夜明け前に目を覚ます。

目覚し時計等ないが、この世界に来てからすっかり早起きが身についてしまった。

夜は電気などないので油を浸した皿に火を灯すが、これが結構暗い。身辺を照らす程度なので、自然と早寝が習慣になる。

寝間着の着物を脱いで、シッカリとさらしを巻き付けてから衣服を整える。

ここに来る前に、キリトには口酸っぱく注意された。


「絶対に女だってバレんなよ!」


その理由もなんとなくではあったが説明されたので、私は納得して男に徹しようと努める。

白んだ空にうんっと背伸びして、井戸へ向かう。

微かに鍛錬の声が聞こえる中、顔を洗い、竹のような木の枝の先を割いた歯ブラシで、何かの植物を乾燥させ粉末化した歯磨き粉を着けて歯を磨く。ハッカみたいにスースーする。

私は手早く身綺麗にすると、台所に向かった。

既に婆様が米を洗っていた。

私は婆様より早く起きたことが無い。


「おはよ、ございます」

「おはよう」

「水…汲む」


私は桶を持って再び井戸に向う。溢さないように大事に持って台所へ戻ると、昨日とは違う3人が立っていた。


「おはようございます!今日は俺達の当番です。宜しくお願いします!」


元気に答える3人に笑顔を向けた。


「おはよ、ございます」


私の口ぶりに3人は少しだけ戸惑いを見せたが、直ぐに桶を持ってくれた。

朝食の後は、街の様子も兼ねて、ヨキとライタを共に婆様と4人で買い出しに出ることになった。

街は賑やかで、どの店も見たことのない珍しい置物や雑貨を並べている。

私には全てが物珍しく、新たな発見に心を踊らせていた。


「ハハッ!ミズキ、首が取れちまうぞ」


ライタの声も届かない程キョロキョロとしていたら、通行人にぶつかってしまった。

小さな悲鳴でそれが若い女の子だと解る。

彼女は尻もちを着いていたので、慌てて手を差し出した。


「…ごめんなさい」


女の子は急に顔を赤らめて、手も取らずにそそくさとその場を立ち去ってしまった。

まただ。

街の人達の視線が気になり出した。

コソコソと自分を見て何かを囁いている。

女のくせに短い髪をして男の格好をしているのが滑稽に映っているのだろうかと、いたたまれなくなった。


「…ヨキ…」

「あ?」

「…俺…変?」


自分の事は"俺"と言えとキリトに言われた。

私の言葉に、ヨキとライタが目を合わせる。


「…みんな…見る……変?」


暫くの沈黙の後、2人は噴き出した。


「ハハハッ変じゃねぇよ!」

「ミズキ、そういう時はな、笑ってやれ」

「…笑う?」

「あぁ、笑顔だ。え·が·お」


婆様と同じ事を言う。

5m程離れた所に立って、こちらを見ている女性達がやはり何かを囁いていた。


「ほら、ミズキ」


ヨキに肩を軽く叩かれたので、試しにと笑顔を浮かべてみた。

軽く悲鳴が上がる。

良く観察してみると、嫌悪や奇異の眼差しではないことに気付いた。


(これは、もしかして…)


自分にも経験はある。街行くカッコいい男子を見かけ、興味ありげに目で追う。

視線が合うと恥ずかしくて反らしてしまった。

これは、そういうことなのだろうか。

私はちゃんと男として見られている?それもまた複雑ではある。

その日から、チラチラと宿所に女の子達が覗きに来るようになった。

3日もすると、女の子に混じって物珍しげに男まで来るようになっていた。


[キリト目線]


