三
その日も朝から移動。体力には自信があると思っていたが、ずっと馬に揺られ続けるのは流石にキツかった。
通り過ぎる街では、チラホラと服を着て2本脚で歩く動物の姿を見かけた。
それは犬だったり鼠だったり熊だったり。そんな街並みにも少し慣れてきた。
2つ大きな街を抜け、段々と寂れてくる街道。
其処で一団は街道を外れて森の中へと歩を進める。
暫く進むと、小高い丘に出た。丘の隅には馬小屋らしき物があり、10数頭の馬が柵の中で草を食んでいた。
その奥には細い石段が伸びている。
どうやらやっと目的地に到着したらしかった。
長時間馬に揺られていたので、降りた時は足の感覚が鈍ってよろめいてしまう。
そう急な石段ではなかったが、私はやっとの思いで登った。
石段の先には森の中にしては大きな建物と、手前に小さな小屋らしき物があって、私は奥の建物へと連れて行かれる。
日本家屋と中華風の間を取ったような雰囲気の建物の入り口には、小さなお婆さんが立っていた。
『お帰り』
小さいお婆さんは眼光鋭く私を見た。その雰囲気に圧され、軽くたじろぐ。
『あぁ、ただいま。タケヤさんは居るか?』
『奥で待ってるよ』
キリトは二言三言お婆さんと会話した後、私の方を向いて此処に座れと促した。
大人しく座っていると、先程のお婆さんが水の入った小さな桶と布を持って、なんの躊躇いもなく私の足を洗い出した。
必死に着いてきた私は裸足だった。
お婆さんはその見目に似つかわしくなく、随分と丁寧に私の足の汚れを落としていく。
森の中や街中を歩いたせいか、汚れのみならず擦り傷も出来ていて冷たい水が傷に滲みた。
綺麗になった足を確認すると、キリトは再び手を掴んで屋内に促すので、私はお婆さんに小さく頭を下げてその場を後にする。
この世界でも、屋内では靴を脱ぐ習慣らしい。
長い廊下を挟んで幾つかの部屋がある。その最奥の部屋の前へ来ると、キリトが中に声をかけた。
『タケヤさん、入るぞ』
『おぅ、キリト。待ってたぞ』
中からの応答で扉を開けると、広い部屋の奥に三十路程の男とその周りに4人の男達が、板張りの床に藁で作った丸い座布団に胡座をかいている。
私用の座布団も何故か用意されていて、キリトが自分の横に座るように促した。
先程のお婆さんが人数分のお茶を用意して来る。
お手伝いさんなのかなと思ったが、お茶を置いたお婆さんは奥の男の横に座った。
そして、私はまた奇異の目で見られ始めた。
奥に座してる男が口を開く。
『…その娘が"導き"なのか?』
『あぁ、間違いねぇ。婆様の言った通りの場所にコイツが居た』
キリトの言の後、4人の男達の「おぉ〜」という静かなざわめきが部屋を満たした。
皆の視線が怖い。
『……まさかこんな娘が…。婆様、どうだ?』
声をかけられたお婆さんが細い目を更に細めて私に視線を向ける。
『…う〜ん…吉凶両方の暗示だねぇ…どう転ぶか解らないが…この娘で間違いないね』
『そうか…婆様が言うならそうなんだろうが…。とても国を導く力の持ち主には見えんな…』
『言葉が通じないから、少なくともこの国周辺の人間じゃねぇのは間違いねぇ』
キリトの言葉の後、奥で話していた男の右隣に座る、やはり三十路位の涼しげな顔の男が口を開いた。
その男の瞳は明るい琥珀色をしている。
『異国の娘か。どうりで顔立ちが華やかだ』
今度は少し離れた所に座る、少年とも青年とも言えるような年若い男が話し出す。
『で?これからどうすんです?国王への手土産にすんすか?』
一同の会話はさっぱり理解できなかったが、自分について話している事だけは解った。
すると、後ろに座っていたヨキから声が上がった。
『でもよぉ、こんな娘っ子を戦の道具に使っていいのか?』
すかさずキリトが口を挟む。
『当たりめぇだ。その為に俺達は危険を侵してまで"導き"を連れて来たんだ』
『でもなぁ…。女を巻き込むなんて…ちっとなぁ』
