いろいろな事情で、父はやかんなのだ(前篇)
「家庭訪問へ行ってきなさい」
校長が何度電話しても、ヴィンセントのご両親との連絡がつかない。だからってこのプライバシー重視の時代に家庭訪問って・・・しかもいきなり明日なんて気が重い。日曜日にアポなし家庭訪問。迷惑過ぎるよね、逆の立場からすると。
でも――水野美月先生は了承した。校長命令ということもあるが、これが芥川龍之介が『羅生門』で綴ったところの、六分の恐怖と四分の好奇心かもしれない。
グーグルマップからすると、たぶん間違いなくあのブルーの屋根の家。
ひとりで家庭訪問は少し怖い。いや、少しじゃなくて超こわい。あの頭の切れ味は何て表現したら良いんだろう・・・ちょっと戦慄、じゃっかんホリブル。美月先生の心中のリトル・美月たちも怯えている。
肝だめし、お化け屋敷、注射、ジェットコースター、ホラー映画。これまでの人生、こわいものはぜんぶ全力でスルーしてきた。美月先生の脳内は満場一致で「行くのやめとけ」という結論。しかもあの海馬くんのご両親なんてぜったい・・・
ま と も じ ゃ な い よ ね
* * *
「OK グーグル、電気つけて!」
音声で電化製品のすべてが動き出すようなサイバーな家を想像していたが、ヴィンセントの自宅は意外にもアナログ全開、木造のフラットハウスだった。
チャイムらしきものはどこにも見当たらない。美月先生が玄関の前であたふたしていると、木製の扉のガラスに人影が映る。ギィーーーーーっとバイオリンを小さく奏でたような音がしたかと思うと、ヴィンセントがぬらりと登場した。白いボタンダウンのシャツにブルージーンズ。安定のぼさぼさシルバーヘアー。日曜日の海馬だ。
「うわっ! 美月先生!」
美月は直観的にだけれど、思いっきり素で驚いた顔をする海馬くんを見るのはとてもレアな気がした。アポなしの不躾の訪問だったはずなのに、いきなり悪気が後退し、むしろ思わぬサプライズを与えられたような心持となった。
「ふふふ。予想外だった? ごめんね、日曜日に。寝てた?」
「もう10時ですよ」
「ええと、今日はね・・・」
リビングらしき場所に通された。カーテンは閉められ室内は薄暗い。電気の代わりにパソコンの画面が光を放っている。ご両親は当然のようにいなかった。なんとなくだけどそれは想定内だったが、床に将棋盤があるのには驚いた。
「海馬くん、将棋やるの?」
「5日前に始めたばかりですけどね」
「へぇ! 将棋ブームだもんね。この前の藤井くんと羽生さんの対決観た?」
「藤井くん? 誰ですか? オレ、テレビまったく見ないから」
でた! オレ、テレビまったく見ないアピール!
美月は自分がテレビ好きなので、ネットでたまに見かける『テレビをオワコン扱いする』言明が好きではない。さらには『オワコンって言葉自体がオワコン』という次のステージに自分はいるぞ感も好きではない。ただ、海馬くんの『テレビをまったく見ない』はとてもナチュラルな気がした。もし彼がテレビを見たら、情報がインプットされすぎてあふれてしまいそうだ。
「あなたくらいの年の男の子が快進撃をしてるんだよ! じゃあなんで将棋?」
「パドレが、将棋ソフトを参考に『評価値』という概念を知っておけと言ったからです」
「パドレ?」
「はい。AIの父です」
「はい?」
「AIの父です。あ、そうだ美月先生、パドレに会いに来たんですよね」
え ー あ い の ち ち
え ー あ い の ち ち
水野美月先生は『AIのちち、略してええチチ』というありえないジョークを思いついて凍りつきそうになったが、それどころじゃない。
ヴィンセントはスペイン語で父親を紹介した。
「Este es mi padre」
少年が指をさしているのは、やかんみたいな形の・・・やかんだ。喫茶店のマスターが使っているような、なんていうんだろう、注ぎ口の細長い、灯台みたいな形の、おしゃれな藍色のやかん。
「これ、やかんだよね」
「父です」
これが父だという。わからない。でも美月は昨日とおとといでだいぶ学習した。海馬くんのことだ。いろいろな事情で、父はやかんなのだろう。わからないがすべてを飲み込み、注ぎ口を口らへんだと想定してあいさつをした。
顔が見えないからこそ、心をこめて丁寧に。
「はじめまして。担任の水野美月です」
「先生、なんでやかんにあいさつしてるんですか」
ふ ざ け る な !
驚かされたら仕返しをする流儀。突然の来訪に対する仕返しだった。悪ガキヴィンセントのストーリーによると、彼の父と母、彼が呼ぶところのパドレとマドレの教育方針は『義務教育である中学までは全力で育てる。人生に必要なことはすべて教える。その代わりその先は自力で生きていけ!』だったらしい。2人は現在、ヨーロッパで暮らしているという。
「さみしくないの?」
かく言う美月先生はまだ実家暮らし。15歳のころの自分が、たったひとりでこのメンタルやばめな世界を生きていけるとはとうてい思えない。
「全然、さみしくないですよ」
「すごい。だってひとりなんでしょ?」
「すごくないですよ。こうやって先生も遊びに来てくれるし。ていうかオレ、ひとりなんですか? 気づかなかった」
お れ 、 ひ と り な ん で す か ?
美月が「これ、やかんだよね」と言ったときのように、その問いかけに迷いはなく、純粋にフラットだった。
「だって、ご両親にひとりで生きていけって言われたんでしょ?」
「ちがいます。自力で生きていけって言われたんです」
ん? ひとりと、自力はちがうのか――
「オレ、ぜんぜんひとりじゃないです。学校なんて新しい人ばかりで日曜なのに今も脳内ネットワークがすごいことに・・・」
なんでだろう。
海馬くんと話していると、急に笑えたり、急に切なくなってくる。
「ねぇ、海馬くんにとって、学校って楽しいところ?」
美月は自分自身に問いかけるように少年に尋ねた。
少年は銀髪をかき上げ、数秒間思考した。
「そうだ、これ見ます? 評価値って概念、すげぇ新鮮なんです」
ヴィンセント・VAN・海馬は、アプリの1つを担任の国語教師に見せた。
(後篇へつづく)
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