10ユーロのチョーカー(後篇)
ヴィンセントはペンと色えんぴつをボストンバッグから取り出すと、タンタンを知らない残念な美月先生のために、さらさらと文字通り一瞬でイラストを描いてくれた。スノーウィという可愛いワンちゃんつきだ。
「うわ、すごーい! うまい!」
しかも、何も見ないで記憶だけで描いていた。
「すごくないしうまくないですよ。うーん、あまり似てないな・・・。今度、本屋で実物探してみてください」
うぐっ、現代文の先生なのに、本をすすめられてしまった・・・
「で、制服のズボンをこんな感じにしたいんです。あ、シューズと春コートはこの制服に合ういい感じのをゲットしてるのでバッチリです!」
「でもさ、どうして月曜はタンタンなの?」
「休み明けってテンションが下がるじゃないですか。だから足元すっきりさせておきたいんですよね。それに冒険っぽくてあがるし」
ぜ ん ぜ ん わ か ら な い
「いやぁ、思ったより意外とディフィカルトですね、制服作るのって。ていうかミシン、ムズいな」
「もしかして・・・海馬くんミシン、初めて?」
「はい。いちおう昨日、本5冊と動画3本見たから、十分いけると思ったんですけど」
た ん じ か ん !
「あのさ、本をちょっと読んだだけで、ミシンできると思ったの?」
実際、出来ていた。あまりに手慣れていたので、親が洋裁関係の仕事をしているのかな、とさえ思った。
「はい。タイトルに『誰でもできるミシン』って書いてあったから。あ、詳しく書いてあるのも読みましたよ、ちゃんと」
「5冊読んだって言ってたっけ?」
「はい」
美月先生は生徒に読書をすすめているくせに、最近はぜんぜん本を読めていない。去年からずっと、そんな気分じゃない。
「あ、先生、そこの部分、こっちに引っ張ってもらっていいですか?」
「えっと・・・質問ばっかりだけど、この制服、どうしたの?」
隣の広いテーブルに、制服の山が築かれていた。
「あ、それですか。それはこの前卒業したセンパイに、もらってきました。ちゃんと4日分ありますよ」
「このかわいい生地は?」
「先生、好きですか?」
「うん! これマリメッコでしょ?」
「裏地とかにいろいろと使おうと思って・・・昨日、病院行ったあと、吉祥寺の店で買ってきました。あとC&Sっていう店知ってます?」
「あ、うん」
おしゃれな裁縫女子しか寄せつけない、クリエイティブな人以外お断りみたいなオーラを放っている店だ。それはもう、素敵な物しか売っていない。
「あそこで仕上がりのイメージ伝えたら、いろいろアドバイスをもらえて」
じ ょ し り ょ く か ん ぱ い
「イメージ通りいくかな? サスペンダーつけるの初ですよ。超楽しみです」
「楽しみ?」
「はい。超楽しみです。早く完成させたい!」
「うまくできるといいね」
でもきっと――この制服がうまく完成しても、着ちゃダメだと思う。ベースは学校の制服だけど、改造だもんね。わたし的にはOKだけど・・・ん?
担任はわたしか。
わたしがGOサインを出せば、もしかしてOKなのか?!
そ ん な は ず な い
海馬くん限定でオリジナル制服を認めて欲しいなんて言ったら、校長先生の胃潰瘍がさらに悪化しかねない。
でもいいのかな。
こんなにキラキラしている生徒の味方をしなくていいのかな。
「話を戻すけど、明日学校だよ。基本、毎週あるよ、土曜日」
「中学は休みでしたよ」
「中学はそうかもしれないけど、高校はあるの」
「何やるんですか?」
美月は時間割を思い出す。たしか・・・
「たしか家庭科2時間と体育と現国だったかな」
「良かった。それじゃあ大丈夫です! おれ、ぜんぶ得意なので」
ジャージを着てくるくらいだから、体育は得意なのかもしれない。家庭科はたった今、目の前で見せつけられた。現国は・・・もしかして、わたしよりも、はるかに頭が良かったりするのか?!強張る水野美月の心の中で、リトル・美月が叫ぶ。
――どうせやめるんでしょ? 生徒たちを裏切って。
まだ完全に決めたわけじゃないよ。それに新学期来ちゃったし。
――やめるんならさ、この子の味方をしまくれば?
え?!
――そうすれば願い通りやめさせてもらえるんじゃない?
そ、そうかな。
――ねぇ、美月。もっと正直に、思いっきり生きなよ!
正直に、思い切り生きる?
リトル・美月たちが声を合わせて叫んだ。
美 月 は も っ と
自 由 だ っ た よ !
「明日は最初の現国があるから休まないで欲しいな。わたし、現代文教えているんだよ」
「え?」
「それに、明日はわたしの――」
4月7日。
新学期が始まってすぐだから、みんなに忘れられちゃうけど・・・
「誕生日なんですよね」
「え?」
「昨日校長室で見た学年だよりに書いてありました。だから、これプレゼントしようと思って。使わないときは、このきんちゃくに入れてくださいね。きんちゃくもマリメッコです。きんちゃく作ったの初めてだから下手かもだけど」
ヴィンセントは首にかけていたアクセサリーを外して、マリメッコのきんちゃくと一緒に渡した。
「え? これを? わたしに?」
「チョーカーヘッドです。裏に通すところあるから、好きなひもを通してください。傷だらけだしくすんでるけど、磨けばけっこう光りますよ」
「すごい! これって手作りだよね」
「はい。作ったのは母です。10歳のときにもらいました。お守りです。マリメッコが作った10ユーロの記念コインを真似たって言ってました。フィンランドってすごいですよね。こんなきれいなデザインのお金があるなんて」
「うわ! じゃあダメだよ、大事なものじゃない」
「はい大事です。でも――」
ヴィンセント・VAN・海馬は、クラスにいる他の高校1年のみんなと同じように、4月らしく、ちょっと緊張した面持ちで、でも嬉しそうな表情をして言った。
「大事だから、あげたいんです。先生に。おれ、きっとあり得ないくらい迷惑かけまくると思うんです」
「そんな迷惑だなんて――」
正直に言うと思っていた。
迷惑だって、すっごい思っていた。
美月はプレゼントを眺める。
銀色にピンク色とオレンジが映えている。子どもを守りたいという、シンプルな母親のやさしさをその奥にしっかりとたたえている。
「受け取ってもらえますか?」
「ありがとう。10歳のときに10ユーロ。すてきなプレゼントだね。ずっとずっと大事にする。なんだかこれを持っていると――」
――強くなれそうな気がする。
「先生、10ユーロと自由って音が似てませんか」
「え?」
「10ユーロと自由は似ているって、ずっと前から思っていて。だからメッチャ気に入ってたんです。このチョーカー」
すばらしい言葉のセンスだと思う。
10歳に10ユーロ。思い切り自由な10ユーロ。
「うん。言われてみるとそうだね。自由に似てる」
水野美月先生はヴィンセントのように、自由に生きたくなった。
うん。先生を続けよう。
先生は重労働じゃなくて自由労働だ!
よくわからないダジャレを思いついた水野先生は、すっかり死にたくなくなった。ただその一方で、教室に生徒たちを放置しっぱなしだという事実をすっかり忘れていたのだが。
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