【51滴】真実と嘘

 ノアと優也の協力により一人先に進んだ玉藻前は、長い階段を登り最上階へと来ていた。

 襖を開けると奥には、お猪口を手にし片膝を立てては悠々と座る隠神刑部の姿。そんな彼の後ろには武将鎧が飾られており顔部分には睨みを利かせるような鬼面が付けられていた。


「約束は守ってもらうで」


 畳を滑るように歩き近づく玉藻前。隠神刑部は黙ったままお猪口を手に夕焼けの見えるバルコニーへと出た。既に夕日は水平線に顔を半分以上隠している。


「吾輩はおぬしを高く買っておる。大嶽様と組む気は無いか?」


 そう問いかける隠神刑部へ玉藻前は近づき、その足音に彼も振り返った。

 そして眼前で足を止めた玉藻前はそっと手を隠神刑部の頭へ。掌で包み込むように全身を覆う毛に触れ、そのまま撫でるように頬まで手を滑らせた。


「そちらと組むぐらいなら、そちらを潰すために戦って死んだほうがましや」


 穏やかな表情と真っすぐ見つめた視線。そこには考えるまでもないという確固たる意思が感じられた。


「そうか。残念だ」


 それを受け、隠神刑部は静かに答えるとお猪口を外の瓦屋根へと放り捨てた。

 するとその時――突如として隠神刑部の心臓を後ろから刀が貫く。だが動じる事無く緩慢と視線を下げる隠神刑部。

 そして自分の体から顔を出す血に濡れた刀身を目にすると、彼は小さく笑い始めた。それから段々と大きくなっていく声。


「わっはっはっは。こんな島でヌルイ生活をしてたせいで腕が鈍ったのではないか?」


 そう言うと隠神刑部は胸から突き出た刃に手を伸ばし、そのまま躊躇なく握り潰した。手の中で砕け散っては消えてしまった刀。当然ながら胸に刺し傷はない。


「幻のままではただの嘘にすぎん。嘘で吾輩を殺すことは出来ん」


 その光景に顔を顰める玉藻前。

 すると彼女を突然、正面から衝撃波が襲った。気が付けば体は宙を進み、反対側の壁へと叩きつけられ、そのまま畳へ倒れる玉藻前。

 更に這い蹲る玉藻前が顔を上げると、今度は見えない何かに首を絞められてはそのまま宙へと持ち上げられていった。畳から離れ宙ぶらりんになった足は、何かに縋るよう必死に踠く。

 一方、バルコニーから部屋へと戻ってきていた隠神刑部は玉藻前に向け手を伸ばし、その手は首を掴むように空を握り締めていた。声にならない声で呻る玉藻前の表情は苦悶一色。

 そんな彼女を少し眺めた後、隠神刑部が更に力を加えると遠く離れた玉藻前の首からは折れるような生々しい音が響いた。先程まで絶えず動いていた足は抵抗を止め、人形のようにぶらり力の抜けた玉藻前。隠神刑部が手を放し畳に落とされるが、その体はピクリとも動かなかった。

 そんな玉藻前に隠神刑部は一歩一歩踏みしめるような足取りで近づいていった。


「茶番はよせ」


 その言葉に反応し、玉藻前の姿は蒸発しては消え去った。

 直後、隠神刑部の周囲には口元を扇子で隠した複数の玉藻前が姿を現した。依然と動じることない隠神刑部の周りで、全ての玉藻前が同時に扇子を閉じると一瞬にして手では短剣がその身を光らせる。

 それを見ながらも隠神刑部が泰然とした笑みを浮かべると、動きを合わせた玉藻前は同時に短剣を投げ飛ばした。

 だがその瞬間――隠神刑部の首に提げた大きな玉の数珠が光を放ち直後に足で畳を叩くと、彼を中心に衝撃波が周囲へと円状に広がった。

 そしてその衝撃波に呑み込まれた途端、玉藻前の姿は一瞬にして消滅してしまった。たった一人を残しては。

 その一人はバルコニーの柵を破壊し瓦屋根まで吹き飛ばされては、バウンドしながら瓦屋根を滑るが、寸での所で止まった。片膝を着き部屋へ警戒の視線を向ける玉藻前。

 そんな彼女に続き隠神刑部も外の瓦屋根へと出てきた。


「年は取りたくないものだな。力が衰えてしまう」

「そうやなぁ」


 そう返事をしながら立ち上がった玉藻前の周りには無数の剣が現れ浮いていた。

 すると剣は数本を残し隠神刑部に狙い定め射出。

 だが、一本たりとも刺さることは無くその大きな体をすり抜けていった。


「無駄だ。吾輩は自ら脳にをかけた。それは、幻を見破るもの」

「幻は見破られてしまえばただの嘘。嘘は偽物であり存在しないもの」


 玉藻前は隠神刑部との距離を一定に保ちながら歩き出した。

 一方で隠神刑部は移動する彼女を顔だけで追う。


「存在しないモノで傷はつけられない。今の吾輩の前では幻術に秀でておるおぬしもただの小娘に過ぎんというわけだ」


 顔が横を向いた所で止まると体もその後を追った。


「ほな、これももう無駄っちゅうことやな」

「理解が早いじゃないか」


 そう言うと玉藻前は投げ捨てるように残りの剣を飛ばす。当たらないという確信は隠神刑部に悠然と笑みを浮かべさせ、避けるどころかその場から一歩も動かさなかった。

 だがしかし、剣が自分の身へと到達するとその表情は一変し、痛みの混じった驚愕へと変わった。

 そして視線を痛みの発信元である肩へ向けると、そこにはすり抜けなかった短剣が突き刺さっていたのだ。刺さった部分から脳へと絶えず鼓動に乗って届く鈍い痛みの信号。遅れて血が滲み始める。


「幻影の中に本物の短剣を忍ばせたか」


 短剣を引き抜く隠神刑部のその声は少し苛立ちが混じっていた。


「疑念は嘘を真実に変え、真実を嘘に変える。幻かどうか見破れてもその中に本物が隠れとるかは分からんやろ? この一回がそちに疑念を植え付けた。これで、見破れるとしても警戒せざるを得ないやろ」

「そうかもしれんが、少し手間が増えただけの話」


 胸元から扇子を取り出す玉藻前。


「真実の中に嘘を潜ませ……嘘の中に真実を潜ませる。真実と嘘を織り交ぜてこそ幻は意味があるんやで」

「やはりおぬしは素晴らしい」


 口角を上げた隠神刑部は引き抜いた短剣を投げ返した。一方、顔に飛んできた特に何の変哲もないその短剣を虫でも払うように扇子で弾く玉藻前。

 だがその向こうで既に隠神刑部の姿は消えていた。

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