【71滴】狭間にある空間

 人型の大木はどこから発しているのか耳を劈く叫び声をあげた。その声に共鳴するように周りの木々が揺れる。


「あれは狂木や」

「きょうき? もしかして僕ら縄張りかなにかに入っちゃった感じですか?」


 白兎は答える前に優也の頭へ飛び乗った。


「そんなの後や後。はよ逃げんと大変なことになるで」


 だが、ノアは焦るどころか余裕綽々と前へ歩き出す。


「大変なことになる? 大丈夫だ安心しろってうさちゃん」

「誰がうさちゃんや! わいには白兎っちゅー立派な名前があるゆうとるやろ!」


 そんな白兎の声を背に受けながら狂木の前へ立つノア。大きな狂木からすれば立ちはだかるノアなどちっぽけな存在であり脅威には見えてないのかもしれない。

 そんなノアへ邪魔だと言わんばかりに振り下ろされた両手。それが地面を叩くと土煙が勢いよく上がり振動は辺り一面の木々をも揺らした。

 だが高く上がっていく土煙の中から姿を現すと、ノアは狂木の両手が地面から離れるより先に巨大化した鬼手で正面から襲い掛かる。狂木を鷲掴みにした鬼手には徐々に力が込められていき、それにつれキシキシと音を立て体から木片が飛び始めた。

 そしてそのまま握りつぶされ決着かと思われたが――少しずつ狂木の抵抗が増していき鬼手の力と均衡し始める。

 ――次の瞬間、狂木は力づくで鬼手の拘束から自身を解放した。力及ばずバラバラになった鬼手は雨のように地面へ降り注ぎながら溶けて姿を消していく。

 そして解放された狂木は透かさず振り上げた左手を目の前に立つノアへと突進させた。地を削りながら怒りをぶつけるかのように横から襲い掛かった手は、ノアの場所を通過。手を振り切った狂気は目の前からノアを消し去ったことへの歓喜か樹海中に響き渡る叫び声を上げた。

 しかし狂木はすぐに彼女の姿を再認識することとなった。


「うっせーな」


 ノアは自分を叩き飛ばすために派遣された左手にしがみついていたのだ。

 再びノアを認識した狂木は、彼女を振り落とそうと腕を前後に振る。しかし両腕に力を入れしがみついたノアを簡単に落とすことは出来なかった。だがノアは自ら手を離し腕から飛び降りてしまう。とは言え無暗矢鱈に手を離したという訳ではなく、タイミングよくブランコジャンプのように飛んだ彼女は回転というトリックを決めながら狂木の前へ着地した。


「全く。俺の姿が見えなくなった途端に泣きだしやがって。不安にでもなっちまったか? べいびーちゃん」


 そんな余裕綽々とした態度のノアへ返事の代わりに上げた足を落とす狂木。

 だが今度は避ける素振りは見せず交差させた鬼手が堂々とそれを受け止める。狂木は全体重を鬼手に乗せた片足へかけていくが、ノアの足元にヒビが入るだけで踏み潰す事は叶わない。それどころか体格差を完全に無視し逆に押し返された狂木はふらつきながら二~三歩退く。その一歩一歩は地震のような振動となって周りに伝わっていった。

 そしてすぐさま崩れた体勢を立て直そうとする狂木だったが、その隙は与えられず再び鬼手が襲い掛かる。地面から飛び出した鬼手は狂木の左腕を食らうように掴み勢い――そのままへし折った。折られたことで飛び散ったのは血、ではなく木片。

 それから木片を辺りにまき散らしながら主人を失った左腕は宙を舞い狙ったかのようにピンポイントでノアの元へ。彼女は降って来た左腕を軽々と片手で受け取るとそのまま肩に担いで見せた。


「意外と脆いな」


 しかし痛覚は無いのか痛がる様子のない狂木は残った右手をノアへ返せと言わんばかりに振る。右手がノアの居た場所を通過すると手の進行方向に生えていた木の数本は衝突音と共に折れ倒れた。その音に反応し顔を向けた優也の視線先にあったのはノアが担いでいたもはやただの木と化した狂木の左腕。

 一方で当の本人であるノアは空中にいた。


「変わり身の術! なんつってな」


 そんな事を言いながらノアが宙で両腕を構えると狂木の両側に鬼手が出現。そして鬼手の大きさは脈打つテンポで少しずつ増していき、片手でも狂木を掴める程大きくなるとノアの両手とシンクロしながら押しつぶそうと両側から襲い掛かる。

 受け止めることに成功した狂木だったがそれも一応。必死に抵抗を見せるも片腕だけしかないということもあり長くはもたなかった。

 そして抵抗虚しく押しつぶされると辺りには木片が花火のように散る。それを見届けたノアは優也と頭に乗った白兎の元へと得意げな表情と共に戻った。


「なっ! 大変なことにはならなかっただろ。うさちゃん」


 今度は更に露骨にドヤ顔をするノア。


「せやからわいの名前は……もうええわ。それより、大変なことっちゅーんは狂木にやられるんことちゃうで」


 すると音痴の地震でも来たかと思わせるようなテンポで振動し始める地面。振動と共に聞こえてくる足音の方へ視線を向けると――そこには集団となった狂木が優也らを目掛け歩みを進めていた。


「これが大変なことや」

「ノア、さすがにこれは逃げていいよね?」

「今やるべきは.……走れ!」


 その光景に二人は狂木の大群とは反対方向へと走り出す。濃い霧の充満する樹海を振動が無くなるまで足音が聞こえなくなるまで走った。ただ只管に走った。

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