【67滴】自分以外は他人
ゆったりと湯に浸かり体の芯まで温まった二人は用意された浴衣へと着替え、和室へと足を運ぶ。
部屋の襖を開くと丁度、女将が夕食を運び終えたところだった。
「本日のご夕食には、地元の食材を使用した料理をご用意させて頂きました」
目の前に勢揃いするご馳走にノアと優也の腹の虫は大きな声で鳴き出す。そんな腹の虫に急かされるように座椅子へと急ぐ二人。
「ではごゆっくりお楽しみ下さい」
「ありがとうございました」
優也のお礼の後、にこやかな笑みを浮かべたまま女将は部屋の外へ。
一方で向かい合って腰を下ろした二人は早速、食材への感謝の挨拶をしてから箸を料理へ伸ばした。
「ん~、おしぃ~(うまぁ~)」
二人の口からは同時に心からの声が零れた。今にも頬が落ちてしまわぬようにと思わず頬に手をやる優也。感動とも言うべき感情を言葉にせずにいられないのと同時に次が待ち切れず、口に入れてはすぐさま箸を伸ばすノア。
余りの美味しさに二人の箸を持つ手は休むことなく働き続けた。
「今度アモにこーゆーの作ってもらいてーな」
「無理だよって言いたいけど、アモさんなら作れそうだからなぁ」
すると突然ノアは何かを思い出したような表情を浮かべると、徐に箸を置いて立ち上がり部屋を出て行った。その様子を目で追っていた優也は不思議そうに開いたままの襖を見つめるが、ノアは片手に紙袋を持ってすぐに戻って来た。
「そういやアモがお前に渡せって」
ノアは優也へ紙袋を差し出しながら言った。それを優也が受け取るとノアは座椅子に戻り食事を再開。
一方で優也は紙袋を開くと中を覗き込み手を突っ込んだ。中から出てきたのは優也の財布と新しいスマホ。スマホにはすでにマーリンの連絡先が登録されていた。その名前を見た瞬間、自然と上がる口角。
そしてスマホを紙袋に戻すと優也も再び箸を手に取った。
夕食後、ノアは満腹になったお腹と一緒にハンモックに揺られ――優也は囲炉裏の傍で耳にスマホを当てていた。連絡の相手は今のところ唯一登録されている人物。コール音は数回後に鳴り止んだ。
「もしもし」
「申し訳ありません。マーリン様はついさきほどお眠りになられました」
だが受話口の向こうから聞こえてきたのはアモの声。
閉め切ったカーテンに月明りが遮られた真っ暗な部屋。そんな空間で光を放っていたのはサイドテーブルに置かれた手燭の蝋燭だけ。
そのロウソクに照らされたベッドに座るアモの後ろでは、マーリンが背を向けて眠っていた。
「一歩遅かったみたいですね」
「残念ながら。――ですが優也様がこうやってお電話を掛けてきたということは、ノア様とはお会いできたようですね」
「はい。こっちも……今はぐっすりです」
後ろを振り返りハンモックで揺れるノアを見た優也は少し笑みを浮かべながらそう話した。見えずともその笑みは向こう側のアモにも伝わっていた。
「ご無事でなによりです」
「心配かけちゃったみたいですみません」
「一番ご心配なさっていたのはノア様でしたよ」
「そうみたいですね。心配かけといてこういうことを言うのはどうかと思いますけど、正直嬉しかったです」
どこか照れ臭そうにする優也の話をアモは黙って聞いていた。
「ノアが僕のことをどういう風に想ってくれていたか初めて分かった気がして。嬉しかったです。家族だって……」
余程嬉しかったのか思わず照れ笑いが零れた。
「優也様の場合、その意味を考えると喜ぶべきじゃないような気がするんですが、嬉しいのならいいですかね」
小さな声で呟いたことも相まって優也の耳はそのアモの言葉を聞き逃していた。
だがアモもその事は気にも留めず話を続けた。