宿所を覗いてる連中を、俺は不機嫌に見やった。


「何なんだ?アレは…」


ケイキさんが笑顔で答えた。


「皆、ミズキを見に来てるんだよ」

「ミズキを?」

「若い娘は美少年が好きだからねぇ…」


やれやれといった調子で肩をすくめる。


「…男も居るようだが?」

「あれはただの野次馬。絵から飛び出たような若者をひと目みてやろうって所でしょ」

「ったく。…変な所で目立ちやがって」

「ミズキは綺麗な顔立ちだから仕方ないよ。クタニも人気あるみたいだし、ライタやハルマにも贔屓が居るらしい」

「ウチは旅芸人の集団じゃねぇぞ!厄介な事にならなきゃいいが…」

「妬かない妬かない」

「妬くって何だよ!」

「モテ男の座を奪われた気がするんじゃない?」

「言ってろ!俺の相手はガキじゃねぇんだ」

「ハイハイ」


ひと呼吸置いて、ケイキさんの眼差しが真剣な物へと変わる。


「冗談はさておき、ミズキの情報がもう漏れてる。…当たり障りのないモノだけど、きっと新入隊員が何気なしに話したんだろう」

「…隊の規律を締めなきゃなんねぇな。これから隠密行動も増えてくる筈だ。隊内の情報を垂れ流すようじゃこの先が危険だ」

「隊員の教育を急がなきゃね。…キリト、俺はね、今からでも遅くないと思うよ」

「…何がだ」

「ミズキを国に差し出す事」

「…婆様が言ったことだ…今は待つとな。今迄、婆様の予言が外れた事はねぇ…」

「……そうだね…」


[キリト目線終わり]


