無口な土曜日(後篇)

「あれれ? なんだ?」


美南は慌てる。


「ヴィンヴィンの言ったことが初めてフツーにわかった。わたしスゴっ!」

「なんか、オレもちょっとわかったよ」


海馬は笑顔の2人とは違い、笑いもせず続けた。


「直也さ、ガットゥーゾって闘犬知ってる?」

「とうけん?」

「闘う犬で闘犬」

「誰のわんちゃん?」

「イタリアのサッカー選手のあだ名。ミランっていう超エレガントなチームにひとりだけ混ざっていた、ウルトラスーパー野生児。オレも動画でしか観たことないけど、めちゃくちゃすごい」

「ふーん」

「さっきケンに言ったんだ。バカな兄貴に憧れてる場合じゃない。今日はガットゥーゾになれって」

「ウザッ!」

「ガットゥーゾのすごさをケンに伝授したよ。ガットゥーゾは自分のことを、サッカーが下手な奴の希望って呼ぶんだ。もう名前通り、ガッツと闘争心にあふれてる。どんな格上のスター相手にも全く、少しもひるまない。人の10倍走る。あとムネアツなのがさ、試合の日は、誰よりも早く、独りでグラウンドに入ってきて、独りで観客をあおるんだよ。想像してみなよ。でっかいスタジアム。何万人もいる大観衆の中、たった独りでベンチ裏から走って登場してきてセンターサークルの真ん中に立つ。スタジアムは静まり返る。闘犬はボールを真上に思い切り蹴り上げる。そこで――ウォォオオオオオ!って心のそこからデカい声で叫ぶんだ。静寂は破られ、観衆と仲間に力がみなぎり一体になる。数万人が闘犬のようにいっせいに咆哮する。ウォオオオオオオオって」


「スゲェ迫力!」

「観たことないけどわかる。めっちゃミラクルな光景だよ。そういう生き様を見せられるのがプロだと思う」

「でもケンケン叫ばなかったね、さっき」

「そのかわり、キックオフのあといきなりシュートを打った」

「おお、たしかに!」

「今もほら――」


少しも休まず、走り続けている。


「当たれ!」「戻れ!」「オーケー、ナイッシュー!」


キャプテンらしく、ときには笑顔で、力強く、仲間に向けて声を出し続けている。直也はブラザー・ケンケンの雄姿を見て、弟のかわいい秘密をひとつバラすことにした。


「たしかに海馬の闘犬のアドバイス、アイツにぴったりだ」

「ん?」

「そのパンフレットに何て書いてあるか知んないけど、アイツの本当の夢ってね、じつは警察犬なんだ」

「けいさつけん?」

「そう。アイツね、頭おかしいくらいハナがすごいんだよ。だいぶ前にさ、グラウンドに誰のかわからないジャージが落ちてたときがあったの。それをケンに嗅がせたら、2人のにおいがするとか言うわけ。伊藤くんのにおいと、梶山くんっぽいにおいだって。実際、当たってたの。そのジャージを落とした伊藤って子はさ、梶山って子の兄ちゃんにそのジャージをもらってたんだ。落ちてたジャージの持ち主と、その前の持ち主を当てたっていう」


美南ちゃんは爆笑する。


「ぎゃはは! エグっ! すげーハナ!」


ヴィンセント海馬くんも笑った。


「警察じゃなくて警察犬になりたいんだ!」

「ウケる!」


キャプテンマークを巻いて駆け回る警察犬が夢の弟。それをゲーム片手にうだうだ見ているサッカーをあきらめた兄貴。どう考えてもこっちはカッコ悪い。アホはオレだ。直也はあっさり降参した。


「なんか、アイツすごい気がしてきた。チビのくせにえらいな」


ヴィンセントは持ってきた黄色いボールを手に取り、クルクルっとひとさし指の上で回転させると、前ぶれもなくいきなり、美南のかわいい秘密をあばいた。


「美南の夢は写真家だろ」

「はっ?!」


何を突然! 

