八
(今日も暑いなぁ…)
先の事件から2ヶ月あまりの月日が経っていた。
強い日差しに、額の汗を拭いながら廊下の雑巾がけをしていると、不意に隊員に呼ばれる。
「ミズキさん、お客様ですよ」
(私にお客?)
訝しがりながらも門を潜ると、そこにはモジモジとして顔を赤らめた女性が立っていた。
たまに宿所周辺で見かけた事のある顔だ。
(何かな?)
この世界の女性は小柄が多い。栄養面が影響されてるのかもしれなかったが、160cmある女性はあまり見られず、自然と見下ろす形になる。
(この世界の女の子って可愛いなぁ)
等と考えながら、彼女のニノ句を待った。
「あ、あの…此処ではちょっと…」
彼女の言動にはたと思いつく。急に恥ずかしくなり、自分の顔も上気した様な気がした。
取り敢えず人目につかない敷地の裏に案内すると、彼女は漸く顔を上げた。
まだ、10代半ばだろう。少し震えた唇をキュッと結ぶと、緊張から掠れた声を上げた。
「……あの…私……貴方の事が…す、好きです!」
告白されてしまった。
(女子に告白されるって、女子としてどうなの…)
彼女は震える声で、親の決めた縁談で近く嫁ぐ事が決まっている事を告げた。
この若さで結婚しなければならない事は気の毒に思うが、想いを告げられても自分にはどうしようも出来ない。
こんな時はなんと言ったらいいのだろうか?私は思案を巡らせるのに必死で、物陰に隠れた数人の隊員に全く気が付かなかった。
隊員達は息を呑んで様子を伺っていた。
「…おい、何やってんだ?」
「シ〜!今良い所…ってキリトさん!」
キリトは隊員が覗く先に目を向ける。
「ミズキ?」
「キリトさん、隠れてください。今、大事な場面なんです」
年若い彼らには、このような艶事が刺激的なのだろう。
「…(何、告白されてるんだよアイツは)…で、相手の娘は誰なんだ?」
「俺知ってます。大きな宿屋の娘で、近く嫁に行く事が決まってます」
彼等の見回り兼情報収集能力が遺憾なく発揮される。
「嫁に行く前に、想いを告げに来たんですよ」
「おや、動きがあるようですよ」
「…ってケイキさんまで、いつの間に」
ケイキは人差し指を口に当てて静かにするように示した。その視線の先では思わぬ展開が繰り広げられていた。
女の子は瞳を閉じて背伸びするように顔を私に向けている。
(えぇ〜!待って待って待って!これって…キスを求められてる…?)
激しい動揺で半歩後ずさってしまった。
せめてもの思い出にって事だろうけど、してはいけない気がした。
彼女の想いが真剣なだけに、実は女である自分がするのは何か違う気がする。
でも、勇気を振り絞った彼女を拒む事も出来ずにいた。
いかにして傷つけないようにこの場を乗り切るか。考えた末の行動がこれだった。
ゴクリと唾を飲み込んで、彼女の前髪を分けた。
触れるかどうかの軽いキスを額に落とす。
彼女は驚いたように瞳を開け、顔を赤くしながらぱちくりした。
(ごめん…これが限界だよ…)
恥ずかしさの余り視線を外す。
「…額に口づけとは…ミズキもやるね…」
「どうしてですか?ケイキさん」
「俺なら絶対に口にいっちゃいますけど」
「…相手の事を考えたんだろうよ。もうすぐ嫁に行くってのに、半端に手ぇ出したら未練が残っちまうだろ…。(まぁ、アイツの場合はちょっと違うだろうが)」
キリトの言葉に、若い隊員達はほ〜っと感嘆する。
「ミズキさん…男ッスね」
「俺等とそう歳も変わらないのに…」
これをキッカケに、男としての評価が上がった事に私は気づきもしなかった。
それから5日後。
私にとっての大事件が起きる。
その日は朝から忙しかった。役所から査察団がこの吠狼隊に来るという。
何を査察するのか詳しい事は理解できなかったが、兎に角2日間でその査察団を饗さなければならない。
査察団は昼前に現れた。
1番偉いだろう団長は腰に剣を挿してはいたが、鍛え抜かれた剣士とは言い難い体躯をしていた。つまり、太っていたのだ。
査察団は5人。尊大な態度が鼻に付いたが、タケヤ達は笑顔で迎えたので、私も笑って頭を下げた。
その団長の視線に気づかず、私は宴会の準備をする為にその場を離れる。
「キリト」
婆様がキリトにだけ聞こえるように囁く。
「何だ婆様」
「ミズキを気をつけて見ていておくれ」
「?」
「いいね」
そんな会話が交わされているとは思いも依らなかった。
査察団は一通り宿所を案内され、会計監査や活動内容の確認等をし、本日の日程を終えた。
後は歓迎会と称しての宴会であったが、やれ田舎臭いだの若造達だのと言って馬鹿にするものだから、隊の全員を敵に回していた。
しかし、内心煮えくり返っているだろう隊長·副隊長達があくまでも笑顔を絶やさずにもてなすので、幹部達も仕方なく宴会に参加したのだった。
比較的平和に始まった宴会は、そのまま終わりを迎えるかと思われた時だった。
査察団のメンバーは上機嫌でお酒を煽り、次第にまともに話すことすら難しくなって来た頃、私はお酒の追加を取りに台所に向かった。
お酒を用意していると、ガタンと背後で戸が開いた。
驚いて振り向くと、団長が真っ赤な顔をしてフラフラ覚束ない身体を戸に預けている。
「…お酒…今、持ってく」
急いでお酒の入れ物をお盆に乗せた時、私の手を痛いぐらいに強く掴むので、お盆から入れ物がこぼれ落ち、ガチャンガチャンと音を立てて割れた。
「…な、何?」
「怯えた表情もこれまた…」
突然の展開に頭がついて行かない。
徐に顔面が近づいて来たので、咄嗟に横を向いて逃げる。
(どうして?女ってバレてるの?)
