第20話

 多くの世界ページいては、当たり前のように太陽がのぼり、月は満ち欠けをり返し、夜になれば星が見える。彼等の世界ページの魔物の住処すみかから見える場所に、そんなものは存在しない、魔物たちが追いやった人間たちの住む天上に押し上げた大地、それが、太陽も月も星も隠してしまったのだが、影や闇を好む彼等には、ちょうど良かった。


 それでも時折ときおり、満天の星空を、夜を優しく照らす月を、まぶしいほど輝く太陽を、見たくなることがある。せかいあるじからのめいとはいえ、この世界ページへやって来て、数百年ぶりに、紘之助は朝や昼や夜が目に見える美しさを思い出していた。


 彼の体躯たいくは本当に人間から見れば巨体だが、見た目から想像したよりもずっとたくましく安定感のある腕に抱かれて、自分はその片腕に収まってしまうほどの大きさなのだと、燈吾は少し驚いていた。ゆったりと穏やかな低い低い声が、燈吾の耳元で囁かれた。


「燈吾様、私と一緒に、月を見に行きませんか。すぐ近くの山へ」


 甘い響きの言葉に、燈吾は一つうなずいた。紘之助は障子しょうじを静かに開け放つと、たくましい両腕で、燈吾のなにかから守るように包み込み、軽くゆかった。その瞬間、自分の身に凄まじい圧力が掛かっているのを感じた燈吾。紘之助がこうして両腕で自身じしん身体からだを包んでくれているのは、恐らく発生しているだろうはげしいかぜから守るためなのだと思った。数秒後には、どこかに着地したようで、紘之助の片腕が燈吾の身から離れた。そこは、里に比較的近い山の頂上ちょうじょう付近ふきんだった。


「今夜は満月でございます、この鬼の目にも、うつくしゅう映っております」


「-…あぁ、美しいな」


 燈吾の視線は、まず紘之助の顔をななめ下からとらえて、それから月に移った。どちらも美しいと、彼の胸に頭をあずけ、この月夜によいしれる。それは不思議な、幸福感だった。大木たいぼく天辺てっぺんで、鬼と人とたった二人で無言むごんのまま月を見上げる時間に、彼等はしばゆだねた。


 そして、半刻はんこくが過ぎようとした頃、充分過ぎるほどの幸せを感じながら、紘之助が口を開いた。それは、これからの里のことを予言よげんするかのような、燈吾には信じがたい内容の話だった。


「それは、まことかっ…!?」


「はい、少し夜之助を偵察ていさつに外へ回したところ、正確な情報をられました」


 どう対処すれば良いのかと、眉間にしわを寄せて考え始めた燈吾にいつくしむような眼差まなざしを向けると、紘之助は微笑みながら、指先で彼のその形のよい頬に爪を立ててしまわない様にそっと撫でながら言う。


「御安心ください…この案件あんけんに関してましては、我等われらが動きます」


「たった三人でか!?」


「いいえ、…それでも対処たいしょできぬわけではございませんが…、確実に仕留しとめてはえ本性ほんしょうあぶり出すために、充分な数を要請済ようせいずみでございます」


「………分かった、そなたしたがおう。あらかじめ、秘文ひぶんは回しておく」


承知しょうち致しました」


 いだ湖面こめんの上にいるかのような返事とは対照たいしょう的に、血を塗りたくったように真っ赤な唇は、えがいてゆく。漆黒の牙と真っ赤な歯が、威風いふうで広がり意思を持って揺れる長い黒髪が、遠くを見つめている黄金をともす漆黒の眼が、わずかに燈吾の身体に食い込むするどい漆黒の爪が、元来がんらいの鬼としての獰猛どうもうさを際立きわだたたせていた。


 思わず身震みぶるいした燈吾、紘之助は即座そくざに反応した。体温を分けていたはずだが、時間はそろそろこくなかばに差し掛かっている。さすがにえて来たのかと心配そうな表情を浮かべて彼の顔をのぞき込むと、いま居る場所へ来たときと同じように、また両腕で燈吾をスッポリと大事そうにかかえ直して、軽く飛び上がった。その身に移動にともな重圧じゅうあつを感じながら、燈吾の顔は耳まで薔薇色になっていた。


(何なのだ…私だけ特別かのような…あんな、あんな心配そうな…あんなにも優しい目を向けてくるなんて…)


 かつて愛し合っていた、そして今も惹かれている紘之助に、その想いのたけを打ち明けられ、ここからまた想いをはぐくんでいきたいと、月を見上げながら改めて決めた後のことだ、もう鬼でも何でもいいと思わずにはいられないほど、羞恥しゅうち身悶みもだえている燈吾だった。





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