翌日、陽が昇リきる前に目が覚めてしまう。

外から漏れ聞こえてきた声のせいだった。

声の発生源を探して庭に降りてみる。声はかけ声の様な気合の様なもので、庭の奥から響いてくる。

少し鼻にかかった低音の声の主はキリトだ。

裸を見られたり髪を切られたりと、散々な思い出しかないない彼。

その強い眼光も少しだけ苦手だ。

私は大きな木の影から声の方を覗いてみると、そこには広場があり、上半身裸の男達が木の棒を持って素振りしていた。

タケヤも居る。


「オラ、お前ら!もっと気合い入れろ!」

「おう!」


若々しく引き締まった筋肉にほとばしる汗。

私は暫く魅入ってしまった。

その背後の気配に全く気付く事が出来なかった。


「…おはよう」


突然かけられた言葉にビクッとなって振り向くと、昨夜の黒猫が立っていた。

私は日本語で慌てて挨拶すると、黒猫はゆっくりとした口調で話し出した。


「おはようございます。朝の挨拶だ」

「お、お…おはよ…ごじゃいます…?」

「ございます」

「ございます」


黒猫はその金の瞳を薄くさせ、笑った様に頷いた。

着ぐるみでは無いようだ。ふと柔らかそうなビロードが目に付く。

とても手触りが良さそうだ。

猫好きの私は無意識に黒猫の腕に手を伸ばしていた。


「お、おい…」


黒猫の言葉は耳に届かない。

そっと触れてみると予想以上に滑らかで、そこには生き物の血の通った温もりがある。

私は一気に惹き込まれて、その腕に抱き付いて頬を寄せた。


(気持ちいい)


と、広場から突然ライタの声。


「あぁ〜!トキさんズリ〜ぞ!何ミズキと遊んでんだよ!」

「…否、遊んでは…」


キリトも叫ぶ。


「トキ!サボってんじゃねぇぞ!早くこっちに来い!」

「…取り敢えず、コイツをどうにかしてくれ…」


大きな溜め息を吐いたキリトが、トキの腕に擦り寄っている私の襟首を掴んでベリっと剥がす。


「何やってんたテメェは…」


そこに、皆がワラワラと集まってくる。


「おはよう、ミズキ!」

「早いんだなぁ、おはよう」


各々挨拶して来る言葉で、先程トキが教えてくれたのが朝の挨拶だと解った。


「…お、おはよ、ございます」

「お!挨拶したぞ!」

「おはようミズキ。早速言葉の練習とは、感心だな!」


タケヤがバシバシと背中を叩いた。

軽く咽ながら私はトキに視線を送ると、頷いてくれたので笑顔を返した。

それから30日間、私は皆に代わる代わる言葉を教えてもらう。

男達の顔と名前も覚えた。

髪を切られて以来、彼等が私に危害を加える事もその様子もなかった。

言葉と同時に生活習慣も覚える。

昼食は無く、食事は朝晩の2回。

彼等は朝と夕方の食事前に鍛錬と称して身体を動かし、その他は出掛けたり庭の手入れや掃除洗濯等、意外とのんびりと過ごしていた。

しかし、それもこの日迄だった。

大広間にキリトの声が響く。


「いよいよ明日、トウに下る。先発していたハルマとカトリ、コウから連絡が来た。新たな隊員は47名でもう新たな宿所に入っている。…此処からだ…此処から俺達は乗り込んでやるんだ!いいかテメェ等!国を変えるぐれぇでっかくなるぞ!」

「おぉ!」


男達の雄叫びが広間に轟く。私はイマイチ状況が理解できずに、皆の熱い笑顔を見ていた。


その日は朝から引っ越しの準備で慌ただしかった。

言われるがまま物を荷車へと運んで行く。

昼が近くなった頃、婆様と私は荷車の1つに乗せられ、他の皆は馬で移動を始める。

1時間も進むと、直ぐに大きな街が見え始める。

この世界に来てから通ってきた街の何杯も大きな街だ。

検問を過ぎると、賑やかな街並みに胸が高鳴る。

あちこちと眺めていると、ふと視線に気付いた。

若い女の子が2人、私を見ていたのだ。

その鮮やかな着物に高く結い上げた長い髪を少し羨ましく思いながら、彼女達と目が合う。

途端に逸らされた視線。

私は訳が解らず、何かおかしな所があるのかと自分を見下ろした。

と、婆様が笑う。


「笑っていなさい」

(笑っていろ?)


