第1章 戦士の詩
1-1
僕の住む街には、「御徒町」の名を冠する駅が三つもある。
JRの御徒町駅と、日比谷線の仲御徒町駅と、銀座線の上野御徒町駅。浅草に向かって少し行けば、つくばエクスプレスの新御徒町駅もある。「御徒」とは馬の乗っての移動を許されない下級武士のこと。そういう武士が住む長屋が昔はたくさんあったらしい。要するに、内職暮らしの貧乏人が住む小汚い町だったということ。
時は流れて、現代。
街の南側は宝石街になっている。だけど、宝石のようにキラキラした雰囲気はぜんぜんない。くすんだ看板をぶらさげた宝石問屋が狭い区画に立ち並ぶ下町だ。道に「ダイヤモンド通り」とか「ルビー通り」とかジュエリーの名前をつけているけれど、壊滅的に似合っていない。「宝石の街に行こう」と彼女を連れて行ったらさぞ失望されることだろう。外国人がたくさんいるから海外旅行気分は味わえるかもしれないけれど、女の子が好きな海外はグアムやバリや地中海であって、スリルで肌が震えるアジアの裏通りではないはずだ。
北側にはJRの高架線沿い500mに渡って広がる巨大商店街、アメヤ横丁がある。通称「アメ横」。服屋、靴屋、鞄屋、時計屋、鮮魚屋、八百屋、家電屋、ゲームセンター、居酒屋、パチンコ――味の調和なんか知るかと好きな具材を好きなだけ放り込んだ闇鍋みたいな商店街だ。そういうのが食べてみると意外と美味しかったりするよね。もちろん、食えたものじゃない時の方が多いけど。
アメ横を抜けるとそこは上野だ。パンダで有名な上野動物園とか、桜で有名な上野公園とか、包茎手術で有名な上野クリニックとかがある。僕は御徒町の人間だから御徒町を基準に考えてしまうけれど、普通の人は上野が先にあって御徒町はその植民地ぐらいに認識していると思う。別に間違ってない。僕だって知らない人に「どこに住んでるの?」と聞かれたら「上野」と答える。そっちの方が色々と捗る。
僕が生まれる前から東京の玄関口として発展してきた上野一帯は、来る者を拒まず、去る者を追わない。結果、海と川の境目にある汽水域に独特の生態系が築かれるように、街には一筋縄ではいかない人々がたくさん住みついている。上野公園の生け垣に立ちションをするホームレス、仲町通りの風俗街を昼間からウロウロする客引き、終わらない閉店セールを続けるアメ横の時計屋、そして――
月のお姫さま。
彼女は言った。自分は月におわしまする女王の娘だと。だから月のプリンセスということになるのだと。夜空に輝く月の光を一身に受け、裏も表もなんにもなさそうな顔で無邪気に笑いながら、確かにそう告げたのだ。
信じられるかい?
僕は、信じる。
◆
明日から中学三年生になる日曜の午後三時、カトウから『花見しない?』というメッセージがLINEのグループに届いた。
僕は『今からかよ』と返した。カトウは『だって休み終わるし』と答えになってるんだかなってないんだか分からない返事を寄越した。ソンから『いいよ』というメッセージが入った。ケイゴから『オレも行ける』と来た。僕は書きかけの『場所取れないだろ』というメッセージを消し、『じゃあ俺も行く』と送った。
集合場所と時間を決めてトーク終了。ジャージからデニムとシャツに着替える。デニムのポケットにスマホとポールスミスの財布(偽物)を突っ込み、イブサンローランのジャケット(偽物)を羽織ってリビングへ。胸元の開いたヴィトンのネグリジェ(偽物)を着てソファに寝そべり、フェンディのスマホカバー(偽物)をかぶせたスマホを弄っていた母さんが、むくりと起き上がって僕に声をかけた。
「おはよう、ヒロくん」
何一つ早くはないけれど、「おはよう」と返しておく。上野の風俗街、仲町通りで風俗嬢として働き、女手一つで僕を育てている母さんの朝は遅い。夕方に家を出て、夜中に帰ってきて、昼まで寝る。その繰り返し。
