者は岩を真似るように頭上から振り落ちて来た弥次芦に踏み潰されてしまった。
「ありがとう弥次芦」
「お安い御用ってやつだ」
そんな会話の下で踏み潰されバラバラとなった鎧武者。のはずだったが、両腕だけが独りでに動き始めると透かさず弥次芦の足首を掴む。かと思うと弥次芦の足元にあった鎧武者の破片が溶け、人一人分の闇溜まりを生み出した。
「なんだ? なんだ? なんだ?」
足首をガッチリと掴んだままの手は、状況を理解出来ていない弥次芦ごとその闇溜まりへ沈んでいく。
そして完全に闇溜まりへ呑み込まれた弥次芦は辺り一面真っ暗な世界を落ちていった。いや、落ちていたのかもしれない。黒一色の世界ではそういう感覚さえも失われてしまう。
「どうなってるんだ?」
ただ一人困惑する弥次芦だったが璃奈の目に映っていたのは全く別の光景。そこに居たのは、ただただその場で立ち尽くす弥次芦の姿だった。目は虚ろで意識はそこにはない。
「弥次芦!」
そう声をかけるも返事はない。璃奈は睨むような視線を玉藻前へと戻す。
そして周りにツタを生やし何か言葉を発しようとしたその時、何の前触れも無くツタ達は一斉に璃奈の首目掛けて体を伸ばし巻き付き始めた。それは余りにも突如過ぎるクーデター。より一層その身を喰い込ませ首を絞めつけようとする度ツタからはロープにも似た鳴声が上がり、璃奈は声にならない声を苦し気に上げていた。同時にその体を掴み何とか引き剥がそうとするも首との間に隙間はなく、中途半端に掴んだだけではビクともしなかった。
するとただ藻掻いているだけかと思われた璃奈だったが、ツタとそれを握る手の隙間からアメジストのように美しい紫色の淡い光【妖力】が溢れ出す。かと思えば妖力に触れた部分は瞬く間に生気を失っては枯死し、何もせずともボロボロと崩れていった。そんなツタにとっての毒は染みるように広がっていき、僅かの内に死のマフラーを首元から外した。
そしてツタから解放された璃奈が喉に手を当て咳をしている間にも枯死はどんどんと広がり、すぐに根元まで生気を奪い尽くされるとツタ達は完全に消滅。
「そんなこともできるんやなぁ」
「こんなこともよ」
まだ少し息苦しそうな声がそう言うと、玉藻前の一歩先の地面からは鋭利な先端で鉤爪のように鋭い棘をその身に宿した枯れ木色の茎【
「外したようやなぁ」
そう言いながら玉藻前は横目を傷口へ。
「わざとよ」
すると玉藻前が傷を受けたことに関係があるのか、さっきまで人形のようになっていた弥次芦の双眸には光が宿り、彼は正気を取り戻した。
「ひゃっふー! 抜け出せたぜ」
辺りを見回しながら相変わらずの高揚っぷりが響く。
「抜け出せた? 何言ってるのよ? あんたはずっとそこに居たじゃない」
「体がここにあったんなら見せられてただけみたいだな。あんなに質の高い幻術は初めてだ」
「これしきで集中を途切れさせるようやったらまだまだやけどなぁ」
そう言いながら立ち上がろうとした玉藻前だったが、地面から離した手に一輪の花が隠れていることに気が付いた。それは細くも逞しい茎に支えられた六枚の黄金色を身に纏う花弁の花【魔性花】。
太陽のように咲いたその花はまるで微笑みかけているようだった。それも相俟って一見無害そうな見た目だが、何やら花粉のような金色の粉を散布している。
すると玉藻前は花を目視した瞬間ハッとした表情を浮かべ、左腕で口元を覆いながらその場を退いた。そんな彼女が居た場所には既に幾つかの魔性花が金色の粉に包まれながら咲き誇っていた。
「反撃も抜け出すんも遅い思っとったらこれを仕込んでたんやなぁ」
「気づかれないように数を減らしたから効果が薄れたみたいね。でもそろそろじゃない?」
璃奈の宣言通り緩やかに痺れ始めていた玉藻前の体は、気が付く頃にはあったはずの感覚は消え、自分の両脚はもはや自分のものではなくなっていた。そしてついているのかさえ分からぬままただの肉塊と化した脚は膝から崩れ落ちていく。
だが両腕にはほんの微かだが感覚があり、力を振り絞れば動かせそうだった。
「よっ!」
そんな玉藻前の顔先へとひとっ跳びでやって来た弥次芦。
「いい
そう言って弥次芦が右腕を顔横で構えると、轟々と燃え盛る炎のような淡い光【妖力】が腕を纏った。
それに対し玉藻前は半ば無理やり痺れた腕を持ち上げ始める。その腕を内側に曲げながら手を軽く握ると、弥次芦に向け突き出した。弱々しい動作の中、手を開くと一輪、二輪、三輪と弥次芦から身を守るように並んで咲いていく
だが弥次芦は構うことなく妖力を纏った腕で拳を握る。
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