ガッシリと後ろから身体を拘束されると、もがいた拍子にバランスを崩して床に倒れ込む。
「柔らかい身体だなぁ。ほら、逃げるな」
「や、やめっ!」
必死の抵抗も団長の興奮を煽っただけだった。
「そんな綺麗な顔して男色は初めてか?優しくしてやるぞ」
(男色?男と思って襲ってるの?)
団長の酒臭い息が顔にかかる。
「綺麗な肌だなぁ…お前程の美形はそう居ないぞ」
「だっ!」
"誰か"と大声を出そうとしたが、口を押さえつけられる。首筋を舐められ全身の血が凍りついた。
重い団長の体重が更にのしかかってくる。
(もう、だめ…)
しかし、団長の動きが止まった。
団長の背後で鼻にかかった低い声が響く。
「婆様はこの事を言ってたのか…」
キリトが立っていた。
走ってきたのだろうか、息が上がっている。
首への手刀で気絶させたようだった。その団長の身体を私の上から退かそうとする。
「クソッ…重いんだよ、この肉布団が!」
半ば足蹴リのようにして横に転がすと、私の前に膝を着いて手を差し伸べてくれた。
ゆっくりとその手を取るが、急にガタガタと身体が震えだして立ち上がることが出来ない。
歯の根が噛み合わず、後から後から恐怖が湧き上がり涙が出てきた。
「…泣くんじゃねぇ…お前は男だろ……こんな事で泣くんじゃねぇよ」
言葉とは裏腹に、酷く優しく抱き締めて背中を撫でてくれる。
その胸にしがみついて声を殺して泣いた。
キリトは暫くその場で私を抱き締めてくれる。キリトの心音が聞こえてきて、私はゆっくりと落ち着きを取り戻して来た。
直後にハッとする。
(…落ち着いてきてる場合じゃない…あたしってば、キリトに抱きついて…)
恐る恐る顔を上げると、端正な顔立ちが私を見下ろしている。
心臓がトクンと波打った。
団長がうめき声を上げたので、ビクッとなってその身体にしがみつく。
キリトは舌打ちをして団長を一瞥した。
「…部屋に戻るぞ…立てるか」
まだ震える身体を立ち上がらせようと力を込めるが上手くいかない。
「…腰が抜けたか…」
キリトは溜め息を吐いて横抱きに私を抱き上げると、団長を残して部屋へと運んでくれた。
幹部は皆宴会に参加してるため、誰に見咎められる事なく部屋に到着する。
「…今日はもう寝ろ。そして忘れるんだ。…いいな」
急に突き放された気分だった。
ようやっと布団を敷いて潜ってみたが、団長の肌触りを思い出して恐怖が消えない。
私はまた声を殺して泣くしか出来なかった。
翌朝、全く眠れずに腫れた目を擦る。
どうしよう。きっと酷い顔をしてる。こんな顔で起きて行ったら皆を心配させるし、訳を聞かれても答える事が出来ない。
査察団が帰るのは今日の昼過ぎ。団長に会うのも怖かった。
思案していると、戸を叩く音が聞こえる。
「ミズキ、起きてるか?」
「…キリト?」
静かに入って来たキリトは、私の顔を見るなり大きな溜め息を吐いた。
「…やっぱりな…。今日は部屋に籠もってろ。そんな顔でうろつかれたら困る。…婆様には俺が言っておく」
言葉は冷ややかだったが、心配して見に来てくれたんだと気づく。
「…ごめん、なさい…」
「………悪かったな…」
「え?」
「婆様に言われてたのによ…結局……。もっと気をつけとくべきだった…」
(…本当は、優しい人なのかな…)
「キリト…助けたの…ありがと」
「…今日は外出るんじゃねぇぞ、いいな」
ふとあの後団長をどうしたのか気になって、出て行こうとするキリトに声をかけた。
「…団長…大丈夫?」
「心配すんな。あの野郎は酔っ払ってて何も覚えてねぇだろうよ…まぁ、あの肉布団を部屋まで運ぶのは骨が折れたがな」
フッと笑った横顔で、私も漸く薄い笑みを浮かべることに成功した。
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