九
その日は休日だった。私や婆様にも5日ごとに1日の休日を与えられている。
休みと言われても、特に何をしたい訳ではなかったので、言葉の勉強だったり、同じく休日の幹部と買い出しにでかけたりが常だった。
今日も勉強のつもりでいたが、朝ご飯を食べた後に、トキとコウが釣りに誘ってくれたので、今は湖に小舟を浮かべて釣り糸を垂れている。
「今日は皆に魚料理を振る舞ってやろうぜ!」
「うん!」
「2人共静かにしろ。魚が逃げるだろ」
トキは物静かな性格だった。根気良く勉強にも付き合ってくれるし、私にとっては優しいお兄さん的な存在になっていた。
そのフワフワした毛並みが恋しくて、たまに触らせて貰ってもいた。
隊員には厳しいらしく「トキ班長にそんな事が出来るのはミズキさんだけッスよ」と感心された事もあったが、私がせがむと「仕方がないな」と言いながら許してくれるので、その優しさに甘える事が多々あった。
コウは、面倒見の良さから隊員からの信頼が厚い。
アツキの件以降、そのオレンジ色の瞳を吊り上げてることが多かったが、今日は穏やかに笑っている。
そんなコウが静かに声をかけてきた。
「ミズキは頑張り屋だなぁ」
「?」
「最近は婆様に習って医術も勉強してるんだって?」
「…俺、何も出来ない…。皆の役に立つ、は嬉しいから」
藁で作った傘のような帽子の下でトキが目を細める。
「時には肩の力を抜け」
「だよな。お前は頑張り過ぎなんだよ」
更に声を低める。
「ところでよ…お前、導きってどんな力があるのか自分で解らねぇのか?」
トキが周囲に視線を走らせる。
言葉を覚え始めて暫くして、キリトとケイキとタケヤの3人に呼ばれて質問された事があった。
私はこの世界に、その力で国を導く為に現れたのだと言われてもピンと来なかった。
日本ではただの派遣社員で一般人だった私。さしたる特技もない普通の人間だ。どんな力を持ってるのかと問われても首を捻るしかない。
「……解らない…」
私は改めて質問してみた。
「…導きって何?」
トキが静かに口を開いた。
「遙か昔、今の様に国同士で争いが絶えなかった頃、女王の統治する東の一国に1人の男が現れたそうだ。男は不思議な力を操った。時には雨を降らし、時には地震を起こし、時には病を癒やす。国はみるみるうちに力を増し、女王を導いてとうとう分裂していた国同士を1つに纏める事に成功した。それから200年余、平和な治世が続いたそうだ」
ただのおとぎ話か昔話みたいだった。コウが付け足す。
「その男は、息を引き取る間際に言ったそうだ。世が乱れた時には再び現れるだろうってな。…だからよ、俺達はてっきり男が現れると思ってたんだ」
自分がそんな大層な事に関わるのかもイマイチ疑問に思っているのに、今の時点では全てが別次元の話に聞こえる。
私は何処か他人事の様に「ふ〜ん」と話を聞いていた。
この世界の人達はかなり純粋なのだろうか。そんな伝説を信じて疑わない。
しかし、自分が導きであるかどうかは別にして、私がこの世界に現れたのは事実だ。
「…だから、皆がお前を狙ってるんだ…我こそは国を統一する者也ってな」
言い知れない不安が湧き上がってくる。私のそんな様子に、トキは笑って頭を撫でてくれた。
「心配するな。俺達が護ってやる」
「あぁ。初めは男だと思ってたから、導きを王に引き渡して一気に中央政府まで乗り込んでやろうぜなんて話もあったが、女を使ってのし上がるなんて、俺達の矜持が許さねぇからな」
「…きょうじ?」
言葉の意を求めてトキを見た。
「男としてみっともないって事だ」
「だからよ、いけ好かねぇ査察も波風立てねぇ様にしてたんだぜ。余計な詮索されねぇ為にな」
にこやかに接していた裏にはそんな思いがあったのか。
あの査察に関しては隊員達からも、政府の犬に尾を振るのかと不満の声が上がっていた。
「俺達の力でのし上がってやるさ。剣の道に背くことなく」
ふと吠狼隊の成り立ちが気になった。
「…吠狼隊、いつ出来た?コウも初めから?」
コウが汗を拭いながら説明してくれる。
「タケヤさんとキリトさん、クタニは同郷でな、初めは3人で吠狼隊を立ち上げたんだ。…実はあぁ見えて、タケヤさんは貴族のご子息ってやつだったんだけど、中央の政略戦争ってのに巻き込まれて家名と領地を没収させられたんだ。キリトさんやクタニはその家に仕えてた家系らしい。…で、剣1本でのし上がってやろうぜって、国を回って同士を集めた。俺はダズ村って所で育ったんだが、其処の村長に手を上げちまってな…。村を追い出された時に皆に出会ったんだ。その時にはもう、トキさんやハン、婆様も居たな」
「俺は戦場で会った。…半獣には未だ差別もある。いつも1人で戦場を渡り歩いていた。食う為にな。タケヤさん達はそんな俺にも分け隔てなく接してくれたよ」
トキは水面からその金の瞳を反らさずに静かな笑みを浮かべている。
いつも1人だったと言ったトキのこれ迄を想うと胸が締め付けられた。
村八分にされたコウもだ。コウの事だから、手を上げたのには何か理由があったに違いない。
人から拒絶されるのは辛い。皆、どんな想いで今日迄を生きてきたのだろうか。
思わず竿を握る2人の手に自分の両手を片方ずつ重ねていた。
私の意を汲み取ったのか、トキは穏やかな笑顔を浮かべた。
「お前は優しいな……俺には居場所が出来た。吠狼隊が家で、隊員は家族になった。…ミズキ、お前にも吠狼隊がそうであればと思う」
突然この世界に飛ばされて、家族も友人とも会えなくなった。
右も左も解らない世界が不安で怖くて、どうしようもなく悲しくなる夜は、人知れず涙を流したりもした。
でも、そんな想いを解ってくれる人も居た。
胸が熱くなって瞳が潤むが、何でもないフリをして涙を拭った。
「トキさんキザ〜。俺達だってミズキを心配してんだぞ」
トキは何も言わずに微笑んでいる。
「なぁミズキ、トキさんって結構モテるんだぜ」
「トキ、優しいから」
「うっ!既にミズキも落ちてやがる…クッソ〜」
「人徳っやつだ。妬くなよ」
「…余裕の笑み…」
2人のやり取りに笑った時だった。私の釣り糸がピンと張る。
「ミズキ!かかったぞ!引け!」
釣りなんて初めてで、引けと言われても上手く出来ない。私はもっと踏ん張ろうと立ち上がる。
「おい立つな!」
トキの静止が早いか否か。バランスを崩した小舟は左右に大きく揺れて、とうとうひっくり返ってしまった。
深い湖を漸く泳いで岸まで辿り着くと、お互いに目を合わせる。
その酷い格好が可笑しくて、3人で声を上げて笑った。
ずぶ濡れで宿所に帰るとキリトは呆れたが、少しあった皆との距離が近づいたように感じた1日だった。
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