「どっか行くの?」
「うん」
「デート?」
「違う」
僕は玄関に向かった。そしてふと食卓の上に、白文字で『CHANEL』と書かれた黒い持ち手の先にシャネルマークのブロックと細い棒がくっついた、安っぽい作りのグッズが置いてあるのを見つける。
「なにこれ」
「自撮り棒。ユリちゃんから買ったの。使うなら持って行ってもいいよ」
ユリちゃんは母さんの風俗嬢仲間。定期的に中国で偽ブランド品を仕入れ、それを仲間内で売り捌いている。僕の財布やジャケットもプレゼンテッド・バイ・ユリちゃんだ。
「……シャネルって自撮り棒出してるの?」
「さあ」
適当な返事。話のネタに出来そうなので、とりあえずスマホで写真を撮る。それからリビングを出て、玄関で靴を履き替え、家の中に声をかけて外に出る。
「行ってきます」
外は快晴で、絶好の花見日和だった。首都高速一号上野線と電車の高架線をくぐり、JR御徒町駅前の「おかちまちパンダ広場」に着く。端の方にちょこんと置いてある安っぽいパンダ像に名前を支配された駅前広場。御徒町が上野の植民地である証拠だ。
広場を見渡すと、襟足の長い金髪と両耳のピアスがいかにも不良な身長百八十センチぐらいの少年と、坊ちゃん刈り系の頭とだぶだぶのパーカーがいかにもガキな身長百五十センチぐらいの少年が、パンダ像の近くで立ち話をしていた。兄と弟。高校生と小学生。土佐犬とチワワ。実際は、同い年の中学生。
「あ、ヒロト」
チワワカトウが僕に気づいた。土佐犬ケイゴも振り返る。僕は「うーっす」と適当な言葉を吐きながら二人に歩み寄った。
「ソンは?」
「まだ」
ケイゴが首を伸ばし、大通りを挟んだ先にあるアメ横を見やる。やがて青信号に合わせて通りを渡る人々に交じり、右手からトートバッグを提げた黒縁眼鏡の少年――ソンが現れた。アメ横で中華料理屋『大連楼』を営む中国人夫婦の息子。ケイゴが土佐犬でカトウがチワワだとするとソンはボーダーコリーだ。頭が良さそうで、実際に頭が良い。
「待った?」
「別に。じゃ、行こうぜ」
みんなを先導するようにケイゴが歩き出した。僕たちは花見をすると決めただけでどこに行くかは決めていない。決めるまでもないから。「上野」と「花見」をキーワードにぶっこめば、グーグルだって一番に「上野恩賜公園」を示してくれる。
上野広小路の交差点で中央通りを渡り、少し歩いて上野公園に着く。公園の中に足を踏み入れれば、そこはもう魔境だ。道幅をいつもの半分以下にする敷き詰められたブルーシート。弁当箱やペットボトルがはみだしたキャパシティの足りていない大型ゴミ箱。それらを薄桃色の花吹雪で覆いつくさんばかりに立ち並ぶ、満開の桜並木。春の上野公園は一年で一番、汚らしくて美しい。
暗がりの生け垣に四人並んで座る。ソンがトートバックから赤いラベルのついた瓶を取り出し、同じくバックから取り出した紙コップに飴色の液体を注いでみんなに渡す。紹興酒。僕たちは娯楽用食料品の調達をソンの中華料理屋に頼っている。溜まり場もソンの部屋だ。結果、やたら固くてべたつくジャーキーや妙に舌がピリピリする炒り豆をつまみに紹興酒で酒盛りをすることになる。
「「「「
中国風の発音でコップを合わせ、みんなで一気に飲み干す。これで晴れて犯罪者。カトウが「やっぱ薬臭くてまじー」と言い、ケラケラと楽しそうに笑った。
◆
「マジでそんなもんあんの?」
「あんの。ほら、これ」
出がけにスマホで撮ったシャネルの自撮り棒をカトウに見せる。カトウが腹を抱えて笑い、酒で赤くなった顔がさらに赤くなる。ソンが横から僕のスマホを覗き込み、辛辣な言葉を吐いた。
「ライブの物販で売ってるクソダサグッズみたい」
「お前の国で作ったもんだぞ。責任取れよ」
