第ニ章

 十月となった。私は坂口秘書と忙しく動き回る日々を送っていた。

 新しい秘書の募集広告は出していたが、なかなかこれという人材は来なかった。

 月末のある晩のことだった。父、母と三人で夕食をとっていると父が、

「あ、そうそう、今日秘書の面接に若い男性が来たんだよ。見た目は頼りなさそうだけれどなかなか優秀なんでね。採用することにしたよ。恵理、これから指導を頼むよ」

「へえー、やっと決まったんだ。どんな人?」

「バッポー君といってね。確か恵理と同い年の筈だ」

 それを聞いたとたん私は咽た。

「あら、大丈夫?」母頼子が声をかける。「恵理、よかったじゃないの。これでお仕事が少し楽になるじゃない」

 私は母の言ってることなど聞いていなかった。-なぜ彼が私のところにー

 今までの彼との不思議な巡り合わせに私の心は翻弄されていた。


 バッポーの初出勤の日が訪れた。

 彼には事務所に八時半までに来るように通知してあった。私は八時前に来て掃除や机の上の整理をしていた。そして八時過ぎた頃彼が来た。

「おはようございます。今日からよろしくお願いいたします。」ハキハキ挨拶すると私に深々と頭を下げた。

「こちらこそよろしく」

 そして彼は私の顔を見て微笑んだ。「やっぱり貴方でしたね。面接に来た時にもしかしたらそうじゃないかと思ったんです」

 私はすかさず、「それでね、今までの成り行きは他の人には内緒ね」

「はい、わかりました」と彼は笑顔で答えた。

「何かお手伝いしましょうか?」

「いいのよ。そこの椅子に座っててちょうだい」

 彼は今まで私が使っていた机の椅子に腰かけた。私は今日から山本秘書が使っていた机を使用することになっていた。

「あ、そうそう、あなた、今年司法試験を受けるって言ってたわよね」

「はい、何とか合格出来ました」

「あら、そう。よかったじゃない。でも弁護士にはならないの?」

「その夢は捨てていません。将来は弁護士になりたいと思います。でも、それまでにいろいろなことを経験しておきたいと思って・・上村さんも秘書の試験を受けるって言ってましたね」

「私も合格出来たわ」

「そうですか。それじゃ、お互いにおめでとう、ですね」

 やがて八時半が過ぎ坂口秘書が出勤してきた。

 彼は椅子から立ち上がると、「バッポーと申します。今日からよろしくお願いします」そして深々と頭を下げた。

 坂口はそんな彼を足元から頭までじろじろ見ると、「坂口です。よろしく」と愛想のない挨拶を返した。

 そして九時になり父が事務所に顔を出した。

「議員、おはようございます」皆が挨拶する。

「おはよう、ご苦労さん」そういって自分の席についた。

「バッポー君、今日から頑張ってくださいよ。わからないことは何でも二人に聞きなさい。とりあえず当分の間は上村秘書について仕事を覚えなさい」

「はい、わかりました」

 こうして私はしばらくの間、彼と行動を共にすることとなったのである。

 私は外出の折りはバッポー君に車の運転を任せた。その点は今までより楽になった。彼は事務所に居る時は雑用もいやな顔ひとつせずに黙々とこなしていた。

「バッポー君、これ頼むよ」未整理の書類を彼の机の上に置くと坂口は事務所を出て行った。それでも彼は笑顔を絶やさず楽しそうに仕事をしている。

「あなた、ほんとうに楽しそうに働くのね」

「僕はみんなの為に働くのが好きなんです。それがどんな仕事であっても」

「へえー、そうなの。でも今時珍しいかもね。あなたみたいな人」

 そして私は彼に対して今まで異性に抱いたことのない感情が芽生えていた。



 その日、久しぶりに会った裕子から驚くべき事を聞かされた。

 結婚することにしたというのだ。相手は合コンで知り合った西岡君であった。

 待ち合わせのカフェに裕子はすでに来ていた。

「びっくりしたわよ。ほんとうに決心したの?」

「まあね。彼とならこれからうまくやっていけそうな気がするの」

 その時、ウエイトレスが注文を聞き、私はホットコーヒーをたのんだ。

「それじゃ、仕事は辞めるの?」

「うん、彼がね、家庭に入ってほしいんだって。絶対に貧乏はさせないからって」

「あらま、それはごちそうさま」

「でも、恵理にはわかってもらえないんだろうな。仕事が第一なんだもんね」

「そんなことないよ。私だって好きな人が出来たらさっさと結婚するかもね」

「ええっ、ほんとに?」

「でも私は仕事は辞めないわよ。そのことはちゃんと理解してくれる相手じゃないと駄目だけど。それで結婚式はどこでするの?」

「彼とも相談したんだけど教会にしようって」

「あら、素敵じゃない」その時、裕子を見て少し羨ましくなった。


 それから一か月後、裕子は教会で華々しく結婚式を挙げた。

 多くの友人たちが見守る中、純白のウエディングドレスを着た裕子はほんとうに幸せそうだった。弘美は一部始終を羨望の眼差しで見ていた。

「あーあ、絶対に私が一番だと思ってたのに・・先越されちゃったわ」

「あら、弘美。高木君と続いてるんじゃないの?」

「まあね。彼もサラリーマンだけどいまいち稼ぎが少ないしね。それに私も最近仕事がおもしろくなってきてね。当分結婚は考えられない」

「あら、そう」

「でも恵理には負けないわよ。先に結婚するのは私よ」

 そしてブーケトスの時間になった。私たち未婚の女性たちはひとかたまりに集まった。裕子はこちらに背を向けるとブーケを後ろに高く放り投げた。そのブーケは私の方に一直線に落ちてきた。私は難なくそれをキャッチした。

「ええっ! 信じられない」そういうと弘美は仏頂面していた。

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