正確には解らないが、トウに下ってから半年は過ぎたと思う。

すっかり涼しくなった気候に、この世界にも季節があるのだと解る。

その日、長くカイの国を調べていたライナの班が帰ってきた。

1人の男を拘束して。

緊急に幹部会が開かれる。

ライナの報告によると、カイは何人もスパイをエン国に送っていて、勿論このトウの街にも各国からの密偵が少なからず居るだろう事。

そして、吠狼隊がトウに宿所を構えた時から目を付けられていた事も。その理由は勿論導きだ。

エン国に導きが現れた事はすでに掴まれている。その力で一国をも動かす事が出来るという導きを、最近台頭してきた集団が囲って居るのではと疑うのも自然の理だった。

反応を見る為に吠狼隊を襲ったらしかった。

そんな事の為にアツキは命を落としたのだ。その事実もさることながら、その後、更成る衝撃が広間を埋めた。

つい先日、トウの外れで大きな火事が起きた。事態の鎮静と収拾の為、吠狼隊にも出動命令が届くが、それが放火であるという事が解っただけで犯人は逃亡中だ。

大勢が焼け出されて命を落としたそれが、カイの仕業だとライナは報告した。

動機は導きの燻り出し。

人智を超えた導きなら、何かの力を発揮するかも知れないという、不確かで幼稚で乱暴なものだった。


「…最近、他の街でも火事が多いと聞いている」

「奴らも必死だな…」

「それだけ導きを欲してるんだろうけど、形振り構ってられない相手は怖いね…」


隊長達の言葉も耳に届かない。

いくら導きを探す為でも、何の関係もない人達を平気で巻き込む姿勢に怒りが込み上げたが、それ以上に申し訳なさも湧き上がってくる。

私のせいでアツキも大勢の人達も命を落とした事実に、いたたまれなかった。


「奴ら、また事を起こすぜ…けど、捕らえた奴も仲間が何処に潜んでるのかはまだ口を割ってねぇ」

「…俺が尋問する」


キリトの鋭い視線が光る。


「俺も同席しよう」


コウの顔も怒りに満ちていたのは当然の事だろう。

ケイキが場を纏める。


「よし、キリトとコウは密偵の尋問。奴を捕らえた事で仲間も焦ってるだろう。いつ事を起こされるかも解らない。今夜から夜の見回りを追加する。9班を2つに分けて昼と夜を分担させよう。宿屋、茶屋、飯屋、廃屋、華屋(女性が身体を売る店)、身を隠せそうな場所はしらみつぶしに探すように」


一同の返事が響いて、各班長が動き出す。

私は婆様とタケヤと部屋に残された。


「…お前さんのせいではないよ。馬鹿な事を考えるのはよしなさい」


婆様が静かに私の背中を撫でた。


「馬鹿な事?…まさかミズキ!名乗り出ようとしているんじゃないだろうな!」


私は何も言えずに俯くしか出来なかった。


「何故そんな事を!」


タケヤは強く肩を揺さぶった。


「…俺のせい、アツキ死んだ。沢山の人も…」


ポロポロと涙が溢れてきた。


「馬鹿、お前のせいであるものか!……いいか、お前は確かに導きで、その力を手に入れる為に何をやってもいいと思ってる奴等が居るのも事実だ。だが、手段を選ばないような人間の仕業まで、お前が責任を感じる事はねぇぞ。言いたい事解るか?」


覗き込むようにして労りの視線を向ける。


「…なぁミズキ。此処は1つ俺達を信用しちゃくれねぇか?」

「?」

「次の放火は必ず止める。これからお前を奪うためにどんな手段で来ようと、その度に俺達が返り討ちにしてやる」

「でも、皆危険!」

「ハハハッ!俺達ゃそんなヤワじゃねぇよ!…ありがとなミズキ。心配してくれたんだな。…だが、女1人護れないような情けねぇ集団にしてくれるなよ」


その時、カチャッと戸が開く。


「お?キリト。お前まだそんな所に居たのか?」

「タケヤさん、導きだの女だのって声がでけぇよ」

「おぅ、すまん…つい熱くなってな」

「ついじゃねぇよ。それとなミズキ」


キリトは私の前にふんぞり返った。


「俺達がお前を手放すとでも思ってるのか?」

「………」

「お前に心配される程俺達は弱かねぇんだよ。…逃げようなて思うなよ」


キリトはそれだけ言うと部屋を後にした。

出て行った方向を見てタケヤが頭を掻いている。


「…全く、照れ屋だなぁ…」

「え?」

「今のは、心配しなくても俺達が護ってやるから此処に居ろって事だ。ハハッ、解りづらいだろ?」

(…確かに解りづらい…)


