第三章
その日は休日だった。だがこれといってすることがない。
昼前までゴロゴロして飯を食うために外に出た。そしてマンションの階段を下りた所で見覚えのある青年が一階の部屋から出てくるのを見た。
その青年は先週老人ホーム若葉で会った介護士だった。たしか名はバッポー。
「やあ、こんにちは。また会ったね。君ここに住んでたの」俺は声をかけた。
彼はいきなり声をかけられ驚いていた。
「ほら、先週の月曜にホームで会った東洋通信機器の岡です」
「ああ、あの時はありがとうございました」
ようやく思い出したらしく、そういって深々と頭を下げた。
「どこかお出かけ?」
「近くに昼飯食べに行こうと思って・・」
「俺もなんだよ。よかったらいっしょに食わないか」
そして二人で俺が馴染みにしている中華料理店に入った。そこは味がよく日頃から贔屓にしていた。俺は中華丼と餃子を注文し彼も同じものにした。
「バッポー君、君はあそこでどのくらい働いてるの?」
「もう三年になります。中学校を卒業してからずっとです」
「へえー、感心だね。ああいう仕事は大変だろ。君はいくつ?」
「今年十九になります」
「どうして介護という仕事を選んだの?」
「今、この国は老人の数が急速に増えています。でも昔のように行き届いた介護を受けられないで困っている人が多いんです。そんな人たちをひとりでも多く助けてあげたいから」
まだどこかあどけなさの残る顔には彼の誠実さと意志の強さが滲み出ている。今の時代にもこういう若者がいると思うと少なからず希望が湧いてくる。
「今の世の中は間違っている。昔のように皆が笑って自由に暮らせるようにならなきゃダメだ。そのために俺たち若い者が自分の意見を主張しないといけない」
「僕もそう思います。昔の生活はよかったと聞いてます」
「そこで若い俺たちが行動しなければ何も変わらないと思うんだ。君は飛龍という組織を知っているかい?」その時、彼の顔がピクリと動いた。
「いやね、俺も聞いた話なんだけど、そこの組織は全国にかなりの若者たちが集まって改革運動をしてるってことだ。そこで活動すれば何かを変えられる気がするんだよ」
彼は何も言わず黙っていた。飛龍という名前に警戒心を持ったのかもしれない。それほど飛龍の名は全国に知れ渡っていた。そして国家権力から睨まれていた。俺はそこでその話はやめた。
「でも驚いたな。同じマンションに住んでたなんて」
「僕もです。ほんとに偶然ですね」
「ま、これも何かの縁かもな。これからよろしくな」
そして俺たちはその日から友達同士になった。
俺は朝からクレーム処理のため得意先をまわることになっていた。
普段は着慣れないスーツにネクタイで営業車を運転していた。ここ数年、会社は経費削減のために大規模な人員削減を行い、その結果社員は何でもさせられるようになった。俺も以前は修理、メンテナンスだけしていればよかったが今ではクレーム処理から新規開拓の営業までさせられるようになっていた。それでも給料は変わらないからやりきれない。
最後の得意先の対処が終わると午後十時を過ぎていた。俺はそのまま会社の車でマンションに帰り、部屋に入るとスーツも脱がずにベッドで横になった。
「あー疲れた」そう呟いた時、チャイムが鳴った。こんな時間に誰だろうと思って出て見るとドアの前に立っていたのはバッポーだった。
「どうしたの? こんな時間に」
「夜分すいません。僕、どうしても岡さんにお話ししておきたい事があって・・」
「まあ、入れよ。散らかってるけど」俺は彼を部屋に入れた。そして冷蔵庫から缶ビールを二本出した。
「へえー、岡さん、スーツ着るんだ」彼は意外そうにいう。
「俺だってサラリーマンで苦労してるんだぜ」
「そうなんですね」彼はニヤリと八重歯を見せて笑う。
そしてテーブルに向かい合って座ると俺は缶ビールを開け、「それで話って何?」
「岡さんは飛龍のメンバーだったんですね」
俺は突然、彼にそういわれてビールを吹き出しそうになった。
「なぜわかった?」
「この前話した時にわかりました」
「そう、君の言う通りだよ」
俺は彼になら真実を告げても問題はないと思っていた。
しばらく黙っていた彼は口を開いた。
「実は僕の親父は飛龍の副総統なんです」
「ぶはっ」俺は今度こそビールを吹き出してしまった。
「そ、それじゃ君もメンバーだったの?」
「いいえ、僕は親父と話し合ってメンバーに入らない道を選んだんです」
「お父さんはいつから飛龍に?」
俺はメンバーといっても所詮は下っ端だ。上級幹部の素性も性格も何ひとつ知らないのだ。そして彼は話を続けた。
「僕の母は僕が小さい頃、病気で亡くなったんですが、親父の二度目の結婚相手でした。初めに結婚した人は駆け出しの政治家だったそうです。親父はその人を熱烈に愛し彼女を支え続けたんです。ところが若くしてその人は事故で亡くなりました。親父はそのショックから立ち直れず東京を出て千葉に移り住みました」
「どうして千葉に?」
「千葉は親父の祖父、つまり僕の曾爺さんが長く住んでいた所なんです」
「お父さんは曾爺さんにずいぶん可愛がられていたんだね」
「いいえ、会ったこともありませんでした」
「じゃ、どうして?」
「曾祖父は太平洋戦争で生き別れた親父をずっと案じていたそうです。親父は千葉で弁護士になり僕の母と知り合ったんです。そして曾祖父が暮らしていた老人ホームに行き手がかりを探したそうです」
「それで何かわかったの?」
「何度か通ってその当時、曾祖父の世話をしていたという介護士を探し当てました。その人が総統の亀井正吉です」
俺はその名前だけは知っていた。だが知っているのは名前だけでそれ以外の情報は何もない。これは総統のことを知る絶好の機会だった。
「亀井正吉はなぜ飛龍を作ったんだろう」
「詳しいことはわかりませんが、曾祖父の影響が大きかったと聞いています」
彼の話から察すると総統の亀井正吉はすでに高齢の老人ということになる。副総統である彼の父親も初老の年齢の筈だ。現在の全国の飛龍のメンバーの平均年齢は著しく若い。この二人が多くの若者たちを惹きつけるカリスマ性とはいったいどういうものだったのか。俺はわからなくなってきた。
「世の中を変えようとして行動を起こすには一人の力ではあまりに弱い。同志が団結して組織を作ることが得策だと思うんだが君はそう思わない?」俺は彼に尋ねた。
「それはそのとおりだと思います」
「じゃ、どうして君は飛龍に入らないの?」
「組織というものは人を変えてしまうんです。地位が上がるほど自己顕示欲が強くなって傲慢になり身勝手な行動をするようになる。自分のことが最優先になっていつしか初めの志を忘れてしまうんです」
「確かにそういう人間も多いかもしれないけど・・」
「僕はそうなりたくありません。自分ひとりの力が微力でも自分なりに他の人たちを助けたいんです。それが僕の選んだ道なんです」
彼の強い意志に対してそれ以上何もいえなかった。だがこういう若者が存在するのも事実だった。
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