美少女なお姫様をやることにしましたー3

 その後、姫君としての作法や仕草など──リノル直伝『しゆくじよとして生きるための百の作法』をてつてい的にたたき込まれた。

 め付けられるコルセットは苦しいし、鬘は重たい。細いこしがうつくしいとされていた時代はさらにコルセットでぎゅうぎゅうに締めていたというのだから女性の美に対するしゆうちやくしんはおそろしいくらいだ。その時代に生まれなくてよかった……!

 たった五センチほどのヒールをいてみたら、すぐに足が痛くなってアドルは悲鳴を上げた。あんな靴を履いてダンスするなんてごうもんじゃないのだろうか。

 アドルが高いヒールを履くと本物のリノルアースと身長がズレてしまうので、結果的にはきようのようなヒールを履くことはけられたのだが。

(女の人はれいになろうとそれだけ努力しているってことだもんなぁ……)

 コルセットで締め付けられ、足があんなに痛くなる靴を履いて女性たちはその苦労をじんも感じさせることなく微笑ほほえんでいるのだ。尊敬にあたいする。

 血のにじむような特訓を終え、アドルがこうしてスフェラ国にやってくるころにはリノルよりもおひめさまらしいお姫様を演じられるようになっていた。

 本物のリノルが完璧な淑女とは言いがたいのに──とは口がけても言えない。

 なんといっても外交でやってきているのだから、本物のようにぼうじやくじんうわけにはいかない。

 しとやかで可憐な、理想のリノルアース姫でなければならない。

 もちろんハウゼンランド国から連れてきた侍女や外交官たちも、アドルが女装していることは知っている。試練を提示してきた元老院にも、はじしのんで報告しておいた。のちのちめんどうなことにならないためには根回しも重要だ。

(まさか本気で女装するのかよって顔をしかめていたやつもいたけどな……)

 元老院の大半が何を考えているんだ、というような顔をしていた。しかしヴァイゼルがほほほ、と楽しげに笑って頷いたのだ。

『まぁ、よかろ。どのような手段を用いたとしても、成果がともなうのであれば問題はあるまい』

 最長老である彼の発言力は高い。結果的に、だれもダメだともやめろとも言わなかった。


 スフェラ王カルヴァへのあいさつを終えてしばし休息したのち、すぐに夜はやってくる。

 アドルはばんさん用のドレスにえて、再び完璧なリノルアース姫になった。……お姫様は一日に何度も着替えたりしなければならないからたいへんだ。

 晩餐の席にはもちろんスフェラ王がいるので、アドルは油断できるはずもない。

 南国の料理はスパイスが効いているものが多いが、アドルはきんちようで料理の味はさっぱりわからなかった。

「リノルアース姫はうわさたがわず愛らしい」

「まぁ、ありがとうございます」

 聞き慣れてきた賛美にも、にっこりとがおの仮面をり付けたまま、アドルは食事を続けた。

 晩餐の席にはカルヴァのほか、それぞれの国の外交官がいる。レイは護衛としてそばにひかえていた。

「姫と殿どのが並んでいる姿には誰もが目をうばわれていましたよ」

「ふふ、わたしの騎士はてきでしょう?」

 レイがめられるのは素直にうれしい。美少女の自然な笑顔に、スフェラ国の外交官たちも思わずフォークを持つ手が止まっていた。

 リノルアース姫の訪問は、招待を受けたうえでの外遊ということになっている。

(……だけど姫を招待するってことは下心はありそう)

 リノルもわかっていたのだろう。万が一スフェラ王から口説かれたらていねいかつしんちようにはっきりと断ってこい、と言われている。

「へ、陛下、あんまり飲みすぎないでくださいよ?」

 じようげんのカルヴァにおどおどと声をかける外交官が一人。分厚い眼鏡めがねのおかげでひとみの色もよく見えない。

「うるさいぞ、モルテ。せっかくの食事がまずくなるではないか」

 とはいえずいぶんと酒が進んでいるのは事実のようで、臣下が心配になるのも無理はないだろう。

 カルヴァがどれだけ酒を飲もうがかまわないが、からまれるのはいやだ。

ぱらいの相手はごめんだな)

 どうにか早く部屋にもどれないだろうか、とアドルは目をせる。

 酒の力もあってだろうか、カルヴァが上機嫌にアドルを見て口を開いた。

「ところで姫、このあと庭でも散策しませんか? ちょうど今日は月が綺麗に見えますよ」

「──え?」

 このあと、というと、あとはもうる準備をするくらいだ。

 常識的に考えて、そんな時間にこんやく者でもない異性と会うことはありえない。少なくとも、ハウゼンランド国においては。

 何言っているんだこいつは?