「ごめん。僕、日本生まれ日本育ちだから」
ソンがペットボトルのお茶を飲む。もう酒は飲み干した。日は完全に沈んでいて、提灯型のライトに薄ぼんやりと照らされた夜桜が幻想的な美しさを醸し出している。まあ、桜なんて誰も見ちゃいないけれど。
「高橋、歌いまーす!」
すぐ傍で花見をしていたサラリーマンが立ち上がり、音楽という概念に喧嘩を売る音程もリズムもめちゃくちゃな歌を歌い始めた。ブルーハーツ。リンダリンダ。反射的に、眉間に皺が寄る。
僕の名前はブルーハーツのボーカル、甲本ヒロトから取られている。父さんが好きで、父さんに影響された母さんも好きになって、名前を拝借することを決めたそうだ。だから家にはブルーハーツのCDが全て揃っている。なおその父さんは僕が生まれた三か月後、ブルーハーツの曲『俺は俺の死を死にたい』をタイトルに冠した置き手紙を残して失踪した。家庭に縛られた人生がいかに窮屈かを述べた力作だったそうだ。そういうわけで僕はブルーハーツを聞かないし、顔も知らない父さんには「そういう死が欲しかったんだろ?」と皮肉れる死に方をしていて欲しいと願っている。
サラリーマンが歌らしき何かを歌い続ける。下手だしうるさいしブルーハーツだし、イライラする。何回サビやるんだよ。隣の女も困ってるぞ。気づけ、高橋。
「イラついてんな」ケイゴが一本だけ残っているマルボロの箱を、僕に向かってすっと差し出した。「吸う?」
「要らない」
「りょーかい」
ケイゴが最後の一本を咥え、左手で空き箱を握りつぶしながら右手の百円ライターで火をつける。さすがヤクザの父親を持つ不良のサラブレッド。サマになっている。風俗嬢の息子程度では太刀打ち出来ない格の違いを感じる。
サラリーマンの歌が止まった。にわかにエアポケットみたいな静けさが生まれる。ケイゴが吐き出した煙を目で追い、僕もつられて夜空を見上げる。薄い雲の向こうに、下弦の月が煌々と輝いている。
「おれらさ」カトウが、独り言みたいに呟いた。「三年も同じクラスになれるかな」
誰も返事をしない。正解は分かっている。また四人同じクラスになるのは難しい。それでも俺たちが友達なことは変わらない。これからも楽しくやろうぜ。――たぶん、こんな感じ。でもそんな恥ずかしいこと、酒に自白剤でも盛られない限り言えない。
「……なれない確率の方が高いんじゃねえの」
ケイゴが突き放すように言い捨て、吸い殻を地面に投げて火を踏み消した。僕は逃げるように遠くを見やり、群青色の服を着た男二人組とうっかり目線を合わせてしまう。上野公園を見回っている交番勤務の制服警官。
――ヤバ。
さっと目を逸らす。そして逸らしてから「しまった」と気づく。権力は弱者に強い。殴り返されそうな相手は他の権力から命じられない限り殴らない。中途半端な悪事は堂々と働くべきなのだ。
警官二人が僕たちに歩み寄る。酒は飲み干した。ゴミも残っていない。だけど僕たちの周囲二メートルに入れば「こいつら酒盛りしてたな」と分かる程度には臭いが身体に染みついている。シラを切り通すのは難しい。
上司らしき中年の警官が顔をしかめた。アルコールの気配を感じた顔。部下らしき若い警官が話しかけてくる。
「君たち、中学生かな」
こういう時、僕たちの取る行動は決まっている。
罪の重さは人によって変わる。不良がいいことをするとやたら褒められるように、優等生が悪いことをすると無駄に大事になる。僕たちの場合、カトウ、ソン、僕、ケイゴの順に罪が重い。カトウは並の神経ならば金魚にもつけない下の名前を授かったこと以外は平穏な人生を歩んでいるから補導は致命傷だし、逆にケイゴは今さら現行犯でもない飲酒で捕まったところでそこに喫煙が加わったとしても何一つ痛手ではない。