しかし、団長から護ってくれ、言葉は乱暴だったけど気遣ってもくれた。

少しづつだけど、キリトという人物が解って気がする。

事が動いたのはそれから2日後だった。

夜回り班の為の夜食を用意していた時、幹部が集められた。

キリトが静かに呟く。


「やっと吐きやがった」


考えるのも恐ろしいが、相当厳しい尋問を行った事が見て取れる。キリトもコウもげんなりしていた。


「で、場所は?」

「街の中心にあるキツタという小さい宿屋だそうだ。数は15」


タケヤが声を張り上げる。


「今からキツタに乗り込む!抵抗する者、逃げる者は斬って構わねぇ!トウの街を火の海にしたくなきゃ情けをかけるなよ!」


タケヤの言に緊張が走る。ケイキも普段の穏やかさは微塵も感じさせなかった。


「ライナは役所に報告に走れ!念の為にカトリの班は宿所の警備に残す。残りは二手に分かれて宿屋を包囲!先発は―――」

「勿論俺が出る!」


タケヤがやけに嬉しそうに立ち上がった。


「アンタは大将だろ。後ろでドンと構えててくれ。先発は俺とヨキ、ハルマ、クタニの班だ。後は包囲して逃亡を食い止めろ!」

「キリト!俺はどんな戦場だろうと後方に隠れてるなんてした事ねぇし、したくねぇ!お前は包囲側の指揮を頼む!ケイキは宿所に残っててくれ!以上だ!」


ケイキは肩を竦めた。


「全く…言い出したら聞かないんだから…キリト、時間も無い事だし此処は俺達が引こう」

「…仕方ねぇな…。ミズキ!」


突然自分の名前が呼ばれてビクリとした。


「怪我人が出るだろう。此処から宿屋までは距離がある。お前は医療道具を持って俺達と来い」

「キリトさん、ミズキを連れて行くの?」


クタニが抗議するように言う。


「行軍は急ぎになる。悪りぃが婆様を連れて行くわけにはいかねぇ。それに―――」


フッと笑顔を向けられた。


「こんな時の為に医術を学んでたんだろう?」


自分が認められたようで、吠狼隊の一員として見てくれたようで嬉しかった。

けど、今から行く場所は斬り合いになる。ゴクリと息を呑み込み、覚悟を決める。


「うん!」


トウの街はかなり大きい。喧騒の中で奇異の視線を注がれながらも1時間程小走りに移動して、例の宿屋へ到着した。

キリトの指示の元、夜陰に紛れて静かに散開して宿屋を囲む。

キリトがタケヤと目を合わせて頷くと、タケヤを先頭にクタニ、ヨキ、ハルマの班も続いて宿屋逃げる者は入って行く。

出迎えた宿屋の受け付けらしい男が、抜き身の剣を持ったタケヤ達にギョッとして声を詰まらせた。

タケヤは外に控えていた私にも届く程の怒号を張り上げた。


「吠狼隊だ!宿を検めさせてもらう!」


すると、2階の奥が俄に騒ぎ出した。タケヤ達はすかさず乗り込んで行った。ややもして、剣戟の音が響き始める。

自然、街並みも騒がしくなった。

キリトは野次馬が邪魔にならない様に隊員を配置させ、宿屋に近づけないようにしている。

店の主人らしき男が飛び出してきてキリトにしがみついて来た。


「や、止めてくれ…店が…店が…」


キリトは微動だにしない。と、2階の窓が開いてヨキが叫ぶ。


「2人、裏手に逃げたぞ!」

「トキ!ソウヤ!そっちに行った!逃がすんじゃねぇぞ!」


その時、表の戸を破ってクタニと男が転がり出てきた。

男は自分が敵に囲まれていると悟ったが、剣を引こうとせずにクタニへと斬りかかる。

剣を受けるクタニは微笑しているように見える。

男の剣を上方に弾き、空いた脇腹を薙ぎ払う。