その日の夕食後、部屋で縫い物でもしようかと思っていたら、クタニが呼びに来た。


「ミズキ、ちょっと付き合って」


呼ばれて向かった先はタケヤの部屋で、そこにはキリトも居た。


「タケヤさん、ちょっとミズキを借りるよ」

「お?おぉ、何処に行くんだ?」


クタニはグラスを傾けるようにして、飲みに行くんだとジェスチャーでも答える。


「2人でか?」

「ヨキさん、ハルマさん、ハンさん、後はライタも」


キリトが私を見たが、クタニはにっこりと微笑んだ。


「これも社会勉強の1つじゃない?」

「それもそうだな…。良し、許す」

「タケヤさん!」


キリトの咎めるような言葉にタケヤは微笑む。


「まぁ、いいじゃねぇかキリト。ミズキを特別扱いするなって言ったのはお前だろ?だったら特別厳しくする事もない。皆と同じ様に扱わなけりゃあな。行って来いクタニ」

「やった〜!ありがとうございます。では」


クタニは私の手を取ると、早速街の中に連れ出してくれた。

夜の街は昼間と違い、蝋燭に明かりを灯した怪しい光に包まれている。

1つの店に促されると、奥の席に4人が待っていた。


「遅ぇぞクタニ」

「アレ?もう出来上がってる?」

「おぅよ、俺達の仕上がりは完璧!ほらミズキ、こっち座れ」


ハンが手を引っ張って強引に隣に座らされた。

ハルマが店員を呼ぶと、いかにも働き者そうな女が駆けて来る。


「アラ、ハルマさん。また綺麗どころが増えてるじゃない」


ハルマは先発してトウの街に入っていたので、早速常連となっていたようだった。


「クタニです。宜しく」


にこやかに答えるクタニに、女はあけすけに喜んだ。


「ヤダ、良い男。あたしはヨウカ。これからもご贔屓に。そっちの兄さんは?」


視線を向けられたので、笑顔で答えた。


「…ミズキ…宜しく」


ヨウカは店中に響く様な悲鳴を上げた。


「キャ〜!兄さんがミズキ!本当に綺麗な顔してんだねぇ。カタコトなのも噂通り」


ヨウカは鼻先がくっつく位に顔を近づけてまじまじと眺めてきた。


「本当に芸人みたいだ…そこらの娘より綺麗だねぇ」


恥ずかしくてちょっと顔が赤くなったのを、ヨウカは見逃さなかった。


「おや、初心だねぇ。そんな所も可愛いじゃないか」

「おい、ヨウカ。ミズキだけが男じゃねぇぞ。いいから酒を持って来いよ」

「おっと仕事しなきゃね。直ぐに用意するよ」


ヨウカは明るく笑ってテーブルを後にした。

その様子をライタがブスくれて見やる。


「しっかし、ミズキがここ迄モテるとはな…見ろよ、他の女も見てやがる」

「アッハッハ、俺達方無しだね」

「笑い事じゃねぇぞ、クタニ」

「まぁまぁ、そんなこと言って、ハルマさんだってこの前手紙貰ってなかった?」

「何!それは聞き捨てならん!どんな手紙だ!」

「嫌だなぁヨキさん。聞くだけ野暮ってモンですよ」

「クッソ〜!俺ほど男の中の男も居ないぞ。この街の女は見る目がねぇ!」


そこへ、ヨウカが大きな湯呑を2つと煮物を持って来た。


「あたしはアンタも好きだよ」

「ありがとうよ、ヨウカ。でもお前ぇ、皆もって事だろ?」

「当たり前じゃん!あたしは皆のヨウカなんだから」


ケタケタと笑って奥に引っ込んで行く。


「兎に角、改めて乾杯しようぜ!」


クタニが湯呑の1つを渡してくれた。

この世界に来てから始めてのお酒だ。

お酒は嫌いじゃなかった。毎晩の締めに冷えた発泡酒を飲むのが楽しみだったのだ。

わくわくしながら最初の一口を含む。

少しだけ濁ったそれは、以外にもすんなりと喉を通っていく。


「…美味しい」

「お?ミズキはイケる口かぁ。よ〜し、今日はジャンジャン飲め!」


激辛料理を回し食べしたり、将来を熱く語ったりと楽しい時間が過ぎて行く。

おかわりを3回程した時だった。

トイレに立って席に戻ろうとした私に、店の若い娘が勢い良くぶつかって来てその場に倒れた。


「何だよこの店は!教育がなってねぇな!」


酒に任せて大声を張り上げる3人の男。直ぐに状況が理解できた。

私はそっと女の子に手を伸ばす。


「…大丈夫?」


女の子は赤面しながらも、手を取って立ち上がった。

その様子が更に気に入らなかったのか、今度はこちらに絡んでくる。咄嗟に女の子を背に庇った。


「何だぁテメェは!女みてぇな面しやがって!このガキが!」

(女だっつうの!)


私もちょっと酔っていたのだろう。

酒が入ると態度が悪くなる男が嫌いだった事も後押しし、無謀にもその男を睨み返していた。


「乱暴…止める」

「あぁ?」


私のカタコトが可笑しかったのか。男達は下品な笑い声でからかい始めた。


「何だぁコイツ。ハハハッ!変な話し方しやがって!ほら、そこどけ!」


乱暴に押し退けて後ろの少女を引っ張ろうとするが、その手を思いっきり叩いた。


「…やんのか?テメェ…」


男が拳を振り上げて、今まさに私を殴ろうとした時、その手はピタリと止まった。


「何だぁミズキ。帰りが遅いと思ったら、何か楽しそうな事してるな」


ヨキが男の振り上げた拳を握っていた。

他の4人も居る。


「女の子庇うなんて、ミズキもやる〜」

「これがモテ要素か…」


男は拳を握られたまま、まだ虚勢を張っている。


「何だテメェら!俺はこのガキに用があるんだ!外野はすっこんでろ!」

「俺等の連れなんだよ」

「お兄さん、皆が見てるよ。恥ずかしいから辞めない?」


柔らかく言ったクタニに、もう1人が近づいて来てその頬をペチペチと叩く。


「うるせぇ。優男は黙ってな」


ブチッと何かが切れる音が聞こえた気がする。クタニの顔は笑顔だったが、目が笑ってない。

頬を叩かれたその手首を掴んで背中に捻り上げると、悲鳴が上がる。


「あ〜あ、クタニを怒らせやがった」


呟いたのはハンだ。残りの1人が怯えつつ、それでも噛み付いてきた。


「な、何だテメェらは!やんのか!」

「あぁ、お前等がそのつもりならな」


ライタが嬉しそうに腕まくりをして見せた。


「取り敢えず、表に出ようね。お店に迷惑がかかるから」


笑顔のクタニは男の腕を捻り上げたまま表へと歩いて行く。

続くその他の面々。

野次馬も何人か居るが、私は心配げな少女の肩に手を置いて、安心させるように笑う。


「大丈夫…だよ」


毎日鍛錬を欠かさない彼らだ。ただの町人風情に引けは取らないだろう。

とはいえ、喧嘩を売ってしまった張本人が隠れている訳には行かない。

急いで人並みを掻き分けて表に出ると、3対3で向き合っていた。

ハンとハルマは見学のようだ。駆け出す私の肩をハンに掴まれた。


「大丈夫だミズキ。まぁ、見てろや」


酔った男の怒声が響く。


「何なんだよテメェらは!何処のモンだ!」

「俺達は吠狼隊だ」

「…ハイロウ隊?」

「おい、最近街に来た傭兵達だ」

「あぁ、傭兵のくせに偉そうに街を見回ってる、どっかの田舎者か」


ゲラゲラと笑って挑発する酔っ払い。ライタがつまらなそうに腕組みをした。


「くっちゃべってねぇで早くやろうぜ。それとも何か?お前ぇらは女子供しか相手に出来ねぇのか?」

「な、何だと」


ライタの一言で喧嘩が始まった。あっという間に人だかりが増える。

囃し立てる声で喧騒は一気に大きくなり、いつの間にそんなことになったのか、ハンとハルマも別の男達と殴り合いをしていた。

小一時間も騒いだ後、最初の男達をコテンパンに伸して、私達は気分爽快無事に宿所に帰って行った。

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