というわけで、ケイゴに泥をかぶってもらい、他は逃げるのだ。
「――
中国語で「頑張れ」と言い捨て、僕は走り出した。ほぼ同時にソンとカトウが別々の方向に動く。上司の警官が「待て!」と伸ばした手をケイゴが横から掴んで止め、そのまま流れるように部下の方にも足払いをかけてこかせる。これで公務執行妨害もプラス。サンキュー、ケイゴ。あとでいつも通り、礼はするよ。
花見客の間をすり抜けるように走り、不忍池に向かう。テキ屋で賑わっている細い道を突っ切り、弁財天を祀っている弁天堂を抜け、ボート乗り場に到着。いったん足を止めて振り返ると、警官は追ってきていなかった。呼吸を整え、ひとまず、安堵の息を吐く。
「ねえ」
背後から、女の声がした。
僕は最初、僕が呼ばれていることに気が付かなかった。「ねえってば」と甘い声が耳元に近づき、ようやく自分が呼ばれていることを理解する。僕は母さんの風俗嬢仲間をイメージしながら振り返った。心当たりがそれぐらいしかなかったから。
――違った。
白いブラウスとハイウェストのプリーツスカートを身に着け、長い黒髪を夜風になびかせながら小人の手形みたいなえくぼを浮かべて笑う少女は、間違いなく母さんの風俗嬢仲間ではなかった。全く、まるっきり、エロ動画とジブリアニメぐらい違う。そして、エロ動画を再生してジブリアニメが始まったらきっとだいだいの人間がどうなるように、僕も言葉を失って呆ける。
少女が右の人さし指を立てた。作り物みたいに白い指が、闇夜にぼうっと浮かぶ。
「一人?」
◆
知らない子だ。
この子が僕のことを知っていたとしても、僕はこの子のことを知らない。間違いない。忘れていることも、たぶん、ないと思う。ほんの少しでも話したことがあるならば、僕はこの子を忘れない気がする。
「……人違いじゃない?」
声がわずかに上ずった。未知の生き物に出会った猫みたいに、少女がびい玉みたいな瞳をぱちくりと瞬かせる。
「どういうこと?」
「誰かと間違えて声をかけてるんじゃないかと思って」
「ナンパって普通、初対面の人に声をかけるものじゃないの?」
呼吸が乱れた。ナンパ。この子が、僕を。――冗談だろ?
「それで、一人なの?」
威圧感なんて欠片もないふんわりした声。だけどなぜか、抗えない。
「うん」
「良かった。中学生か高校生だよね。年齢と学年は?」
「十四歳。今年から中三」
「すごい。わたしと全く一緒だ。運命的!」
少女が両手をパンと胸の前で合わせた。ただ手を叩いただけ。だけど、僕が同じことをしても同じ響きは出せないと確信できる、柔らかい音が夜の底を揺らす。
「あのさ」少女が僕の肩を指さした。「それ、イブサンローランでしょ。お金持ちなんだ」
僕は「ああ」とジャケットの襟を整えた。どう言ったものかと考えて、結局、取り繕わないことにする。
「これ、偽物だから」
「偽物?」
「そう。中国製の偽物。母さんが友達から買ってくるんだ。他にもたくさんあるよ。これもポールスミスの偽物だし」
黒い長財布を取り出して掲げる。少女がぽかんと僕を見やり、財布を見やり、そして――声をあげて笑いだした。
「……そんなにおかしい?」
「だって、偽物だって言っちゃったら意味ないよ。黙ってればいいのに」
「別に見栄張りたいわけじゃないし。ジャケットと財布はこれしか持ってないんだ」
「なにそれ。偽ブランド品より先に買うものあるでしょ。あー、面白い」
面白い。クラスの女子ならたぶん「ウケる」とか言うのに。そんなところが引っかかって気になる。
「でも、すごいね。偽物なんて全然わからな――」
僕のジャケットに触れつつ、少女が言葉を途中で止めた。それから首を伸ばして僕の胸に顔を近づけ、くんくんと鼻を動かす。
「――お酒の臭いがする」
