最初はVAN(後篇)

「プリントの情報が変わってないなら、入学式は9時30分からだよ」

「ホントに?」

「うん。間違いない」


てっきり、8時30分からだと思っていた。ていうことは・・・まだ1時間前か! そういわれると、周りに新入生らしき人は誰もいないことに渡辺さんは気づく。


ああー、動揺しっぱなし。

おじいちゃんが急に倒れるなんて――。入学式なのに。せっかくピンクの桜が散らずに残っているのに。

おじいちゃん、おじいちゃん、おじいちゃん。

何でもないといいんだけど――。でも何でもないのに、パパとママが両方ともかけつけるのはおかしいよね・・・

渡辺さんのせっかく赤くなったほっぺは再び真っペイルになった。


「おじいちゃんのことは心配してもしょうがないよ」


ヴィンセント海馬くんは、クライ寸前の渡辺さんへ、力強く声をかけた。


「オレも、結のおじいちゃんが良くなるように祈るから」

「え?」

「めっちゃ祈る」


おかしい。


さ す が に こ れ は お か し す ぎ る !


「ええ! なんで? なんでおじいちゃんのことまで知ってるの?」

「そんなことより、一応、急ごう」

答えを教えてくれずに、ヴィンセントは結の手をひき走り出した。

「キャー、はやい! はやいって!」

「陸上部だろ。大丈夫、ついてこい」


は っ ? !


も う い い


も う い い や


「ちょっと、ホンキで、速いって。なんでそんなに急ぐの!」

こっちは、カバンに制服、そっちは手ぶらでジャージ。


ん ? な ん で ジ ャ ー ジ ?


「ねぇ、ちょっと」


結は手をほどいて、ヴィンセントを見つめた。

長すぎるヴィンセントのシルバーの前髪が、少し強い春風に揺れる。


「あのさ、なんで、制服着てないの?」

「ん?」

「制服。入学式でしょ」

「そっか、制服着るって発想、なかったわ」

「発想なかったって?!」

「制服が絶対なのは中学までかと思ったよ」

「いいっ! だって、合格発表のあと、採寸したでしょ」

「いや、買わなかったよ、制服。べつにいいのかと思って」

「ええ!」

「おい、お前ら。もう始まってるぞ!」

遠くで先生らしき人の怒鳴り声がした。


ヴィンセントが言った9時30分というのは、気休めのウソ情報だった。「ウソついたね!」とあとから怒った渡辺さんに対し、海馬くんは「ごめん、間違えた」と応じた。そんなはずはない。化け物級の記憶力をもってして、間違うはずがない。


渡辺さんは予定通り、帰りもバスに乗った。

初対面の――あ、ちがう、3対面のクラスメートのおじいちゃんなのに、自分のおじいちゃんのようにホンキで心配してくれて、無事を思いっきり祈ってくれる友だちと隣の席だ。バスに乗るなり、すぐに寝息を立てている。朝のバスとのレース、猛ダッシュすぎでしょ。

結は無防備に眠るヴィンセントの寝顔を見て幸せになった。

不安という名前なのに、勇気づけてくれる。

強くて新しい友だちヴィンセント・VAN・海馬くん。


2人は終点のバス停で降りた。病院までは徒歩数分だ。


「ねぇ、海馬くん、なんでおじいちゃんの入院のこと知ってたの?」

「うーん・・・正解を知っても怒らない?」

「うん! もしかして超能力?」

「バスの中で・・・後ろからスマホが見えた」

ようやく乗れたあのバスに、ヴィンセント少年も乗っていたらしい。

「うわ、勝手に! LINEしてるとこ見たの?」

「見たんじゃない。見えたの。Lookじゃなくて、Seeだった」

「どういうこと?」


マズイ。うっかり聞き返してしまった。英語が苦手、ということがインプットされたかもしれない。ここはごまかす一択。


「じゃあさ、今朝、なんでわたしが陸上部ってわかったの?」

「受験のときの昼休みに、話していたよ。高校入ったらもう陸上やめようかなって」


おじいちゃんは元気だった。

どうしてかわからないんだけれど、突然倒れたのに、検査したらウソみたいにどこも悪くなくて、それは本当に良かったんだけれど――


10分前。


「このジャージ、汚いからオレは病院には入れない」と言って、玄関のところで海馬くんは引き返した。

「なんで! 大丈夫だよ」

「結を送るだけって決めてたから。それにオレ、トレーニングあるし」

そう言い残すとヴィンセントは来た道をバスには乗らず、ダッシュで戻っていった。


「入学式、行けなくてごめんね」

「ありがとう、がまんしてくれて」


お会計を済ませたパパとママに謝られた。


「うん、大丈夫だった」


遅刻したことは内緒にしておこう。


「友だち、できた?」

「うん! あのね、同じクラスにすごい子がいたんだ」

「すごい子?」


渡辺結はどこから話していいのかわからなかったし、うまく話せる自信がなかったので、海馬くんが、会ったばかりなのにおじいちゃんの無事を祈ってくれたことを伝えた。


「優しいんだね」

「優しい・・・のかな?」

「ちがうの?」

「わからない。優しいっていうか、なんだろう・・・強い」

「強い?」

「うん。たぶん、強い」


海馬くんのお父さんとお母さんも、入学式に来てなかった。顔も知らないのに、なぜわかるかって? 体育館の入り口に置いてあった、出欠表に丸がついてなかったから。


「あ!」


渡辺結は、思わず笑ってしまった。

保護者の出欠表なんてどうでもいいものをインプットするなんて、まるで海馬くんみたい。ていうか、もう。制服を買ってないとかあり得ないから!

どんな高校生活になるんだろう。想像もつかない。どうするんだろう、制服。

ヴィンセント・VAN・海馬

期待とVANが入り混じる。

あまりにも未知未知ている高校生活を前に、結は思い切り走り出したくなった。

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