思わず肩を竦めて目を背けた。

野次馬からも悲鳴が挙がるがが、クタニは構わずに直ぐ様中に走り去って行った。

キリトは冷静に隊員に遺体の処理を指示する。

凄惨な現場だった。生身の人間同士が斬り合う想像以上の衝撃に、胃から盛り上がるものを感じて思わず口を押さえた。

多くの隊員も、初めての修羅場に上手く呼吸が出来ずにいるみたいだった。

そんな中、ハルマが1人の隊員を抱えて飛び出してくる。


「足をやられた!手当を頼む!」


そう言って隊員を私の前に下ろすと、踵を返して戻って行く。

太ももを大きく裂かれ、ドクドクと傷口から鮮血が流れ出ていた。

途端、アツキを思い出す。

その死を想像して身体が震えだした私に、キリトが一喝した。


「しっかりしろ!お前は何の為に此処に居る!」

(…何の為に…皆を助ける為だ!)


此処に婆様は居ない。急がないと失血死してしまうかもしれなかった。アツキの様な若者の死を見るのはもう嫌だった。

私は意を決して、後方で狼狽えている隊員に声をかけた。


「足!高くして!明かりを!」


1人がハッとして、震える手を貸してくれた。

持ってきた医療道具から糸と針を取り出すと、止血と消毒をしてから裂かれた傷を縫い合わせていく。

それからは必死で、何が起きたかを思い出す事が難しい。

徐々に運ばれてくる怪我人を治療しては、宿所に運ばせる。

その時、けたたましい笛の音が近づいて来て、5〜6人の男達が走り寄ってきた。

その出で立ちで街の役人であると解った。


「吠狼隊!引け!」


キリトが冷ややかな目を向ける。


「何故だ」


男達は狼狽して目を合わせる。先頭の男が声を荒げた。


「何故ではない!充分に詮議もせずにこの様な暴挙を!」

「詮議は終わってる。中の賊は抵抗してるんだ。コッチとしちゃ剣を抜くしかない」

「証拠は!」

「捕らえた密偵が吐いた。充分だ」

「…ぐ…しかし、まずは報告し、コチラの意向を仰ぐのが筋だろう。それを勝手に―――」

「悠長にしてる間にトウが焼かれる危険があった。報告はしてあるはずだ。それとも何か?火をかけられるのを黙って見てろと?」

「なっ!そんな事を言っているのではない!貴様達の様な下っ端が勝手に動いて事を大きくするなと言ってるんだ!」

「それを今、先陣切って飛び込んで行った奴等に言えるのか?何なら、あんた達があの中に入るか?」


宿屋の中からは相変わらず激しい剣戟の音と怒号が飛び交っている。


「…クッ…」

「トウの警備は俺達の仕事だ。黙って見ててもらおうか。大好きな詮議は後でゆっくりとやりやがれ」

「…この事は…上に報告するぞ…」

「好きにしろ」


田舎者の傭兵のくせに、という捨て台詞を吐いて役人達は去って行った。


(…恰好いい…)


思わず見惚れてしまった。元々端正な顔立ちだが、毅然とした態度で役人を追い払ってしまったその横顔は、仄かな街明かりに照らされて色気を帯びて見える。

空が白み始めた頃、漸くその場を収集する事が出来た。

朝日が上がるのを呆然と眺めていると、キリトが近づいて来た。


「…酷ぇ格好だな…」


見下ろせば、怪我人の血で体中汚れてしまっている。

キリトは私の頬の汚れを親指で拭った。


「お前のおかげで、こっちに死人が出なかった。…ありがとな」


朝日を浴びたキリトの笑顔が眩しかった。

胸の奥がジンと傷んだが、その正体に気づくのはまだ先の事だった。

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