 そくに断るのは失礼になるだろうか、とアドルがわずか数秒で頭を回転させていると、スフェラ国の外交官──モルテと呼ばれていた青年が飛び上がった。

「へへへへ陛下!? それはちょっとどうかと思いますよ!?」

「うるさいぞモルテ」

「も、申し訳ありません! えっいやでもあのですね!?」

 スフェラ国においても非常識なおさそいらしい、ということはモルテの反応のおかげで十分にわかる。

「大変申し訳ありませんが、我が姫は慣れない異国でつかれていらっしゃいますので……明日の昼にぜひまたお誘いいただけると」

 どうすべきかとつに判断できずにいるアドルに代わり、レイが角を立てずに断りを入れた。なるほど、そうすればむやみに機嫌をそこねるようなこともなかったのか。

「それもそうだな、いやしかしこのようにうつくしいひめぎみはなれがたいと思うのは一人の男として当然というもの。月明かりに照らされる姫はさぞうつくしいだろう」

「そんな……」

 流れるような褒め言葉に、アドルは照れたように目を伏せた。

(よくもまぁ、そんなにすらすらと口説き文句がかぶよな)

「残念だが、それはまたの機会に」

 またの機会なんてねぇぞ、とアドルは心のなかで毒をき出した。

 女好き、というのはちがいないのだろうが、アドルはカルヴァの人となりを測りかねていた。

 その後は当たりさわりのない会話が続き、どうにか晩餐を終えて部屋に戻ったときには、精神的にぐったりと疲れていた。

「あれってどうなんだ? やっぱり噂通りの王ってことか?」

 かつらを取りながらアドルはレイに問いかけた。ネックレスを外すとかたや首を回してりをほぐす。鬘だけでなく、ネックレスやみみかざりなどもわりと重いもので、気がつくと首周りの筋肉が悲鳴を上げている。

「どうでしょうね。女好きというのは真実だとして、政治的なしゆわんも確かだと思いますし」

 カルヴァは王位につく際に悪政をいていた叔父おじである前王を殺し革命を起こした、スフェラ国においてはえいゆうと言える人物でもある。そく後もまだ不安定なスフェラ国を他国のきようから守りいた。

「まぁ、ただの女好きにはできないよなぁ」

「古来より英雄色を好むと言いますしね」

「俺、あんまりそういうの好きじゃない」

 そうしよく品を乱暴にあつかうとレイだけでなくじよたちにも文句を言われるので、アドルはこわさないよう丁寧に並べる。

「そうなんですか?」

 きょとん、とした顔のレイに、アドルはずかしくなって目をらした。

「そうなんですかって……好きな人が一人、そばにいてくれれば十分だろ」

 どんなにたくさんの美女に取り囲まれていたとしても、本当に愛している一人からの愛を得られなければ意味がない。そんなの、むなしいだけだ。

 ただ一人、愛している人がそばにいてくれればそれだけで心は満たされる。

 ぼそりと小さくつぶやいたそれは、レイの耳には届かなかったらしい。

「何かおっしゃいました?」

 聞こえていてもよかったような、いや聞かれていなくてよかったような──複雑な気持ちになりながらアドルはしようする。

「……なんでもない」

 なんでもないということに、しておく。

 本当は、まるでアドルをれんあい対象としてみていないかのようなレイの言動には、少しだけ傷ついているのだけど。

「レイのおかげでどうにか今夜はかいしたけど、明日は無理だよな」

「そうですね、そもそもスフェラ王とせつしよくしない限り試練も進みませんよ」

「ぐ。そうなんだよな……」

 このままのんに過ごして帰ればいいというわけではないのだ。

 だがやはり、リノルアース姫として男と話すのは疲れる。向こうはうつくしいだのれんだのと絶賛してくるが、男であるアドルの胸にはさっぱりひびかない。

「やはりスフェラ国の海産物はハウゼンランドではめずらしいものばかりですしね。これからたくさん外交の場に出ることになるんですから、いい勉強にもなると思います」

 ハウゼンランド国は内陸にある国だ。このはだを焼くような暑い気候だけでなく、スフェラ国と違う点は多い。

 それはそれだけ、学べることが多いということだ。

 学んだものは、アドルのかてになる。

「で、どうやってスフェラ王をこうりやくするか」

 夜は少しすずしくなったものの、昼間の暑さのおかげでアドルはすっかりバテていた。ぐったりとソファにもたれながら今後のことを考える。

「……いろけでもしますか?」

「それやるの俺だよな? 俺がやるんだよな?」

 真顔で提案してくるレイに、思わずアドルは顔を引きらせた。じようだんかそうでないのかわかりにくい。まさか本気で言っているのだろうか。

「やりすぎて男だとバレないようにしてくださいね?」

「やらねぇよ!!」

 何が悲しくて男相手に色仕掛けなんてしなきゃいけないのか!

 半泣きで否定するアドルにレイは苦笑した。

「……まぁ冗談ですけど」

 冗談でもやめてほしい、とアドルはため息を吐き出す。いやしかし、必要とあればこびを売るくらいはするつもりだが、できれば必要最低限にしたい。

しんじゆについては五日目に産地の視察が入っていますから、その流れで交易の話をするのが自然でしょうね」

 予定表をかくにんしながらレイが告げる。

「それなら明日は、そこらへんにれないほうがいいか」

「興味がある、くらいにしておいていいと思いますよ。あまり積極的なのはリノル様のしゆくじよの心得にも反するそうですから」

 重要こうを確認した上で、アドルの気分は重くなる。

 手段を選んでいるひまはなかったとはいえ──やはり女装というのは気が重い。人をだますのも、アドルは得意ではないのだ。

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