そして・・・



あ っ て る し !



ヴィンヴィンにはすぐに当てられてしまう。

もう、どこでどう情報が伝わったのかを聞いてもムダ。

今さっきのパンフレットも、何気ないこんな会話もぜんぶぜんぶ覚えちゃって、そしてたぶん、みんなもこんなふうに言い当てられちゃうんだ。

キミの将来の夢は――警察犬だろ。

キミは、写真家だろ


「美南はどんな写真を撮りたい?」

「どんなって・・・」

「人? 風景?」

「どちらかというと・・・人かな。わかんないよ、まだ」


ここで直也が珍しくまともなことを言った。


「おい、夢ならハッキリと言えよ」


同じ。あのときと同じだ。あのときは、試験官以外、知ってる人が誰も見ていないから口にできた。高校受験の面接のときに言ったあの将来の夢――親友の男の子2人に恥ずかしさをガットゥーゾ的に振り切って伝えた。


「わたし、人を元気にする、元気な人の写真を撮りたい」


銀色の長髪が春風になびく。

ヴィンセントは試合から目を離すと、力強い目で美南の目をまっすぐに見つめた。口元に優しい笑みをたたえている。


「オレは――美南は詰まないと思う」

「詰まない、のかな?」

「ぜったい詰まない。大丈夫だ」

「うん、ありがとう」

「高校なんて行っててもいいし、行ってなくてもいい。どこにいても、オレたちはオレたちだ。ただし――」

「ただし?」


ヴィンセント・VAN・海馬くんはグラウンドを指さした。


今 す ぐ と っ て こ い!


「何を?」

「写真に決まってる。あそこに頑張ってる元気なヤツらがいるじゃん。撮りまくればいいよ。そしてお金がいるんだったら、撮った写真を売りまくればいい。ママさんたちに。お金持ってそうなパパさんもいるよ」

「え? そんなことしちゃダメじゃない?」

「なんで」


なんで? ん? なんでだろう・・・

わかんないけど、まだダメ・・・なのかな?


「WIN、WINだよ。そうすれば美南の夢は今すぐかなう。夢と関係ないバイトなんてしなくていい。ママさんたちも喜ぶ。子どもが大好きだからきっと、超喜ぶ。インスタにさくらとかタンポポの写真を上げてる場合じゃない」



み ら れ て た !



「さくらもタンポポもいいけどさ、美南は人を撮りたいんだろ。その気持ちに高校とかまったく関係ない。ほら、ダッシュ!」

「でも、今日カメラ持ってくるの忘れたし、あとスマホも・・・」

「じゃあ、これで撮りなよ。一石二鳥だ」


海馬くんは直也くんのスマホを奪うと、パスコードを手早く打ち込み、美南ちゃんに投げた。


「オレはここにいるから」

「おい! てか、なんで解除できんだよ!」

「ナオヤはあっち!」

「は?!」

「またサッカーやるんだろ。ゲーム中毒だったから体力激減してるはず。自主練してこい」

「・・・」


海馬は親友に黄色いボールを投げ渡す。


「ガットゥーゾみたいに頑張れ!」


河川敷なのに風が緩やかで、もうグラウンドコートはいらないし、ジャージでも暑く感じる。

気持ちよい。ほんとうに気持ちよい季節だ。

こんな素晴らしい土曜日。学校を休んで大正解。

時計を見ると9時30分だ。


「うーん・・・」


今戻れば3時間目くらい? 4時間目の現国に間に合ってしまう。

新しいクラスメイトの顔がくっきり、リアルに思い浮かぶ。

ついでに誕生日の水野先生の悲しんでる顔も浮かんでしまった。


こうして同じ中学だった3人の少年少女は、少しだけ膝を交えた後、ふたたび別々の道を走り出した。かわいい秘密を胸に抱いて。

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