少女が鼻をつまんで目を細めた。僕は小学生の頃に教室で飼っていたハムスターのハナちゃんが、額をつつくと同じような顔をしていたことを思い出した。僕はハナちゃんが大好きだった。かわいくて、かわいくて、食べちゃいたいと思っていた。
「友達と花見して、飲んでたから」
「中学生でしょ。捕まらないの?」
「捕まりそうになったから、あっちから逃げてきたところ」
僕は弁天堂の方を指さした。少女が「あら」という風に口に手をやり、それからその手を顎に持って行って考え込む。
「じゃあ、一緒に夜桜見物は難しいかな。捕まっちゃうもんね」
そうだね。
声が出ない。交通事故みたいに飛び込んできた出会いが、台風みたいに去っていくのが惜しい。ほんの少し前まで、ただの一言すら言葉を交わしたことがない、世界に何十億もいる人間の一人だったはずなのに。
「せっかく、面白そうな男の子に会えたと思ったのになあ」
少女が「あーあ」と嘆きながら夜空を仰いだ。僕も真似をして視線の先を追う。角砂糖がコーヒーに溶けるみたいに、右半分の欠けた月がぼんやりとした光でその輪郭を暗闇に溶かしている。
「ねえ」月を見ながら、少女が呟く。「月に人が住む王国があるの、知ってる?」
月の王国。迂闊に触れたら砕ける、ガラス細工のように美しくて脆い概念。
「知ってるよ。『竹取物語』だっけ。なよ竹のかぐや姫」
「うん、それ。すごいよね。あれから千年以上経ったのに、まだ王国は続いてるんだから」
「続いてるの?」
「続いてるよ。わたし、もう何代目か分からないけど、月のお姫さまだもん」
月のお姫さま。
いきなり、会話に異国の言語を挟まれたような気分だった。僕が月から目を離して少女を見ると、少女も同じように僕を見返す。少女が桃色の唇をやわらかく歪め、内緒で飼っている動物を友達に見せるみたいな笑顔を浮かべる。
「ママが今の月の王国を治めてる女王なの。そのママがこの星に降りた時にパパと出会って、生まれたのがわたし。だからわたしは月の土を踏んだことはないけど、月のプリンセスってことになるの。でもそろそろわたしも月に帰って王政に就かなくちゃならない雰囲気でさ。その前にわたしもママみたいに地球の彼氏欲しいなーと思って、逆ナンにチャレンジしてみたんだ」
自宅の住所を諳んじるように、少女が澱みなく説明を言い切った。僕が授業で当てられて教科書を読む時よりずっと躊躇いが無い。腕を腰にやり、どうだと胸を張る少女にかけるべき言葉を、僕は必死に探す。
何言ってんの?
頭おかしいの?
月に人間なんて、いるわけないじゃん。
「……エイプリルフールはもう終わったよ」
嘘つくな。表現を捻ってそう伝える。少女はその反応は想定済みと言わんばかりに大きく口角を上げて笑うと、上野と逆の方向を指さして僕に尋ねた。
「あっちに大学病院があるの、知ってる?」
僕は首を縦に振った。知っている。日本一頭のいい大学の附属病院。
「わたし、今、そこに入院してるの。地球にいる間、月の民は魔力バイパスを通して月から活動エネルギーを貰ってるのね。でも月に帰る時期が近づくと、迎えに来る仲間がそのバイパスのエネルギーに使おうとするからエネルギー不足で体調が悪くなるんだ。『月帰還性症候群』って言うんだけど、知ってた?」
今度は首を横に振る。少女が「だよね」と満足そうに呟いた。
「入院棟の受付で『A棟のソウマノゾミさんを呼んで貰えますか』って言えば、どうにかなるから」
少女が僕から身体を背けた。小さな声で、甘く囁く。
「会いに来てね」
少女が立ち去る。なびく髪から消毒液の匂いがわずかに届く。僕は導かれるように空を見上げた。青白く輝く岩の塊の上に、少女の屈託ない笑顔が重なって浮かんだ。
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