【65滴】彼の元へ

 手を伸ばせば届きそうな場所からこちらを見ている。誰――ピントの合ったそれは優也。

 だが触れようとすれば伸ばした手を避けるように行ってしまう。そんな優也の向かう先ではファレスやノアにとって顔馴染みの面々が彼を待っていた。

 優也は彼らと合流すると全員でノアに背を向け足並みを揃えて歩き出す。

 ノアは彼らに自分も追いつこうと走り出すが中々距離は縮まらない。それどころか走れば走るほど徐々にその距離は離れていく。追いつけず――必死に伸ばした手も届くことはなく――そしてついに彼らは遠くへと消えてしまった。それを追うようにそのまま視界も真っ暗に……。

 目を開けたノアはベッドの上に寝ていた。悪夢を見た朝のような疲れの残る最悪な気分。ふと輸血の方を見ると右腕から外され中は空になっていた。


「チッ。イヤな夢見ちまった」

「おはようございます」


 その声に左側を向くとそこにはノアの腕の包帯を外している最中のアモがいた。


「睡眠剤か? やってくれたな」

「申し訳ございません」


 包帯を外し終えたアモは二の腕に縫われた糸の抜糸をしながら答えた。


「いーよ別に。どーせマーリンの指示だろ」

「マーリン様もノア様のことを思ってのことですのであまり責めないであげてください」

「分かってるよ。で? どれくらい寝てたんだ?」

「五日でございます」

「五日!? 回復するまでじゃなかったのかよ?」


 予想を遥かに超えた返答にノアは驚きを隠せなった。


「ノア様の体が治るまでに五日かかったということです」

「あの野郎の弾丸のせいか」


 ユウヤの姿を思い出し少し苛立ちを見せるノア。

 一方アモは抜糸が終わると腕をチェックし始める。


「大丈夫だと思いますが感覚に問題はありませんか?」


 そう言われ手を握ったり腕を軽く動かし感覚を確かめた。


「問題ねーな。縫ってくれてさんきゅー。おかげで早くくっついたぜ」

「いえ。ではすぐにでも行かれるんですね」

「あぁ」


 返事を聞いたアモは用意していたいつもの服一式を手渡す。


「それではこちらをどうぞ」

「わりーな」


 そう言うとノアはその場で服を脱ぎ始め、アモは壁の方を向いた。


「私はこの五日間、優也様を監視しておりました。三日目まで特に目立った様子はありませんでした。ですが、四日目の夜にある男が接触してきたのです。白いスーツにシャツとベスト、濃藍色のネクタイをつけた白髪の男。そして両腕に巻く蛇」

「おい、そいつって……」


 その特徴は以前ノアも聞いたことのある人物と完全に一致していた。


「はい。以前優也様が仰られたモーグ・グローリの特徴と一致します」

「なんでユウのとこに……。それに二回も……」

「それは分かりません。内容は聞こえませんでしたが少し会話をした後、優也様が襲い掛かり戦闘となりました。危険と判断しましたので発信虫を放ちそこで引き上げました。その後どうなったかは分かりませんが、さすがに無傷ではないと思われます」

「まさか……。それって……」


 ノアの脳裏を過ぎる最悪の事態。


「これは私の推測ですが前回現れた時に殺さなかったということは今回も殺す目的ではないと思います。ですので優也様が生きてると仮定しましてここへ戻ってきてないということは、まだ元に戻ってないもしくは優也様のご意思で戻ってこないことを選択したかのどちらかだと思います」

