【66滴】思う想い

 檜風呂にゆっくりと浸かり、心まで疲れを癒した優也は浴衣を着て囲炉裏の前に座っていた。

 すると突然、ノックもなしにドアが乱暴に開いた。

 その音にすぐさまドアへ視線を向けた優也は、思わず目を見張りその表情は不意を突かれたよう。そして本人も気が付かぬ内に立ち上がってしまっていた。

 そんな彼の視線先――開いたドアの向こうに立っていたのは、不機嫌な表情のノア。


「ノア!?」


 それはまるで十数年ぶりに道端でばったりと再会したかのような声だった。

 しかしその声を無視し、部屋の中へと足を踏み入れるノア。途中、座布団に持っていた紙袋を投げ捨てながら優也の目の前へ。

 誰が見ても明らかに怒っているノアを前に、気持ちの表れか一歩後ろへと下がる優也。

 そんな彼が何かを言うより先にノアは、軋む程に握り振り上げた左手で容赦なく頬を殴り飛ばした。それは彼女を代弁するような気持ちの籠った一発。

 壁まで飛ばされた優也は頬に手を当て、点となった双眸でノアを見つめる。

 その視線を受けながらノアは更に優也の元まで歩みを進めると片膝を着き両手で胸倉を掴んだ。


「ご、ごめんノア! でも、僕にも制御できなかったんだ! 気が付けば――」


 優也は慌てながら謝罪をした。


「なんで戻ってこなかったんだよ!」

「え?」


 だが自分が思っていたのとは別の言葉に零れるような声を出す。


「お前が無事かどうか心配だったんだぞ! 家族はみんな俺を置いて逝っちまった。そんな俺の前にお前が現れて――失ったはずの家族がまたできて嬉しかったんだ。お前とは長い間一緒に過ごしてきた訳じゃねーけど。でもそんなの関係ねー! 同じ吸血鬼の血が流れてるだけで十分掛け替えのない家族なんだよ」


 それは怒鳴るというには余りも心へ響き――睨み付けるというには余りにも優しい眼差しだった。


「だからもう……俺に家族を失わせないでくれ……もう一人にしないでくれよ……」


 段々弱々しくなっていく声。そして彼女の目にはいつの間にか、抑え切れなくなった想いが凝縮され雫となって溜まっていた。

 そしてその両目に煌めく想いの重みに耐えられなくなったように、ノアの顔はゆっくりと優也の胸へ落ちていく。

 初めて見る彼女の泪。初めて聞く彼女の想い。それを目にし、戸惑いや驚きと同時に心咎めと少しの嬉しさ――優也の中では様々な感情が渦巻いていた。その混じり合った感情は何が何だか分からないものではあったが、それでも共通する部分はあり――。

 優也はそんな心に動かされるがまま、腕を回し泣いた子どもを慰めるようにノアを抱き締めた。


「……ごめん。でも僕もまた同じように君を傷つけるかもしれない。もしかしたら次は殺してしまうんじゃないかって考えたら――怖かったんだ。だから……自分で解決しようと思って……」


 その言葉にノアはまだ涙ぐんだ顔を上げた。


「なにいらねー心配してんだよ」


 そして少し笑みの戻った表情で優也の胸を軽く叩いた。


「あれはちょっと油断しただけだっての。ほんのちょっとな。だからそう何度も俺に勝てると思ったら大間違いだぜ。――まぁ、次はちゃんと意識がぶっ飛ぶくれーボッコボッコにしてやるから安心しろ!」


 そう言って左腕を立て力をアピールするように二の腕を軽く叩いて見せるノア。


「それは安心できるけど違う意味で安心できないかな」

「だからもう勝手に居なくなるんじゃねーよ」

「――うん。もう君を独りぼっちにはしないよ」


 優也はノアの目を真っすぐ見ながらまだ泪に濡れる瞳に誓った。

 それから視線は目から左腕へと移動していった。


「あれ? 吸血鬼って腕も生えてくるの?」


 思い出したくない記憶の中では確かにノアは腕を失ってたはず。でも吸血鬼の再生能力ならもしかしたらと優也は首を傾げた。


「これはアモが縫い合わせてくれてたからな。早くくっついたんだよ」


 すると突然、第六感ともいうべき感覚で何かを感じ取ったノアは顔を庭へと向けた。


「何かいるな」

「うん」


 遅れて同じ方向を見た優也が返事をすると、さっきまでの雰囲気とは一変した二人は庭の方へと足を進めた。

 囲炉裏のある部屋から和室の部屋に移動し襖を開けると縁側を挟んだガラス戸が美しい庭を透かしている。それを開くと室内へ流れ込む庭からの風。

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