婆様の言葉の意図を理解できずに、もう一度彼女達の方へと目を向けてみる。

2人共また私を見て何やら話をしているので、軽く笑顔を作ってみると、彼女達は悲鳴を上げてまたコソコソとする。

更に首を撚ると、婆様はカッカッカッと嘲笑った。

新しい宿所に辿り着くまでにそんな事が2〜3回はあっただろうか。

宿所の門にはハルマが立って待っていた。

立派な門の上には、大きく[吠狼隊](ハイロウタイ)の文字があり、婆様が読み方を教えてくれた。


「お疲れ様!」

「ハルマ、ご苦労だったな。新入隊員の様子はどうだ?」

「まぁ、見てやってくれよ。おいお前ぇら!隊長達が到着したぞ!」


ハルマの声にゾロゾロと男達が出てくる。皆若かった。

10代後半から20代前半だろう。

やはり女性の姿は見受けられず、密かな期待は見事に打ち砕かれた。

若者達は指示に従いキビキビと行動し、荷物は私が手伝う間もなくあっという間にそれぞれの部屋に納められた。

山の宿所よりも更に広い大部屋に全員が集められると、早速キリトが立ち上がった。


「今日はご苦労だった。先ずは紹介からだ。こちらが吠狼隊隊長のタケヤ・フドクさんだ。この人を総大将に、俺達はこれから戦場を駆ける事になる」


タケヤが静かに立ち上がる。


「タケヤだ。…俺達はケサの田舎の出でな、家も貧しい農家だ。幼心に立派な剣士を夢見て吠狼隊を立ち上げた。傭兵として様々な戦場を渡ったが……男の夢はでっかくだ!俺達はこの国1番の騎士団となる!国をも動かす存在に必ずな!君達の力が必要だ!共に来て欲しい!」


男達の感嘆の声が漏れる。私に解る言葉は少なかったけど、タケヤの熱い想いは伝わった。

人の心を掴むのが上手いのか、年若い彼等の瞳に輝きと尊敬が伺えた。

タケヤが座るとキリトとケイキが立ち上がる。


「俺は副隊長のキリト・ハクイだ」

「同じく副隊長で参謀のケイキ・ヴァナ。皆、宜しく」


そして山のメンバーの自己紹介が続けられた。


「この10人がお前ぇらの師匠となる。10班作ってそれぞれを班長とし、その下で腕を磨いてくれ。配置は2日後に発表し、詳しい活動もその時に伝える。後は…こちらが占者で医者の婆様だ。働き者だが敬うように。それと、タケヤさんの甥っ子で世話役兼雑用係のミズキ。病で幼い頃から長く異国に居たせいで言葉が不自由だが、学んでる最中だ。まぁ、宜しくやってくれ。今日は以上だが、明日は夜明け前に鍛錬場に集合。朝食前の鍛錬は日課にする。気合い入れろよ!お前ぇらはもう吠狼隊の一員だからな!ヌルい鍛錬だと思うなよ!」


ハイ!と元気な返事が返って来ると、キリトはうんと頷いて解散させた。

一応世話役の私の部屋はタケヤの隣だった。

しかし、部屋でゆっくりとする間もなく、直ぐに婆様と賄いの支度に取り掛かった。

人数が増えた分、今迄の倍以上はかかるだろうと思われたが、ハルマが3人の若者を連れて来た。


「婆様、ミズキ。人数増えたからな、今日からは賄いに3人を付ける。当番制で、今日はコイツらだから宜しく頼む」

「はいよ」


婆様は返事をすると、早速指示を出して手際良く人数分の食事を用意していった。

新入隊員と山のメンバー、つまり班長達は別々の建物で生活する。

したがって食事も別だ。

私は少しホッとして、まだ慣れない自室で眠りに着いたのだった。

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