「もしアイツが自分の意思で戻らなかったんならもう戻ってこねーってことか?」

「その可能性もございます」

「なら早く連れ戻しにいかねーと」


 だが振り返ったアモは少し浮かない顔をしていた。


「もし優也様のご意思で戻らないことを選択したのなら無理に連れ戻すのはよろしくないというのがマーリン様のお考えです」

「ほっとけってのか?」

「暫く待つということです」

「じゃあマーリンに言っとけ、わりぃが俺は行かせてもらうってな」

「――やはり行かれるんですね」


 分かっていたと言わんばかりにアモは一枚のメモを取り出すとそれを手渡した。


「これは発信虫から確認できた最後の場所でございます」


 メモを渡した次は紙袋を渡した。


「お会いできましたらこちらをお渡しください」

「おっけ」


 それを受け取ったノアはベッドから降りると真っすぐドアまで向かった。


「ノア様」


 アモの声にノアはドアを開けたまま振り向く。


「いってらっしゃいませ」

「おう」


 お辞儀をするアモに手を挙げながら返事をすると彼女は部屋を後にした。

 そしてドアの閉まる音が聞こえた後に頭を上げたアモは。


「家族はお大事に」


 もう聞こえないと分かっているはずだが話しかけるように呟いた。

 それからノアは真っすぐメモに書かれた場所へと来ていた。それはあの教会。

 ドアを勢いよく開くと最前列の長椅子に座る人影が一つ。ノアは細い煙がゆらゆらと立ち上る人影の前まで早足で向かう。


「ユウはどこだ?」


 座っていたディンドはタバコを指で挟んでから緩慢とした動作で煙を吐いた。


「最初の言葉がそれか? 他にあるだろ。『こんにちわ神父さん』とか『お元気ですか?』とかな」

「調子どうだ。これでいいか? 急いでんだよ」

「ったく。適当だな」

「だからこっちは急い――」


 胸倉を掴みながら少し声を荒げるノアを止めるようにメモを取り出したディンド。


「そう焦るな」


 ノアはディンドを離すとメモを受け取りすぐにドアへと歩き出す。

 だが少し歩いたところで立ち止まった。


「なぁここに来たユウはいつものユウだったか?」

「どういう意味か分からないが、前会った時と同じだったぞ」

「そうか」


 再び歩き出すと今度は立ち止まることなく教会を後にした。

 そして静寂が戻った教会でディンドは静かにタバコを吸った。


「種族は違えど変わらない部分はあるんだな。――にしてもあの執事の兄ちゃんが言ってた通りになったか」


 一度屋敷に戻ったノアはマーリンの仕事部屋へ向かった。

 そしてデスクに座るマーリンの目の前に受け取ったメモを投げるように置く。


「ここまで飛ばしてくれ」


 言葉より先にマーリンはメモを手に取り視線落とす。


「少年も大人なのよ? 助けが必要なら戻ってくるわよ。それまで放っておいてあげたら?」

「なんでか分かんねーけど、今いかねーともう二度とアイツに会えない気がするんだよ」

「少年は自分の手でアンタを傷つけた。もしかしたら殺しかけたことも覚えてるかもしれない。多分、今アンタには一番会いたくないんじゃない?」

「だとしても俺は行く」


 ノアの意思は固く、それはマーリンにも伝わっていた。


「もし戻らないって言われたらどうするつもり?」

「分かんねー。だけど、だとしてもあいつから直接聞きてーんだ。お前にとってはただの味方かもしんねーけど俺にとってはそうじゃない。家族は……もう失いたくねーんだ。お前にも分かるだろ?」


 その言葉を聞いたマーリンはデスクに置かれた写真立てを手に取り眺め始めた。


「――分かったわよ。アタシがやらなかったら歩いてでも行きそうだもの」

「よく分かってるじゃねーか」


 マーリンは写真立てを置くと椅子から立ち上がりノアの前まで足を進めた。

 そして顔に手を翳した。


「もし少年の意志で連絡もなしに戻ってこなかったのなら心配かけたってことで一発殴ってやりなさい」

「任せとけ!」


 翳された手が光を放つとノアの姿は消え――部屋に残ったのはマーリンとアモだけ。


「心配してない振りをしておきながら自分はろくに睡眠も取らずに吸血鬼の心臓について調べるとは……。ツンデレってやつですね」

「はいはい」


 そんなアモのおちょくりを適当にあしらうマーリン。


「アンタこうなるって分かってたんでしょ? 何をしたかは知らないけど、わざわざあの子を行かせる必要があったの?」

「優也様が戻らないのであれば彼の意思を尊重したいのです。ですが、優也様には支えが必要かと。特に今は」

「それが出来るのはあの子ってこと」

「私はそう思っております」

「とりえず今は様子を見た方がよさそうね」


 マーリンは会話をしながらデスクに戻ると椅子に腰を下ろした。


「それはそうと今夜はしっかり寝てもらいますよ」

「今更こんなの余裕よ」

「ダメです」

「寝るのあまり好きじゃないのよね。今でもあの日のことを夢に見るから」


 悪夢のような過去の出来事を思い出したのかマーリンの視線が自然と下がる。


「アンタはないの?」

「たまにですが……」


 その問いかけにその場で俯くアモ。

 そして僅かだが生まれた沈黙が場の空気を重くした。


「忘れてしまいたいけど、忘れたくない。忘れちゃいけない」


 マーリンはデスクに置いた写真立ての写真へ再び視線を向けた。時の止まった写真の中では昔のマーリンと並ぶ大人しそうな女の子が楽しそうに笑っていた。

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