馬に乗せられてから数時間が経ったようだ。空が白みがかっている。

あの赤い満月は、今はもうその姿を消そうとしていた。

小高い丘に出た所で馬の脚が止まる。

その眼下には小さい建物がいくつか見えた。

村と呼んで差し障りがないだろう寂れた雰囲気だ。

本当に此処は何処だろう。

馬はテレビで観るあの馬と何ら変わらない。

もしかしてタイムスリップだろうかとか、あらゆる可能性を考えてみる。

しかし、聞いたことの無い言葉や男達の格好がどうにも納得出来ないでいた。

別の国と言うよりは、全く別の世界のようだった。

一団は丘から村を目指して駆け下りる。あの村が目的地だろうか。

しかし、男達は馬を暫く休ませた後、すぐにその村を後にする。

村人らしき人達の姿は、やはり着物のような格好だ。

昔の日本の様な、それでいて中国の様な、どちらともない様な服装と顔立ち。

その村人達が奇異の瞳を向けてくる。

相も変わらず訳の解らないまま、再び男の馬に乗せられた。

少し、否かなりお尻が痛い。

馬に乗るのは初めてだし、長時間に渡っての激しい揺れに結構な体力を消耗していた。

それでも男達の歩みは止まらない。

陽が真上に来た。時間感覚も麻痺してきた。

会社を無断欠勤してしまったとか、冷凍庫に入れた発泡酒はどうなったかな等呑気な事を考えていると、今まで通り過ぎてきた村よりも大きな街の様な建物が見えてきた。

頑強な木の門と塀に囲まれた街は、沢山の人で溢れていた。

門の前には行列が出来ていて、検問を受けなければ街に入れないようだった。

不意に後頭部から声が響いた。


『いよいよ正念場だな』

『即席の手形ですからねぇ。…でもまぁ、何とかなるんじゃない?お得意の話術で』

『阿呆、そりゃお前だろ』


相変わらず解らない言葉を交わした後方の男は、私の肩に手を置いて私を振り向かせる。

そして人差し指を口の前に立てた。

喋るなって事だろうか。

そうこうしてる内に一団の番が回ってきた。

検問をする人達はやはり腰に剣を挿して、手形と顔を検分していく。

何故か私の前で止まった。


『この者は?』

『俺の嫁だ』

『…何故男物の服を着ている』

『途中、川に落ちたから着替えさせただけだ』

『…手形に不備は無いようだが…』

『…何が気になる?』

『"導き"が現れたそうだ。戦が始まるかも知れん。怪しい者は連行する様に言われている』

『この娘がか?』

『…判断するのは俺達だ』

『ただの田舎者の娘だ。病で耳と口が不自由なんだ』


検問員が後ずさりして何やら相談をしている。その後、私達は門を潜る事を許されたようだった。


『…間抜けめ…』


後方からボソリと何かを呟く男に気を取られた時、私の横を毛皮が通り過ぎた。

ギョッとして振り向くと、虎柄が目に入った。

のっしのっしと服を着て2本脚で歩く虎だ。

口を開けたままその後ろ姿を凝視していると、一馬身後方から笑いが起きる。


『ハハッ!半獣を見るのも初めてみたいだな』

その声も今の私にはどうでもいい事だった。

此処はやはり異世界なのだろうか。それならば、言葉や服装が違ったり、2本脚で歩く動物にも納得がいく。

しかし、何がどうなって異世界に迷い込んでしまったのだろうか。これから、どうなってしまうのだろう。

私の不安も他所に、結局、その街でも昼休憩を取っただけでそのまま移動する様だった。

昼休憩と言っても、屋台の前で立ち食いをしただけだ。

私は皆の様子を伺いつつ、真似して食べた。箸を使うのが救いだった。

丸一日馬を走らせ、陽が暮れると街道の外れで野営の準備が始まった。まだ目的地には着かないようだ。

各々寛いだ格好で火を囲む。私の隣には相変わらず鋭い眼光の男が腰を下ろしている。

私は思い切ってその人に声をかけてみた。相手を少しでも知りたかったから、先ずは自己紹介から始めてみたのだ。


「あ、あの…あたしは瑞希。み·ず·きって言います。瑞希」


そして自分を指していた指をクルリと男に向けて問うた。


「貴方は?」


暫くの沈黙と冷めた視線。

話しかけてはいけなかったのだろうか。向けた人差し指を彷徨わせた所で、少し鼻にかかった低音の声が静かに響いた。


『…キリト…キリト·ハクイだ……ミズキ』


私は通じた喜びで自然と笑顔になった。キリトと名乗った彼はフィッと視線を外す。その時、後方から声をかけられた。


『やっと笑ったね。俺はクタニ。クタニ·ユイファン。宜しくミズキ』


「…クタニ…」


ゆっくりと噛み締めるように繰り返すと、笑顔の彼は大きく頷いた。

最初に現れた彼がキリトで、始終柔らかい印象の彼がクタニ。

私は失礼かもとは思ったが、指差ししながらキリトとクタニの名を覚えるように繰り返す。

すると、5人の中で1番体格の良い男が近寄ってきた。


『ミズキ!俺はヨキ!ヨキ·リテンってんだ!』


身体も声もジェスチャーも大きなヨキは、ニカッと白い歯を見せて両手を強引に握るとブンブン振った。

クタニがやんわりと何か言う。


『ヨキ、若い娘に気軽に触らない。あんたは身体も大きいんだから、そんな風に迫ったらミズキが怯えるでしょ』

『お?おぅ…そうか…』


ヨキは慌てて手を離して、バンザイしているような格好になっている。


『ヨキ!抜け駆けは無しだぞ!俺はハン·イヤフ。ハンって呼んでくれ!』


ハンはヨキと同じ位の背丈だったがヨキ程筋肉隆々ではない。何より印象的なのはその瞳がスカイブルーだった事だ。

髪は皆と同じ様に黒いのに、コンタクトを入れたようなその瞳だけがキラキラしている。


『むさ苦しいお前らは下がってろ。ハルマ·ヨンジュ。解るか?ハ·ル·マだ』


最後に名乗ったハルマは、先の2人に比べればその体躯は劣るものの、それでもガッシリとした手で私の頭を撫でた。

細い目が印象的なスッキリとした醤油顔だ。


『あ、ずり〜』

『だから、お触り禁止だってば』


その後の会話は、私にはまだ理解できない。しかし、自己紹介してみて良かったと思う。

まだ正体不明の彼等だが、どうやらそんなに悪い人物ではないようだ。

少しだけ自分を受け入れて貰えたようで嬉しかった。


『お前ら、もう寝ろ。明日も走るんだからな』


キリトの一言でそれぞれが渋々といった感じで自分の場所に戻って横になる。

キリトに頭を小突かれるように、寝るよう促された私もその場で横になった。

自分の思っていた以上に身体が疲れていたのだろう。私は夢も観ずに闇へと落ちていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る