「優也様も言葉にしなければ想いは伝わりませんよ。言われるまでノア様の気持ちが分からなかったように、伝えなければ伝わりません。それに伝えない想いは相手にとっては存在しないも同然ですし。相手に知ってもらいたい想いは、気づいてもらうまで待つのではなく、しっかり自分の言葉で伝えた方がいいと思いますよ。特にそういった想いは」
「――分かってはいるんですが……。言い訳かもしれませんがこういうのはやっぱり結構な勇気がいりますよね」
「いずれその時が――伝えられる時が来ますよ。きっと来ます」
するとアモの後ろで寝ていたマーリンが唸りながら彼側に寝返りを打った。
「では、マーリン様を起こさぬ内に失礼させていただきます」
「マーリンさんにお礼と自分の問題は自分で解決しますって伝えて下さい」
「かしこまりました。それでは、お体にお気を付けて」
「はい。アモさんも」
その言葉を最後にアモは通話を切ると両手を太腿に落とし、微かに見える天井を仰いだ。
「――何を偉そうに。どれも俺自身に向かって言っている言葉じゃないか」
そう呟く声は溜息交じり。
そして持っていたスマホをサイドテーブルに置くと振り返りマーリンの髪で隠れた寝顔を覗き込んだ。辺りには彼女の一定で心地好い寝息が流れていた。
それを聞きながら右手に填めた白い手袋を外すと、頬にかかった髪の毛を指の背で大切に払い、露わになった滑らかな肌。その横顔にアモは笑みを浮かべながら優しく触れた。
そして手を離すとそっと顔を近づけ――頬へ優しく口付けをした。それから同じようにそっと顔を上げる。
「おやすみ」
寝顔を見つめながらそう囁くと、アモは手燭を手に取り音を立てずに部屋を出て行った。
一方、通話を切った優也はスマホを傍に置き立ち上がると毛布を取りにべッドへ。そして戻ってくるとハンモックで寝るノアに掛けようとしたが――。
「あれっ? ノアっていつも何か抱きながら寝てるけど寝落ちした時とかはいいのかな?」
少し考えた後に再びベッドまで行き、持って来た枕を添えるように置いてみる。
すると彼女の両手が独りでに動き出し枕を包み込んだ。次に最初の毛布を掛けてあげる。首元までしっかりと包み込むと、視線はそのまま寝顔へ。
「ほんと子どもみたいな寝顔」
今にも笑い出しそうな声の優也は人差し指でノアの頬を軽く突いた。
すると擽ったそうに顔が動く。もう一度突くと今度は顔を動かした後に突かれた場所を指で掻いていた。
「ずっと遊んでられるな。でもこれ以上は起こしちゃいそうだし――うん。止めよう」
そう決めると顔の上に待機させていた手を戻す。
そして優也は純粋無垢を思わせる寝顔を見つめながらアモの言葉を思い出していた。
「言葉にしないと想いは通じない……か。頭では分かってるんだけど、自分の気持ちを伝えるって僕にとっては結構怖いことなんだよな。真守みたいに勇気があるわけでもないし」
そして自然と優也の脳裏には真守と愛笑が思い浮かんだ。
「二人に会いたいなぁ。今の僕に何て言ってくれるんだろう」
何を言うか想像してみると優也は思わず笑ってしまった。
「なんだか真守が言いそうなことは想像出来るや。真守は結構勢いで生きてるところあるからなぁ。愛笑は納得させてくれるようなことを言ってくれそう」
そして笑みから零れる小さな溜息がひとつ。
「こんなこと考えてもしょうがないか。少しずつ、僕のペースで」
小声で唱えるように言いながら振り返った足はベッドまで歩き始める。
だが途中で立ち止まると、踵を返し早足でノアの傍へと戻った。
「君が……好き。――大好きです」
少し片言気味な告白に対して当然ながら返事はなく、ただ寝息の紛れた沈黙だけが流れた。
「寝てる相手になにやってるんだろう」
そんな自分自身に対して呆れた表情を浮かべた優也はベッドへと足を進めた。そんな後姿をノアの寝顔が見送る。
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