ヨキはその口を尖らせている。奥に座る男が腕組みをした。
『…ヨキの気持ちも解る。俺達は卑怯者の集団じゃねぇ。俺も"導き"がこんな娘だとは…』
更にキリトが声を荒げる。
『また甘ぇ事を!俺達はこれから国に大きく打って出る!何時までも地方の傭兵集団で終わるつもりはねぇ!その為の"導き"だったはずだ!』
琥珀色の瞳の男も、静かにだが口を開いた。
『その一歩としてトウの街に拠点を移す所だし、お役目も頂いたとこだしね』
『しかし、目指す物の為には何をやっても良いと言う訳ではないぞ。剣士の道に背くことは出来ん!』
キリトは大きく溜め息を吐いた。
『解った…取り敢えずは保留だ。どちらにせよ、会話もままならないんじゃ、暫く俺達で面倒みるしかねぇだろ』
『それはどうかねぇ』
『何だ婆様。何かマズイか?』
『恐らく"導き"が若い娘だって事は、力の有る国選占者ならもうバレてるだろうよ。エン国に居ることもね』
奥に座る男が慌てる。
『それはマズイぞ!街では人目もあるし、男所体に若い娘なんて目立つだろう!』
『監禁でもするか?』
『反対、反対、反対!可哀想だろ!』
キリトの意見にヨキが大声を出す。ハンも身を乗り出した。
『そうだ!男の格好させればいいんじゃね?』
『でも、彼女の顔は随分と華やかだ。生半可な男装はすぐにバレてしまう』
『言葉が解らないんじゃ、何処かに預けるのも心配だなぁ』
『馬鹿か!手元に置いとかなきゃ駒の意味もないだろ!何処かに奪われる危険もある』
様々な意見が出された後、キリトが静かに口を開く。
『なら、髪を切るか。…生半可でなければ良いんだろ?』
その言に一同がしんと静まった。沈黙を破ったのは奥に座した男だった。
『…しかし…女の髪を切るなど…罪人じゃあるまいし…』
『他に妙案でもあるのか?手放す気はないんだろ?街に下りれば嫌でも人目に付く』
『…隊員の増強も考えねばならんし、お役目を貰った以上役人の目も届きやすくなる。監禁は難しいだろう』
琥珀色の瞳の男がヒヤリと冷たい視線を送ってきた。
『監禁も男装も反対かな。俺は、今すぐにでも国に渡した方がいいと思う』
奥の男がお婆さんに話しかけた。
『婆様、何か視えるか?』
『……座して待つべし……時が来れば自然と事が動くだろうよ』
『…決まりだな』
キリトは徐ろに立ち上がると、懐から小刀を出した。
背後に立つ彼を見ようと振り向く間もなく、髪を乱暴に掴まれた刹那。
ザクリと嫌な感触が全身を伝う。
何が起きたのか解らなかった。しんと静まり返る部屋の中、床にパラつく物を見て、やっと自分の髪が切られたのだと理解した。
突然の展開に頭がついて行かない。
危害は加えられないと、何故安心しきっていたのだろうか。
まだこの男達の素性も目的も解っていなかったのに…。
自分の甘さに何故か涙が溢れてきた。
そういえば、森を抜けた丘では遺体が無数にあった。やはり、あれはこの男達の仕業だったのだろうか。
はらはらと涙を流しながらボンヤリとそんな事を考えていた。
『……婆様、風呂で綺麗に切り揃えてやってくれ…』
キリトの言葉も何処か遠くに聞こえる。
お婆さんがゆっくりと静かに私を促す。何処をどう歩いたかも解らず、風呂場らしき所に連れて行かれて服を脱がされる。
私はまだ茫然自失で、されるがまま髪を切られ続けていた。
とうとう嗚咽を漏らして泣き続ける私の身体を丁寧に洗ってくれたが、そんな事は今の私にはどうでもいい事だった。
髪を失った事が悲しかったのでない。
彼等を信用して安心しきっていた自分が情けなかった。
身体を拭いた後、白い布を胸にキツく巻きつける。
『…良く育った乳だねぇ…隠すのに一苦労だよ』
お婆さんの言葉は解らない。しかし、余りにもキツく締め付けるので、私はそこで漸く目線を落とした。
小さなお婆さんは懸命に私の胸に布を巻き付けている。
此処では皆、女性はこの様に布を巻き付けるのだろうか?
巻き付けるというよりは潰してる様に思える。
下着は着けず、ズボンを履かされた。上着は丈の短い着物のようで、細い帯で合わせを留める。
男物の服だと解った。
お婆さんや街の女性達はもっと丈の長い、ゆったりとした浴衣のような格好をしている。
着替え終わった私を、お婆さんは陽当りの良い一室に押し込めると、奥の戸を開けた。
庭に面した部屋だったらしい。
部屋に気持ちの良い風と光が通る。
お婆さんは何も言わずに出ていってしまった。
ポツンと残された私は、ゆっくりと部屋を見回す。
小さな机しかないその部屋は、それでも清潔感がある。
机にあった鏡を覗き込んで溜め息が漏れた。
ゆっくりと自分の髪を撫でる。ベリーショート位だろうか。
特に拘っていた訳ではなかったが、手触りが寂しかった。
「…男の子みたい…」
自分の言葉にハッとした。
男の様な髪に潰した胸、男の服。もしかしたら男になれという事だろうか?
何か女でいるのは都合が悪い事なのだとしたら…。
彼等の行動に納得は出来ないが理解は出来る。
言葉で説明出来ないから、行動で示すしかなかったのではないか?
その時、戸を叩く音が響く。
思わずビクリとして返事が出来なかったが、気遣わしげに戸が開いた。
ヨキとハンとハルマ、それと先程の部屋で見た年若い男だった。
ソロソロと入って来ると、皿に乗った何かを差し出す。お饅頭みたいだった。
『…食え…元気が出るぞ』
ヨキが饅頭を1つ取って、手に持たせてくれた。
ハンも何かを言う。
『可哀想に…綺麗な髪だったのによ…」
ハルマは酷く優しげに頭を撫でてくれた。
『…仕方ねぇよ…。正体がバレれば、もっと酷い目に合うかも知れねぇ』
年若い男は遠慮がちに口を開いた。
『…本当に普通の娘なんだなぁ…。俺、導きなんてオッサンだとばっか思ってたよ』
その後、若い男はライタと名乗った。
男達の様子は明らかに私を気遣っていた。言葉は通じなくても、それ位は解る。
少しだけ話した後、4人は出ていってしまった。
私は手の中の饅頭を見つめる。
静かになった部屋に再び訪問者があった。
奥に座していた三十路位の男だ。この男がこの集団のトップだろう。自然と身構える。
すると男は床に手を付き頭を下げた。
『すまん!』
…謝っているのだろうか?
『…ミズキと言ったな…俺はタケヤだ。……こんな事になってしまって本当に申し訳なく思っている!…否、お前を利用しようとしてたのも本当だが…実際、こんな娘だと解ったら…どうにも…。導きとは、もっと超絶的な存在だと思っていたんだ…否、今は何を言っても解らんか…。本当にすまなかった!』
タケヤはまた頭を下げた。人好きのする感じの男だった。ひとしきり何かを喋ってから出て行く。
ふぅと小さく溜め息が漏れる。すると今度はキリトが入って来た。
鋭い視線は、一瞬髪に移って戸惑いの色に変わった。
大きく溜め息を吐いてから、静かに口を開いた。
『…俺を恨んでくれていい。お前にはその権利がある。…だが、俺達にも譲れねぇモンがあるんだ……』
また溜め息を吐く。
『…言っても解らんだろうな…何を語ろうとしてんだか…』
キリトは乱暴に頭を齧っている。何か真剣に話をしてる様だったが、私はその様子を気にかける事が出来なかった。
先程から頭がクラクラする。思考回路は停止し、座っているのも辛い。
そして、突然意識を手放してしまうのだった。
キリトが遠くで私の名前を叫んでる気がしたが、その声も次第に消えて行った。
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